第13話 ヒント

 あの女――仮称ファントムの捜索を開始してから早半月が経った。

 百名近い騎士を動員して王都を捜索させたものの、ファントムと思われる女の足取り一つつかめなかった。


 あの目立つ白いローブを王都でも身に着けている可能性は高くないだろう。常に顔を隠しているらしい女がその正体を気取られることをするとは考えにくい。

 だが、淡い紫の瞳の女が見つからないというのはおかしな話だった。

 それほど珍しい色合いなのか?そういえば、記憶にある限りその色の女を私は他に知らない……気がする。

 興味がなく、覚えていないために定かではないが。


 戦士、あるいは商人か貴族。ひょっとすると平民の可能性もあるかもしれないと捜索の手を広げても、目撃情報の一つも入らなった。

 これは、正直に言って異常だった。

 考えられる可能性は、彼女は王都にはいないということ。

 精霊に見放された土地でたびたび目撃情報はあるものの、さすがにあの森で寝泊まりはできないだろう。だとすれば、近くで野営している可能性がある。


 目撃情報の間隔の短さからして、王都最寄りの街に出入りしている可能性も低い。だがそうなると補給の問題が出てくる。

 特に精霊に魔法を発動してもらうための対価は必須だろう。さすがにあの魔法技能に加えて卓越した剣技を身に着けているとは考えにくい。


 いや、あの女の異常性を考えればおかしいことではないだろうか。

 そもそも、魔法使いが一人であの森に入って無事でいられるのがおかしいのだ。彼女は実は魔法使いである以前に戦士だったとなればまだ納得できなくもない。


 さらに騎士を捜索に動員したかったが、これ以上は陛下や王妃殿下に気づかれる可能性があった。

 さすがにそれはうっとうしい。特に第二妃に知られると面倒だ。彼女は常に私のあらを探し、些末な言動の一つをあげつらうのだから。己の発言が、息子たちの王位継承の可能性を下げているとは、低能な頭脳では考えもつかないらしい。

 だが、鬱陶しいことこの上ない。


 そもそも、第二王妃と第一王子ではその立場が違う。

 上位者である私を侮辱することの意味を理解していないような女が妃になるのだから、この国は、あるいは陛下は狂っていると言わざるを得ない。

 まあ、古の契約のせいで無能を妃にもらっのだから、私と陛下は同じ星の巡りあわせにあるのかもしれない。

 貴族の力関係は面倒だ。たとえ低能でも、勢力図の均衡を保つためには、意味のない過去の契約に基づいて無能を妃にしなければならない。

 こんなどうしようもないことで対立派閥に後ろ指をさされる気はない。


 ……陛下が第二王妃と子どもを作らなければまだましだったのだが。


 幸い私と第二、第三王子との年齢差は大きい。

 男児が国を継ぐ以上、おそらく私の王位継承は確実だ。何しろ、あの忌々しい妃の存在が、私の継承を盤石なものにしている。

 彼女が政治に口を出せる状況を、タヌキ爺たちは許さないだろう。

 おそらくはそう遠くないうちに私は王太子になる。


 まあ、そんなことはどうでもいい。

 問題はファントムだ。


 彼女が王都に一度も足を踏み入れていないなどということがあるだろうか。

 騎士の捜索に問題がある可能性はある。

 騎士は人探しのプロというわけではない。犯罪者の捜索なら得意だろうが、一人で危険地帯を散歩するように歩く女の行動原理を理解できはしないだろう。


 第一、私とてあの女のことが全く理解できない。


 ……この手の話に精通した男はいるのだ。それも、私の右腕的な地位にいる。

 正直なところ相談したくはない。

 だが、このままでは一向にファントムが見つかる気配がない。


「……毒を食らわば皿まで、か」


 断腸の思いで、私は性悪な右腕、エインワーズに相談を持ち掛けることにした。







「……ぷ、くく、ははははははははははははは!」


 私の相談の概要を聞いて。

 開口一番、エインワーズは呵々大笑した。それはもう、涙がにじむほどに、腹を抱えて笑い転げた。

 そのうちに笑いすぎてせき込み、わき腹が痛いと文句を言ってくる。


 ああ、本当に相談する相手を間違えた。


 にやにやとした笑みが鬱陶しい。

 その、すべて理解したとばかりに納得の色を浮かべた瞳が気に入らない。


 まさかこれだけの情報でファントムにたどり着いたというのか?


