第2話 アマーリエ
ガタン、と馬車が大きく跳ねる。お尻が痛い。
これだから馬車は嫌いだ。
街の中はともかく、街と街をつなぐ街道はひどく道が荒れている。しっかりと踏み固められていればいいほうで、場所によっては小石がゴロゴロしていたり、草のせいで車輪が滑ったりと危ないことこの上ない。
それでも他に道がないのだから選択肢は存在しない。そんな道を行かないと近くの街にもたどり着けないほど、わたしの家の領地は小さいし力が弱い。
お金がないから魔法使いをたくさん雇用して道を整備してもらうこともできない。
もう一度馬車が跳ねる。振動のせいで満足に話もできない。舌を噛んでわたしは学習した。
指を絡めて恋人つなぎをする対面の席のお父さまとお母さまの話は途切れることがない。懐かしい出会いやデートの話に頬を染める二人は、わたしをよそに完全に自分たちの世界に入っていた。
手持ち無沙汰で窓枠に肘をついて外を眺める。令嬢としては微妙なふるまいだけれど、今はだれも気にしてないからいいと思う。
馬車のスピードが落ちる。窓の向こうに列をなす馬車や人の姿が見える。
片道三時間かけてようやくわたしたちはレイニー伯爵の領都ガウスガロンにたどり着いた。
整備された道はお尻にやさしい。それだけでもレティスティア家とレイニー家の力の差がわかるというものだ。まあ木っ端男爵と今を時めくレイニー伯爵家を一緒にしてはいけない。
眼前に広がるガウスガロンが街だというのなら、わたしの家が治めるのはよく言って村、正直に告げるのであれば廃村レベルだ。
文明の差が大きすぎる。
視界に映るのは整備された街並み。石造りの建物は雨風を受けてもびくともしないだろう。通りに並ぶのは大きなガラス窓で店内を見せたつくりのお店だったり、レンガ調のかわいらしい建物だったりする。道の両脇にぽつりぽつりと立っているのは魔法のランプ。夜になると光りだすそれは精霊の宿り木と呼ばれる細工だ。
わたしたちのお願いによって魔法を発動してくれる精霊。そんな彼らが眠りながら光の魔法を発動し続けてくれる、精霊にとってとても居心地がいいランプらしい。蔓で編まれた鳥かごのようなそれはとても可愛らしい見た目をしていた。
実家にも魔法のランプはあるけれど、形がすごくいびつだし、何より精霊にとってあまり居心地がよくないのか、精霊が泊まったり泊まらなかったりする。おかげで日によっては真っ暗だ。そういう時に使う獣の油のランプは臭くてかなわないし、においがついてしまって翌日の狩りに影響するから駄目だ。
都会らしさが前面に押し出された街を歩きたい気持ちもあるけれど、残念ながらそんな時間はない。馬車は止まることなくまっすぐ目的地へと進んでく。
次第に窓から見える景色も変わっていく。並ぶ木々の緑が目にやさしい憩いの噴水広場を通り過ぎた先は、先ほどまでとは変わってひどく格調高い建物が並ぶようになる。そのすべてが貴族や有力商人の屋敷だ。たくさんの貴族がこぞって屋敷を構えるくらいには、このガウスガロンという街は発展している。
王国の経済を牛耳るレイニー伯爵家の力はすごい。
視界に映る馬車が多い。今日のお茶会のためにかなりの人が集まっているらしい。
でも、それも当然のことかもしれない。
「お母さま、確か今日は王族の方がいらっしゃるのよね?」
「ええ、そうよ。近くに足を運んでいらしたアヴァロン・ルクセント様がご出席なさるわ。珍しいわね、ディアがこの手のことに関心を示すなんて。ひょっとして、アヴァロン殿下に懸想しているのかしら?」
「会ったこともない相手に恋はしないよ」
「そうかい?かのお方はとても美しいというからね。姿絵だけで惚れる女性が数知れないということだよ。その容姿の割に浮名を流さない方だから、皆が自分こそはと夢中になるんだね」
「あら、みんなだなんて。私はビリー一筋よ?」
「ああ、ジャンヌ。僕も君以外は目に入らないよ。……愛しているよ、ジャンヌ」
お母さまの頬に手を添えたお父さまが柔らかく目じりを下げてほほ笑む。うるんだ紫の瞳がお母さまだけを映す。
