第3話 精霊のいたずら

「へぇ、精霊のいたずらか」


 聞こえてきた声に、慌てて背後を向く。

 そこには、燃えるような赤髪が美しい男性の姿があった。

 背は高く、目鼻立ちはひどく整っている。とろけるような黄金色の瞳は、じっとわたしの右手を見ていた。……というか、顔が近い。少し離れてほしい。

 関わりが少ないせいで、わたしは男性に免疫がないのだ。


「エインワーズ様!?」


 背後からアマーリエの素っ頓狂な声が聞こえた。

 うん、わかっている。目の前にいらっしゃるのはアマーリエの婚約者、ナイトライト侯爵令息だ。

 エインワーズ・ナイトナイト様。わたしなんて彼を前にすれば吹けば飛ぶような存在。比較にもならない高位の貴族のご令息なのだ。


 アマーリエが動揺していたのは少しの間だけ。

 次いで、射殺すような視線がわたしの背中に向けられる。


 大丈夫だよ、アマーリエ。わたしは友人の婚約者に興味を持つような下種じゃないから。

 ……エインワーズ様に関心を持たれてしまったみたいだけれど、少なくとも男女の色恋の類ではないと思う。

 だって、声音も表情も、どことなく面白そうだから。


 わたしの背後にいるアマーリエに気づいた彼は、気障なウインクをする。

 落ち着いて、アマーリエ。今のウインクはわたしにしたものじゃないから。


「やぁ、アマーリエ。少し待たせてしまったようですまないね」

「い、いえ。大丈夫ですわ……」


 いつも思うけれど、エインワーズ様を前にしたアマーリエは、それはもう可愛らしい。目に入れても痛くないほど……という表現は少し違う気もするけれど。

 真っ赤な顔でうつむく彼女の姿は庇護欲をそそる。

 甘い空気にあてられたわたしは今すぐにこの場から逃げ出したくて、けれど横にならんだアマーリエがちょいと袖をつかむせいで逃げられない。


「それで……確か、レティスティア嬢だったかな?」


 射殺すような目つきをしているのはわたしの気のせいだろうか。

 絶対、気のせいじゃない。だって、彼の目はわたしの袖元、アマーリエが握っているところに向けられているから。

 わたしは恋敵なんかじゃないですよ、なんて、今の彼の冷え冷えとした視線を前にしては言えなかった。

 まるで飢えた魔物の前にいるような気分。ごくりと唾を飲む音がやけに大きく聞こえて、二人にまで届いていないか心配になった。


「は、はい。クローディア・レティスティアです」

「うん。聞いていた以上に可愛らしい子だね。オレはエインワーズ・ナイトライト。エインでもイワでもワーズでも、好きなように呼んでくれていいよ……って、前にも会ったことがあったかな」

「いえ、ご挨拶させていただくのは初めてです」

「そうだよね。アマーリエがこれほど信頼を置いている令嬢を忘れるはずがないからな」


 やっぱり、敵意を抱かれているように見える。

 侯爵令息に睨まれればわたしや実家なんてあっという間に傾いてしまう。胃のあたりがひどく痛くて、けれどそれをぐっとこらえ、口元に笑みを貼り付ける。

 大丈夫だ。この程度の威圧、怒り狂った魔物を前にしたことを思えば大したことじゃない。……なんて、わたしはどうして社交の場で魔物を引き合いに出しているんだろう。


「……エインワーズ様は、この後アマーリエとご一緒に行動されるということでしたよね?」

「ああ、そうだね。まったく、アマーリエもだけれど、君も固くていけない。もっと気軽に呼んでくれていいのにね。貴族社会でのらりくらりとやっていくには、ある程度の柔軟さが必要だよ?」


 またしてもウインクが飛んでくる。今度は、わたしに向けて。

 こうしてみると彼はすごく遊び歩いているように見える。それでいてアマーリエ一筋なのだから、エインワーズ様も不思議な人だ。

 アマーリエと二人きりの時もこんな調子なのだろうか?


 ちらとアマーリエを見れば、強い眼差しで懇願された。

 彼のことを愛称で呼ぶのはやめてくれとその目が叫んでいる。うん、さすがにアマーリエに先んじて特別な呼び方をするなんてできない。


「木っ端貴族の身としてはエインワーズ様のお名前を口にするのも恐れ多いのですが……正直、こうして話している今もおかしな敬語が口から飛び出やしないかと緊張でいっぱいいっぱいなんです」

「ふふ、意外と面白いね。自分で木っ端貴族なんて言っちゃうんだ?まあ、やっぱり愛称では呼んでくれないよね……」


 顎に手を当てて考える姿も様になっている。

 本当に、神様は不平等だ。持つ者に二つも三つも与えてしまう。

 だから、狩りと魔法ばかりに熱中するわたしのようなおかしな令嬢が生まれてしまうんだ、なんていうのは少し責任転嫁がひどいかもしれない。


「まずはアマーリエからかな。ねぇ、もうオレたちは結婚するんだよ?いつまでも様付けっていうのは味気ないと思うんだけれど、どうかな?」

「どう……とは?」

「ほら、もう少し親愛を感じさせる呼び方があってもいいでしょ」


 今にも倒れそうなほど赤い顔をしたアマーリエが、わたしの袖を握る力を強める。

 エインワーズ様の視線も、一層鋭くなる。

 気分は針のむしろ。今すぐ逃げ出したくて、けれどさすがに余裕の無い今のアマーリエを狩人の前に置いていくのは忍びなかった。


「ああ、オレから変えようか。そうだね……ねぇ、マリー。オレのことはエインとかワーズって呼んでよ」

「……ぁ、え……」


 顔を真っ赤にしたアマーリエはパクパクと口を開閉するばかりで言葉が出てこないみたいだった。

 アマーリエには悪いけれど、耳まで真っ赤にして、目を潤ませて上目遣いにエインワーズ様をにらむ彼女は正直すごくかわいい。

 同性のわたしでも可愛いと思うのだから、エインワーズ様へのダメージは相当なものだった。

 うつむきがちだった彼女は気づいていなかったけれど、エインワーズ様はかなりだらしのない顔をしていた。貴公子らしさなんてどこかへ消えてしまって、わたしの中の彼の印象が「かわいそうな人」に上書きされてしまった。


 ごほんげふん、と咳払い。

 言ってくれるなよ、という強い彼の視線を前にして、わたしは壊れた人形のように何度も首を縦に振る。


「……まあいいや。マリーとは、これから夫婦としてゆっくりいろいろ変えていけばいいからね」


 ぺろりと真っ赤な舌で唇を舐めるエインワーズ様が目を怪しく輝かせる。ちらと顔を上げていたアマーリエはますます顔を赤くする。頭から湯気が出そうなほど赤面した彼女は、少し可哀そうに見えた。



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