第14話 再会
心地よい秋風が庭園を吹き抜ける。どこか気品のある花々の香りが鼻腔をくすぐる。
秋の花は春とは違ってただ甘かったり可愛らしかったりするのではなく、そこに高貴さを感じられるから好きだ。
好きというよりは面白いと表現するのが適切かもしれない。
白亜のガゼボから眺める王城の庭園は絶景の一言だった。
一面に広がる色とりどりの花々。まだまだ夏だとでも言いたげに青い葉を茂らせるそれらは目に優しい。
庭園の先には穢れを知らぬ豪華絢爛とした建物が並ぶ。王城と一言に行っても、その敷地内には離宮や使用人寮、騎士団宿舎や訓練場等、たくさんの建物が存在する。
遠くに見える無骨な四角い建物はきっと騎士団関連の者だと思う。ただ、近づけば暑苦しいかむさくるしいだろう建物も、遠くから眺めていればこの光景のアクセントの一つに過ぎない。
まるで絵の中の世界に入り込んでしまったみたいな不思議な感覚がした。
時刻は朝。朝食後の腹ごなしとして庭園を散策したところ。
雲一つない快晴の空の下、わたしは手の中にある紅茶を揺らしながらお茶を楽しんでいた。
うん、そろそろ意地悪をするのはやめてもいいかもしれない。
さすがにちょっと心配になってきた。
「ねぇ」
「っ、は、はいぃ!」
肩をびくりと揺らした使用人の女性が、喉を絞められた鳥のようにおかしな声で鳴いた。
ああ、鶏肉が食べたくなってきた……じゃなくて。
「心当たりは、あるわよね?」
彼女の蒼白だった顔が土気色に染まっていく。
別に責めるつもりはないけれど、今のは彼女にとって死刑宣告のように聞こえたかもしれない。
少しだけ反省した。
わたしの視線の先にいるのは、使用人の一人。王子妃付きとなった使用人の中でも比較的若く、かつ実家の爵位が低い女性だった。年はわたしと同じ十六。そう、何を隠そうわたしはつい先日誕生日を迎えて十六歳になった。
ちなみに、もちろん王子殿下からは祝いの言葉の一つもなかった。まあわかっていたことだ。
家族とアマーリエをはじめとする友人からお祝いの手紙が来たからいいけれど。
お父さまの手紙に書かれていた「お兄さま乱心」の一報は見なかったことにした。ま、まあ仕方ない。
わたしを溺愛していたお兄さまが、真っ当な挙式もなく妹が気づけば「氷の王子」の妻になっていたと知ったら。
それはもう取り乱すだろう。
脳裏に、必死にお兄さまを止めるお父さまとお母さまの姿がありありと浮かんだ。
ごめんなさい、お父さま、お母さま。
面倒だからとお兄さまに手紙の一つも送らなかったダメな娘を許してください。
……それにしても、王都にいたはずのお兄さまがどうして領地に戻っているのだろうか。まだ領地に戻るようなタイミングではないと思うのだけれど。
そんなことを考えている時間は、目の前の使用人にとって地獄の沙汰を待つ気分にさせていたらしい。
「……た、大変申し訳ありませんでしたぁッ!こ、この罰は、いかようにも……ですからどうか、どうか、両親や妹は見逃してください!」
気づけば土下座して額を地面にこすりつけた使用人が、涙声でつかえながら許しを請う。
さすがに土下座は引いた。主に、土下座をさせてしまったわたし自身に。
わたしは、自分が妃であるという意識などさらさらない。そもそも妃らしい仕事はないし、あるとすれば面倒な教育と、使用人たちのやっかみだけ。
やっかみもここまでくれば、少しも可愛いとは思えない。それでも、無理やりさせられたという事実をわかっているだけにただ怒りをぶつける気にもならない。
「まあいいわよ。どうせあの性悪たちに命令されたんでしょう?……あら、おいしい」
顔を上げた少女は紅茶に口をつけるわたしを見て、今度こそ声にならない悲鳴を上げて――ひっくり返って気を失った。
わずかな舌のしびれを感じながら、わたしはさてどうしたものかと視線を巡らせて――
「え?」
「ん?」
悲鳴を聞きつけたらしい、庭園の陰から滑るよう現れた人物と目が合った。
さらりと揺れる銀髪が美しい彼の名前はアヴァロン・ルクセント。
この国の王子様であり、わたしの夫である男がそこにいた。
◇