流れるように二人の世界に入ったお父さまたちから目をそらして、わたしは近づいてきた屋敷の門扉を眺めながら考える。
アヴァロン・ルクセント様。
確か氷の王子と陰で呼ばれる、そのままずばり氷のように冷たい美貌が特徴的な王子様だったはず。
このルクセント王国には現在三人の王子様がいるけれど、下の二人はまだ十歳未満であり、このままならアヴァロン殿下が確実に次の国王になるといわれている。つまり、アヴァロン殿下の妻となるものは次期王妃であるということだ。
……うん、王妃とか堅苦しい生活がわたしにできるはずがない。第一、わたしに殿下のような方が目を留めるはずがない。
お茶会ではせいぜい目立たないように隅にいて、久しぶりに顔を合わせる友人たちと再会を分かち合おう。
「久しぶりね、クローディア」
「久しぶり、アマーリエ」
黒水晶のような美しい髪と瞳の色をしたアマーリエ・トレイナ伯爵令嬢と軽く抱擁を交わす。久しぶりに会った彼女はまた一段と胸が大きくなっていた。同じ年齢のはずなのに解せない。わたしだってそれなりに気を付けて生活しているのに。
瞳を揺らすアマーリエがわずかに耳を赤く染める。
「そんなに見ないで頂戴?」
「少しくらい分けてくれてもよくない?」
「よくないわね。貴女に分ける胸なんてないわ」
「……今日は『胸を分けるなんてどうやるのよ!?』って言わないの?いつもはそうするのに」
アマーリエお決まりのセリフがなかったことに目を瞬かせているわたしに、彼女は満面の笑みを浮かべる。幸福感に満ち満ちたその顔に、何やら随分とめでたいことがあったのを悟った。
「聞いてくれるかしら。わたくし、とうとうエインワーズ様と結婚することになったわ」
「おめでとう!」
頬を紅潮させながら告げる彼女は、風が吹けば空まで飛んでいきそうなほどに浮足立って見えた。
アマーリエがエインワーズ様と婚約してもう十年になる。幼少期から仲を紡いできた二人がとうとう結婚するというのはひどく衝撃的で、そしてとても喜ばしいことだった。
エインワーズ様はナイトライト侯爵家の長男であり、次期宰相候補として知られる方だ。十七歳にしてすでに王城で活躍している彼は、同い年のアヴァロン殿下の右腕として辣腕をふるっているらしい。
らしい、というのは、わたしにはエインワーズ様との直接の接点はなくて、ただ数度挨拶をしたくらいだからだ。わたしが知るエインワーズ様の話は、全てアマーリエから聞いたことだ。
幸せに身をくねくねとさせていたアマーリエは、わたしの視線に気づいて背筋を正し、コホンと咳払いして言った。
「クローディアもいい加減に相手を探しなさいよ。ずっと独り身でいるつもりじゃないでしょう?」
「結婚願望はある……のかな?というか、余計なお世話だよ。人のことを心配するよりも挙式のことなんかを考えたら?すごく忙しいんじゃない?」
「そうでもないわよ。お父様が張り切ってしまって、ナイトライト侯爵様と額を突き合わせてああでもないこうでもないと言い合いを続けているのよ」
まったくよね、と頬に手を当てながら告げるアマーリエには、これまでは感じなかった強烈な色香があった。
本当に、幸せそうで何よりだと思う。
「確か、ナイトライト侯爵家にはご令嬢がいないんだっけ?」
「そうね。だから実の娘のように可愛がってもらっているわ。おかげで昔はあまりかまってもらえないせいでエインワーズ様が拗ねてしまったほどだもの。頬を膨らませてそっぽを向くエインワーズ様も可愛らしかったわね……今ではもうなかなかそんな姿を見せてくださらないのよね」
「もうその話、耳にタコができるほど聞いたよ」
「そうだったかしら?……そうね。何度も話した気がするわ」
「そういえば、今日はアヴァロン殿下がいらっしゃるということだったけれど、エインワーズ様もいらっしゃるの?」
「ええ、会場で合流する予定よ。エインワーズ様を近づいてくる令嬢から守るためにも、今日のわたくしは最高の盾となるわ」
