第二話
服数着と私物と僅かな金を持ち、私は城下町に下りた。王だと気付かれないよう目深にフードを被り、猫背になって大通りを歩いた。道の両端には店が立ち並び、町は人々の声が行き交い、とても賑やかだった。
しかし私は、その活気の良さにも気付かなかった。
右を見ても、左を見ても、どこに目をやっても侮蔑する民たちが視界に入る。
(私はこれから、本当にここに住むのか。再びこいつらと一緒に生きるのか……。
屈辱だ! こんなところで暮らせるか! 国の為に働いた私が、たかが腕の一本をなくしたくらいで王を辞めさせられた上に城から追い出されるなど、納得できるか!)
身体の一部がないくらいで自分の存在価値が下げられてたまるかと憤り、歯を食いしばった。
私は堪らず歩みを止めた。このまま歩き続ければ、自分が彼らと同じだと認めてしまう。彼らの中で生きることを認めてしまう。自分の人生を諦めることになると。
だが、止まったところでどうするのだと、もう一人の自分が問いかけた。
私が自分の足を見つめて立ち止まっていると、誰かが近付いて来た。
「どうしたんだアンタ。具合でも悪いのか?」
通りすがりの者だったが、私は目もくれなかった。返事を返さないと、男は肩を触ったり顔を覗いてきたりしたが、言葉を交わしたくなかったから黙っていた。
そうしていると、私に気付いた他の民も次々と近寄って来た。
「どうしたんだい。何か困ってるのかい?」
「財布でも落としたか?」
「何だ。何かあったのか?」
「おい、みんな。どうしたんだ?」
最初の一人を無視した所為で、民に囲まれてしまった。それぞれが語尾に疑問符を付けて話しかけてくるが、ただの不愉快な雑音だった。
私はついに、その状況に苛立ちが増し、
「煩い! 私に近付くな!」
怒鳴って威嚇し、囲んでいた人々を押し退けて走り出した。誰かが尻もちをしたような気がしたが、全く気にしなかった。
悪夢を振り切るように走り、適当に脇の細い道に入った。そこでまた立ち止まり、座り込んだ。
そこは、民家の間の日陰の路地だった。薄暗く陰気で、人気もなかった。
「屈辱だ……屈辱だ……!」
(こんな現実、絶対に認めない!)
震えるくらいに右手を握り締め、何度も地面を殴った。持て余した感情の行き場が、そこしかなかった。
数時間、そこから動かなかった。だんだんと腹が減ってきたが、手持ちは一週間分の食費くらい。食事をしたかったが民に混じるのが嫌だったし、国外に出たくても旅費にすらならない。
家も食べ物も持たない私は、働かなければそのまま野垂れ死ぬしかなかった。
(私はこれから、どうすればいいんだ……)
途方に暮れるということを、最悪の人生の始まりで知った。
私は日陰の路地に留まり続けた。腹の音が煩かったが、唾を飲み込んで幻聴だと自分に言い聞かせた。
岩のようにじっとしていると、また誰かが私に気付いて近付いて来た。
「ねえ。どうしたの?」
顔を上げると、十歳に満たないくらいの少年だった。右腕がなく、背中に籠を背負っていた。
「私に構うな」
「そんなこと言われても気になるよ。何でこんな所にいるの?」
「構うなと言っただろ。話しかけるな!」
相手は子供だというのに、私は大人気なく怒鳴って睨み付けた。
少年は私の顔を見たが、何の反応も見せなかった。国王退位の触れは出ているだろうが、さっきの大人たちも気付いていないようだったし、片腕がないからよく似た別人だと思ったんだろう。
「そんな怖い顔しないでよ……あ。わかった! 腹が減ってるんだ! だからそんなに不機嫌なんだ!」
「腹など空いていない! 今すぐ私の前から去れ!」
「よかったらうち来なよ。うまいものたくさんあるからさ!」
怒鳴られたことなど意に介さない少年は、私の右腕を力強く引っ張った。
「触るな! 離せ!」
「いいから、いいから。遠慮するなって」
子供の腕力を甘く見ていた私は、少年によって路地から引っ張り出され、そのまま活気の中を歩かされた。
また雑音が煩くなり、視界の端に生き生きと仕事をする民たちの姿を見た。
「父ちゃん母ちゃんただいまー。お客連れて来たよ」
「お帰り。誰を連れて来たんだ」
「知らない兄ちゃん」
「おい。ここは何だ」
「オレんち。魚屋なんだ」
連れて来られたのは、少年の両親が営む魚屋だった。店頭には魚や貝が並んでいて、客が夕飯を考えながら品定めをしていた。
少年は両親を私に紹介した。父親は右腕がなく、母親は左足の半分が木製の義足だった。気さくに挨拶をされたが無愛想な私は返さず、目も合わせなかった。
「ねえ。この兄ちゃん腹空かせてるみたいだから、何か食わせてやってよ」
「腹空かせてるなんて、あんちゃん金持ってねぇのか。何かやらかして、家追い出されたのか?」
「何もやらかしてなど」
「まあ、男が勘当されるなんて、何処の家でもあるさ。ちょっと待ってな。今、メシ作ってきてやっから!」
私を、勘当されて追い出されたどこぞの不肖の息子だと勘違いした少年の父親は、店頭から魚を適当に選び、奥に引っ込んだ。
「この近くに海はないだろ」
この国は大陸の内部に位置するから、海からは距離がある。近くで漁場となりうるのは、私が行った別荘近くの川くらいしかない。しかしこの商店には、川で見たことのない魚も並んでいたからそう聞いた。
「海のやつと川のやつ、半々くらいかな。父ちゃんたちは夜中に家を出て、海で魚を捕って朝戻って来るんだ。川のやつは罠を仕掛けてあるから、もっと捕るのは楽だけどね」
「釣りに行って獲れるのか」
「釣るんじゃなくて、引き網漁だよ。成果は見ての通りさ。まぁ、日によるけどね」
私は身体的ハンデの意味で聞いたのだが、少年は意味を勘違いして答えた。
自分たちで捕りに行っているのが、信じられなかった。城でも、海で捕れた地魚だと言われて魚料理を食べていたが、そんな訳がないと決め付け、隣国から輸入しているんだと思っていた。
私は、他の民を見回した。
(じゃあ。こいつらみんな、同じように……?)