「さて、それで王子殿下のご慧眼では、そのスミレの乙女はどのような人物なのかな?」

「……その前に、スミレの乙女とは何だ?」

「いやなに、若い女性を捕まえて亡霊ファントムと呼ぶのはオレとしては許しがたいからね。いいだろう?スミレの乙女」


 まあ悪くはない。あの瞳の涼やかな淡い紫は、彼女の気品と気高さを象徴したような色だ。


「それで、殿下の考えではーー」

「私の考えでは、『スミレの乙女』は貴族か商人、あるいは元貴族で出奔した戦士の娘だ。言動からにじみ出る生まれの良さと若くしてあれだけ魔法を扱えるという条件からはそのあたりが妥当だろう?」

「いいんじゃないかな。続けて?」


 この男は一体どんな目線でいるのだろうか。少しエインの思考回路が気にはなかったが、たとえ脳を覗いても理解できないものに思考を割いても仕方がない。

 続けろというのであれば続けよう。

 私を笑ったことは、しっかりと頭の片隅に刻んでおいたが。


「少なくともが王都にいないとは考えにくい。近くの街に出入りしていて王都を避けているというのもありえなくはないが、それにしては目撃情報が出る間隔が短すぎる。最短一日だ。だがあの森で寝泊まりしている可能性はない」

「だろうねぇ。どんな強者でもあの森に住むのは無理だよね」

「そうだ。だとすれば、彼女は何らかの方法で王都に潜伏しているというのが最も可能性が高い。そして、そのようなことが可能だとすれば、高位貴族の妾腹の子ではないかという結論に至った」


 にやにやといやらしい笑みを浮かべるエインは何も言わない。間違っているのか?


「どうした。これが答えではないのか?そもそも本当にお前は正解に行きついているのか?」

「それはもちろん。さすがに王子様に知ったかぶりできるほど、オレは肝が太くないからねぇ」

「肝が太くないなど、どの口が言っているんだ。ペラペラと軽薄なことをまくしたてるこの口か?女の口説くのにさぞ優秀な口か?」

「ちょ、口説いていないって。ねぇ、最近マリーに告げ口しなかった?どうにも彼女がオレに射殺すような目を向けてくるんだよね。オレはマリー一筋だっていうのに、ひどい誤解だよね」

「だったらまずはその口調を改めるんだな。私は気にしないが、この会話を聞いている者がいれば間違いなく眉を顰めるぞ」

「どうだろうねぇ。意外と何も言ってこないよ。何せオレと殿下の中だからさ」


 パチン、と小憎らしくウインクなどして見せるエインがうっとうしいことこの上ない。

 以前、仕返しにこの男の婚約者に他の女性との仲を密告したのがまずかっただろうか。無名で投書したから私が犯人だと確信を持っているわけではないだろうが……何せ、この男は何を考えているかわからない。

 そもそも婚約者一筋だというのなら相応の言動をすべきだ。

 しかも気づけば話題を逸らされている。

 これはまた仕返しをすべきか?

 だが王子がそう何度もみみっちいことをするというのは問題か。


「……まあいい。そろそろ答えを言え」

「あれ、ひょっとしてかなり気が急いてる?珍しく貧乏ゆすりなんてしちゃってさぁ」


 いわれて気づいて、慌てて足を止める。

 どうしたというのだ。なぜこうも感情の制御ができない。


 まさか、あの女が私に呪いでもかけたのか?