エインと別れてすぐに王城へと戻った私は、さっそくスミレの乙女の捜索を始めた。
捜索範囲は、私の生活圏内――すなわち王城内。
エインは、確信をもって「スミレの乙女」が王城にいると話していた。
あれだけ自信を持っていたのだ。おそらくは、エインはスミレの乙女に会ったことがあるのだろう。
だとすれば探すべきはエインがよく訪れる場所を中心にする必要がある。
そう考えて私が最初に向かったのは王城の庭園だった。何十名もの庭師を雇用して常に美しさを保つ庭は、エインのお気に入りの場所だ。
正確にはエインの婚約者が気に入っている。だからあいつは、王城に足を運べる機会があると必ずここへ来る。婚約者と一緒でなくても、予習のために足を運ぶほどだ。
以前聞いたところ、婚約者との話についていくために、何より婚約者に花のことを教えるために、わざわざ庭師に教えを乞うのだという。そこまでして婚約者に尽くすというのが、私の中のエインのイメージと一致しない。
それよりも、そのマメさをもう少し他のところでも役に立てようとしてほしい。
そんなことを考えながら、気づけば庭園にたどり着いていた。
気づけば秋の装いに変化していた庭園は非常に目に優しい。
だが、そこにあるのは徹底的に管理された人工の緑だ。
美しいことには美しいのだが、精霊に見放された土地をはじめとする壮大な自然に見慣れていると、作り物の楽園は時折ひどく陳腐なものに見える。
咲き誇る花々は、まるで脳みそがあるかも定かではない無能な貴族たちのようだ。
美しさを求めて品種改良を続けられて見た目は美しくなったものの、その代わりに大切な中身を置いてきてしまった花々。
……この国の貴族も、もう少し賢くあることはできないのだろうか。
一部の者は優秀なのだが、平均以下が多すぎる。
精霊に守られているという安心感が、この国を弱くしているのだ。
精霊信仰は人民の心のよりどころとなっているが、信仰に甘えて己を高めることをやめるのであれば、信仰など百害あって一利なし。だが、信仰を禁ずれば暴君とそしりを受ける。
政治とは、人を動かすとはたやすいものではない。
何しろ、己の心すら思うように制御することなどできないのだから。
もし自分を律し、自分の思うような自分であることができるのであれば、私はこんな時間からこの場に足を運んではいないだろうから。
強く風が吹く。
パーティーの度に私にすり寄ってくる貴族令嬢のように、むせ返るような濃いにおい。
思わず顔がゆがんだ。最近どうにも表情を作れない。
ぐるりと視線を巡らす。
気品を感じさせる竜胆や桔梗、真っ白な菊、零れ落ちそうなほどに花弁を広げるダリア、無数に咲き誇るサフランやコスモスの絨毯、大輪のバラ、陽光を透かしてきらめく金木犀。
確かに美しいとは思う。だが、それが心に響くかと言われれば否と答えるしかない。
――花がきれいかどうかは重要ないよ。大事なのは誰と花を見るかだね。
小馬鹿にしたようなエインの声が聞こえた気がした。
あいつはいつも一言多い。あるいは、わざと私に揶揄うようなことを言っている節がある。
思い出したら腹立たしくなった。今回の情報提供の一件も、私を揶揄って遊んでいるだけかもしれない。
つまりは徒労だ。
揺れる花々から視線を振り切う。
それでもまだ未練がましく、私はただ一つのか細い糸であるエインの言葉にすがるように別の場所に向かおうとして。
悲鳴が聞こえた。
まだ年若い女性のもの。
とっさに体が動いた。向こうには確かガゼボがあったか――
そう思いながら薔薇棚を回り込んで。
そこで思考のすべてが吹き飛んだ。
「え?」
「ん?」
カップに口をつけたまま動きを止めた女性と目が合った。
黄金を糸にしたようなまばゆい輝きを秘めた髪と、先ほど見た竜胆のような色合いのドレスが秋風に吹かれて揺れる。
美しい装いではあると思う。
だが、そんなものは些末だった。
私の視線はただ一点、彼女の瞳に向けられていた。
大きく見開かれた双眸。
――スミレのような淡い紫の瞳が、じっと私のことを見つめていた。
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