シャラン、と優雅に扇を開いて顔を隠すアマーリエは鋭い目でわたしを見てくる。威圧感は十分だった。
「そう……じゃあ今日は一人かな。他のみんなも忙しそうだし」
「だからパートナーを捕まえておきなさいというのよ。もし貴女が望むのであれば、傍流の令息を紹介してもいいのよ?」
「うーん。その人って、毎日狩りに出るような令嬢と婚約を結んでくれるような相手かな?」
「……無理ね。はぁ、狩りを控えるつもりは……ないのよね」
頭が痛いとばかりに額に手を当てるアマーリエを見ていると、さすがに少し申し訳なくなった。友人たちはみんないい人ばかりだ。特にアマーリエは家柄を気にすることなくわたしと付き合ってくれる貴重な相手だ。
アマーリエもお母さまも、すごくわたしを気にかけてくれる。それがうれしいやら恥ずかしいやらで、さすがに少し頑張って婚約相手を見つけようと覚悟を決めた。
こぶしを握ったわたしを見るアマーリエが、少し気落ちしたような顔をする。
「……そういえば、その手のこともあったわね」
「ああ、うん」
言いながら、わたしは右手に巻いたハンカチへと視線を向ける。それは昔、「精霊のいたずら」にあった時にできた傷を隠すものだ。
精霊のいたずら――それは魔法の後遺症のようなものだ。精霊にお願いをして奇跡の術をもたらす魔法だけれど、精霊は無償で魔法を使ってくれることはない。愛し子と呼ばれる特殊な人は別だけれど、基本的に魔法には対価を必要とする。
その多くは飴や果物などの甘いものだ。魔法を使った後、精霊にそれらをささげることで契約を完了させる。そうすることで次からも精霊に魔法を使ってもらえる。
それが魔法、正式には精霊契約魔法という奇跡の術の全貌だ。
対価さえあればおよそあらゆるイメージを現実のものにできる魔法だけれど、もちろん問題が生じることもある。対価の甘いものを持っていないのに魔法を使ったり、対価の価値に見合わない大きな現象を魔法によって引き起こしてもらったりすると、精霊との仲がこじれてしまう。あるいは甘いもの好きではない精霊に適切な対価をささげられなくて関係が悪くなることも、珍しいけれどないわけではない。
そうなってしまうと、願っても精霊が魔法を発動してくれなくなり、ひどいときには対価を払わない悪だとレッテルを張る形で「精霊をいたずら」と呼ばれるものを契約違反者にもたらす。
それは例えば、わたしの手の甲にある傷と同じだった。
精霊に嫌われた証である「精霊のいたずら」を身に負った者は、その血を引く者も精霊に嫌われた魔法をうまく発動できなくなる可能性があるとして、貴族間での婚約が困難になる。
実際に精霊のいたずらを身に受けた者の子どもが魔法を苦手とするなんて根拠のある研究は存在しなくても、精霊信仰の強いこの国では平民との婚約であっても、相手が理解者でないとこじれることが多い。
ちなみに、この国の精霊信仰は古の時代に王が精霊と約束して守護の契約とやらが成立したからだそうだ。
狩りばかりをしていて勉強をおろそかにしていたから、わたしは詳しいことは知らないけれど。
そういうわけで、精霊のいたずらを身に持つわたしの婚約は絶望的だった。
「大丈夫だって。別に今は精霊に嫌われているわけでもないんだし」
どこか憐憫を込めた目で見てくるアマーリエに、わたしはなんてことないと笑い返す。
そう、わたしは精霊のいたずらを手の甲に刻まれてしまったけれど、別に精霊に嫌われたわけではない。それどころか、魔法が上手なお母さま以上に魔法をうまく使える自信がある。
十五歳で一節だけの簡略詠唱ができるのは伊達ではないのだ。言葉にせずとも曲解なく精霊がイメージを受け取ってくれるから、わたしはむしろ精霊に好かれているのではないかとさえ思っている。
そんな風に胸を張っていたら、わたしの視界に影が落ち、その人物を目にとめたアマーリエが瞳をきらめかせた。
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