第19話 化粧〈場外〉

「おかえりなさい」

「ただいま」


 少女が座る小さく立派な椅子の隣にある、何人も座れる丈夫な革のソファに勢い良く座る。

 いや、雪崩れ込む、と言った方が近いくらいで、ソファが悲鳴を上げるように軋んだ。


「このやり取り、僕らがしたのは初めてじゃないか?」

 何だか慣れないよ、と金色で模様の描かれた天井を見上げつつ、ぼやく。


 少女はそれに言葉を返さず、ただ青年を眺める。

 変化を楽しむ観察者として。


「立場が完全に客側だな」


「まあ、そうね」


 たまにはいいんじゃない? といたずらっぽく、年相応に笑う少女に、青年もくすぐったそうな笑いを漏らす。


「どんな物語かって聞かないのか?」

 じゃれるように言った青年は、少女が浮かべた表情を見て自らの過ちを悟る。


「それは野暮ってものじゃないかしら」


 その通りだ、とすぐさま応じる。

 これだから男は、という顔はどうにも苦手だ。


 あ、と気の抜けた声を上げた少女に、青年は首を傾げかけ、ああ、と納得の意を示す。


 少女が人形のような重たそうな睫毛の乗った目を瞬かせる。


 色が、変わった。


 水のような青から、木のような緑へと。


 その子が、口を開く。


「俺らにとって、性別は何の効力もなかったな」


 パチリと、愛らしく瞬く。


 すると元の色へと戻っていた。


「ごめんなさいね。私としたことが、引きられていたみたい」


 仕方ないさ、と少し嬉しそうにする青年に、本当に物好きね、と呆れたような、それでいて甘いよく熟れた果実のような声を出す。


 椅子から軽やかに立ち上がり、本棚を物色すると、少しだけ眉をひそめた。


「また無くなってる……」


 微かに聞こえた物音。

 二人のものとは違うそれに、青年が電光石火の如き速さで立ち上がる。


 バン! と本の背表紙を掌で押さえる、というよりぶっ叩いた。


 本たちの動揺を表すように、一気に埃が舞い踊り、それと共に、黒く光の反射しない丸い球がころりと転がり出てくる。


「あら」


 それを少女は、何の躊躇いもなく、幼い足で踏み抜いた。


 先ほどとは比べものにならないほど大きな破壊音が、耳障りに響く。


 ギャリ、とヒールの可愛らしい靴が床と擦れ、音を立てた。


「何、覗き見てるのかしら」


 信じられないほど深い感情をのせて、絞り出すような怒りの声を出す。


「ここには、私と彼以外、いらないのよ」


 絶対ね、と笑う。


 人形のような、貼り付けたそれは、怒号より余程迫力があった。


 ふっと、光を反射していたガラス玉が色を失う。

 鼓動がなくなったような変わりように、少女の肩がゆっくりと下がった。


「めんどくせぇな」

 毒づく様子はもう完全に大人の男性のもの。フリルの付いた服が心許なさそうにしている。


「リリス」


 ギョロリと擬音の付きそうな厳しさで、目が青年に向けられる。


「リリス」


 もう一度繰り返すと、少女は徐々に剣を潜めていった。


 のんびりと、椅子に腰掛け、深々とため息をつく。

 その肩にふわりとスカーフを被せ、青年も席へと戻った。

 刺繍の散りばめられたそれを少女は指でなぞる。

「これ、とっておいたのね」


「ああ」

 きらりと青年の目が喜びを帯びる。


 にこりと乙女の笑みを浮かべ、少女は青年に手を差し出した。


「次の本をちょうだい?」

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月とりんごとお姫様 碧海雨優(あおみふらう) @flowweak

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