秘めた恋心

紗久間 馨

それぞれの気持ち

「あっつー。タイキの部屋、なんでエアコンないの?」

 ホクトがTシャツの襟元をパタパタと動かしながら言う。

「いや、ホクトの部屋もないだろ」

「あははっ。たしかに」

 ホクトは注いだばかりの麦茶を飲み干した。俺は再びグラスに麦茶を注ぐ。


「ホクトさあ、なんか元気なくない?」

「ん、あー・・・・・・。分かる?」

 先週からホクトの元気がないように見え、話を聞くために夏休みの宿題を口実にして家に誘った。

「分かるよ。小さい頃からの付き合いだし。なんとなくだけど」

 ホクトとは家が隣同士で、幼稚園の頃から家族ぐるみで付き合いがある。高校生になった今でも仲が良い。


「まあ、ちょっとね・・・・・・」

 ホクトの返事は歯切れの悪いものだった。

「俺でいいなら、話聞くけど」

「あー・・・・・・。ああっ! もうっ!」

 ホクトは急に大きな声を出し、両手でぐしゃぐしゃと頭を掻いて、テーブルに突っ伏した。

 俺は何も言わず、ただホクトを見ていた。


「この前の日曜さ、海に行ったじゃん」

 ホクトがゆっくりと話し始める。

「うん」と返事をして、その日のことを思い出す。二人で映画館に行く約束をしていたが、「夏だし海に行こうぜ」というノリで行き先を変更した。

 電車とバスを乗り継いで、二時間ほどかけて海を見に行った。砂浜を走るとかではなく、海を見ながらソーダを飲んで「夏っぽいな」などと笑い合った。俺はそれだけで充分に楽しかった。


「あの時、見ちゃったんだ」

「何を?」

 俺の問いかけに、ホクトは答えにくそうにしている。沈黙が流れ、うるさいくらいに蝉の声が聞こえる。扇風機の回る音が掻き消されるほどに。


「絶対に秘密にするって約束できる?」

 ホクトの潤んだ目が真っ直ぐに俺を見つめる。

「うん。ほら、『秘密』って漢字には『必ず』って字が入ってるだろ? だから、俺は必ず守るよ」

 俺も真っ直ぐにホクトの目を見た。


「だよな。タイキはそういう人間じゃないよな。うん」

 ホクトは自分自身に言い聞かせるように言った。

「えっと、遠山先生と近藤先生、不倫してるかもしれない」

 二人は俺たちの通う高校の教師で、遠山先生は英語、近藤先生は数学を教えている。遠山先生は独身だが、近藤先生は妻子持ちだ。

「えっ? 本当に?」

「これ、見ろよ」

 ホクトはスマホの画面を俺に見せた。そこには車の中で寄り添う二人の姿が写っている。学校から遠い場所だからと油断していたのだろう。

 俺はそんな写真を撮っていたことに気づいてもいなかった。


「俺さ、遠山先生のこと、すげえ好きなんだよ。俺なんか相手にしてもらえないって分かってるよ。でも、よりによって不倫とかさ。もう、俺、無理だわ」

 ホクトは今にも泣き出しそうな顔をしている。俺はかける言葉を見つけられない。ホクトの遠山先生への気持ちには気づいていた。けど、知りたくないと思っていた。


 蝉の声に鼻をすする音が混じり、ノートに涙がポタポタと落ちていく。俺は隣に移動し、ホクトの背中をさすった。






「遠山先生ってカワイイよな」

「ホクトの好みは年上の女か」

「や、カワイイって言っただけだし」

「はいはい」

 いつかの会話が蘇る。きっとあの頃から好きだったのだろうと推測できる。たしか一年くらい前のことだ。夏の暑い日で、放課後にアイスを買って帰った記憶がある。


 ホクトは英語の成績だけはすごく良い。遠山先生に質問する姿を何回も見てきた。学年が上がって担当が変わっても、遠山先生に話しかける理由を作っていた。

 そのたびに俺の心はキュッと締めつけられた。


「タイキは? 誰か気になる人とかいないわけ?」

 ホクトは俺をからかうように尋ねた。

「そういうの興味ねえし」

 俺は軽く笑いながら返した。


 興味あるのはお前だけだよ。


 ホクトに抱いている気持ちが恋心であると自覚するのには時間を要した。分かった時には、俺自身が困惑した。






「不倫するくらいなんだから、相手が生徒でもいけるんじゃね?」

 俺の口からやっと出た言葉は酷いものだった。

「なんだよ、それ」

 ホクトが俺をにらむ。その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。

「その写真を見せて『バラされたくなかったら付き合ってよ』とか脅してみれば?」

 本当はこんなことを言いたいわけじゃないのに、好意を向けられる遠山先生がねたましくてどうしようもない。

「お前っ! なんでそんなこと言うんだよっ!」

 ホクトが俺の胸を手のひらで何度も叩く。俺はその腕を掴んで抱き寄せた。

「じゃあ、どうしたいの?」

「どうもできねえよ。マンガとかドラマみたいに、先生とどうにかなるなんて、ありえねえだろ。俺、遠山先生のことを困らせるようなことなんかしたくない。でも、好きなんだ、本当に」

 そう言って、ホクトは声をあげて泣いた。俺は包み込むように強く抱きしめた。


 今ここで、マンガみたいに押し倒して無理矢理キスをしたって、ホクトの気持ちが俺に向くことはない。嫌われて、友達でもいられなくなる。

 好きな人を困らせたくないのは同じなのに。俺は酷い言葉を吐いて、大好きな人を傷つけた。


「ごめん。本当に、ごめん」

 俺は泣きながら謝った。

「なんでお前も泣いてんだよ。ってか、力強すぎて痛いわ」

 ホクトは続けて「ありがとう」と言って俺の背中をポンポンと叩いた。


「俺こそ、ごめんな。すっげえ泣いてカッコ悪いし。でも、タイキのおかげで、なんかちょっと元気出たわ。ありがとな」

「なら良かった。ホクトが元気ないと、俺まで調子出ないんだよな」

「なんだよ、それ。ははは」

 ホクトの笑い声が耳元で響く。


 汗ばむ肌と伝わる体温。このまま離したくない。ずっとこの時間が続けばいいのに。


「タイキが友達で本当に良かった。これからもよろしくな」

「俺も、だよ。ホクトは俺の、大切な友達だから。俺にできることならなんでもするし、もっと頼ってくれていいんだぜ」

 俺は平静を装って、軽く冗談みたいに言った。瞬間、グラスの中で氷がカランと音を立てる。


 だから、ずっと俺の傍にいろよ。


 その言葉を心の中にしまい込んだ。

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秘めた恋心 紗久間 馨 @sakuma_kaoru

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