「ぶっ、の、呪い!?く、はは!ああそうかもね、確かに呪いだ!」

「そうか、呪いか……さすがに騙されんぞ。それだけ笑っておいて何が呪いだ」

「いや、本当にこの手の話に疎いね。まあ環境のせいでそうならざるを得なかったんだろうけれど……運命ってものは不思議だよね。実にうまくできている。まるで神様がオレたち一人一人に道を示しているんじゃないかとさえ思えるよ」

「何を言っている?ごまかしていないでさっさと答えを言え。スミレの乙女はどこの誰だ?」

「答えを言うのはダメかな。別にそう大事にはならないだろうけれど、結婚を前に仲違いはしたくないからね……この王都に、騎士たちには絶対に見つけられない場所があるんだけど、わかるかな?」

「騎士たちが見つけられない……暗黒街か?」


 貧民街のさらに奥、凶悪犯罪者が巣くっていると噂のあの場所に潜んでいるのであれば捜索は困難だろう。王都への独自の侵入ルートなども握っているかもしれない。

 なるほど、あの女がそのルートで王都に侵入している、のか?


「いや、あっちはあっちで確かに手が出しにくいけれど、一応騎士が潜り込んでいるだろう?そうじゃなくてもっと近いところだよ。少なくとも、捜索という形では捜索できない」

「言葉遊びか?」

「いいや、そのままだよ。灯台下暗しってやつだね。……まだわからないの?」

「いや、さすがにそこまで言われれば予想もつく。王城、か?」


 「正解」とエインが指を鳴らす。

 だが、王城か。確かに騎士に捜索しろと言ってできるものではない。王城の最高責任者は私ではなく陛下だ。

 その居城にスミレの乙女がいるとすれば……ッ


「っ、ちょっと、殺気を抑えて」

「ん?ああ、すまん」


 感情が制御できない。

 その可能性は、ないと思いたい。けれど、否定できないのもまた事実。

 というよりは、私がこれだけ探しても見つけられずにいるということが、仮説に根拠を持たせている。


 私以上の力を持つ、協力者がいるのか?何者かが、スミレの乙女をかくまっている?


 だとすればその者との関係は……決まっている。


 「百面相」だと揶揄うエインワーズをにらみつけて黙らせる。

 肩をすくめる姿が憎らしい。この心の中に渦巻くどす黒い感情を、この男に吐き出してしまいたい。


「一応聞くけどさ、どんな盛大な勘違いをしたんだい?」

「勘違い?いいや、最悪の想定だ……最悪、なのか?」


 自分で口にして驚いた。

 私は、先ほど考えた可能性を「最悪」のものだと評価していた。そんなことは、王子として決して口にしてはいけないものだろうに。


 たとえ絶望的な状況にあっても国のトップとして威厳ある姿を保てるように己を磨いてきたこの私が、最悪などと語るとは。

 ……本当に、私は呪われてはいないのか?


「ああ、そっか。陛下の愛人だとでも考えたの?」


 またもや殺意が漏れたらしく、少しだけ青い顔をしたエインが視界の中で震えていた。

 こいつは頭は回るが、荒事は得意ではない。

 落ち着け、私は王子だ。この程度のことで動揺していてはいけない。


「まあ、その通りだ」

「いや、何さらっと流そうとしてるの?今オレに殺気を放ったよね?叩き切ろうとしたよね?無意識のうちに腰に手を伸ばしていたよ」

「気のせいだ。そもそも今の私は剣を帯びていないのだし気にするな……で、愛人ではないのか?」

「はぁ……違うよ。まあ行ってみればいいんじゃないかな?頑張って探しなよ」


 行くというのは、王城へ、か。もとよりエインとの話が終わったら帰るつもりではあったが、そうだな、もう用事も済んだわけだし早めに帰って捜索を始めるとするか。

 再び余裕を取り戻したエインの笑みが苛立たしい。


「……本当に、いるんだな?」

「もちろん。オレは、嘘はつかないって」


 そこで嘘「は」などと表現するあたりがいまいち信用ならない。嘘をつかずとも人の思考を誘導するなどたやすい。この男も、私も。


 そう思いながら、私は足早にナイトライト侯爵家を出て王城へと向かった。


 そこに、本当にスミレの乙女はいるのだろうか?

 わかるのはただ、私の歩みがいつになく速いことだけだった。

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