「オレも時々、付いて行って手伝ってるんだ。腕だけじゃなくて、足も片方なんだけどね」
少年はズボンの左の裾を上げた。彼の左足の半分は、母親と同じ木製の義足だった。
「お前、片足もなかったのか」
「気付いてなかった?」
ズボンで隠れているし歩いている時も自然だったから、全く気付かなかった。
「そう言えば兄ちゃん。魚好きだった?」
「……嫌いだ」
こうなった忌々しい出来事の所為で、できれば魚は見たくもなかった。
そのうち、料理ができあがったと言うので呼ばれた。民の家に上がるのは躊躇したが、ほのかに匂ってくる食べ物の香りに負けて、店の奥の住居に邪魔した。民家の間取りは、何処も似通っている。だから数年振りに入った途端、両親と住んでいた実家を思い出した。
出されたのは、焼き魚と野菜の炒め物と汁物だった。城で出されていた料理と比べると、かなり期待値は下がった。味付けもシンプルそうだし、そんなにうまくはないだろうと思いながら、一口目を口に運んだ。
「……うまい」
「新鮮な魚使ってるから、うまいだろ」
少年の父親は自慢げに言った。気が進まなかった筈が、私の手は止まらなかった。
それは当然だった。腹が減っていたせいもあるだろうが、国王だったとは言え、生まれは彼らと同じ普通の家庭。私も同じような味で育てられたのだから、まずい訳がなかったのだ。
食事を全て平らげ満足すると、私を勘当された息子だと勘違いし続けている一家から、暫くここにいればいいと言われた。
断りたかったが、金はない。しかし、何処か屋根がある寝泊まりできる場所を探さなければならない。実家を思い出したが、さすがに帰れない。メシを出してくれた一家にも、悪意はなさそうだった。
私は冷静になり十分考えて、ひとまずこの家で居候させてもらうことにした。
ところが空いている部屋がなく、少年と同じ部屋で過ごすことになった。相部屋だとは思わず、拒絶したくなったのを堪えた。
魚屋一家で住まわせてもらうことにはしたが、私は心を開けず、外に出る気にもなれず、毎日部屋に籠もってばかりいた。
二階の窓からは、遠くの丘の上の城がちょうど見えた。未練を断つことができない私は、いつか戻りたいと願いながら見つめた。時には町の様子を眺め、片腕片足で働く民たちを見下ろしていた。
「兄ちゃん。昼メシ持って来たよー」
少年は毎日、私にメシを持って来てくれた。いつもなら、床にトレーを置いてすぐに店の手伝いに戻るのだが、この時は珍しく話しかけてきた。
「ねえ。いつも部屋にいて退屈しない?」
「しない」
「ふーん」
居候をすることにした私だが、一度一緒に食事をしたくらいでは、私の心の扉は開かなかった。寝食する場所を与えてもらった恩義すら感じておらず、一家と顔を合わせて食事をすることもなく、必要最低限の会話しかする気はなかった。
私の気持ちを察してか、一家も無理に距離を詰めて来ようとしなかった。そんな風に互いの距離感を保ちながらも、共に過ごしていくうちに彼らの人となりは少しずつわかってきていた。
私は外を眺めたまま、少年に問いかけた。
「なあ。お前たちは何故、いつも笑っているんだ」
「何でって……楽しいから?」
「楽しい? その身体で満足していると言うのか?」
「うん。だって、この身体は生まれつきだし。大変そうに見える?」
「苦労してないのか」
「まあ、他の人よりはちょっとだけ大変かもしれないけど。オレ、特殊みたいなんだ。普通は父ちゃんか母ちゃんどっちかのが遺伝するんだけど、オレは両方のをもらっちゃったらしくて」
「そんなことがあるのか」
「他の国でもたまにいるらしいよ。父ちゃんと母ちゃんも責任感じてるみたいだけど、オレちゃんと生きてるし、どうにかなってるから気にしないでって言ったんだ。
実際、みんなこんな身体だけど、お互いに助け合ってるから大丈夫なんだ。困ったことなんて全然ないんだよ。だから誰も暗い顔をしてない。きっと兄ちゃんも、この町に馴染めるよ」
「私が、この町に馴染む?」
「兄ちゃん、どっか別の国から来たでしょ」
「何故そう思った」
「左腕、包帯してるの見えたから」
生まれつき欠けた部分には、もちろん包帯など巻かれていない。だから私のことを異邦人だと思ったのだろう。
異邦人と遭遇しても、自身の身体のことを誤魔化そうともしない。誤魔化すことすら難しいのだろうが、恥ずかしく思わないのかと、精神の図太さに半ば呆れた。
「旅してるの?」
「そんなところだ」
「やっぱりそうなんだ! 異邦人に会ったの初めてだよ!」
興奮した少年は、異邦のことを色々と聞いてきた。ここからどのくらい離れているのか、どんな国か、どんな食べ物があるのかと。
私は、知っていることと作り話を織り交ぜながら話した。実のところ、外交はしていたが、一切国外に出たことはなかった。異邦の王や大臣にはわざわざ来てもらい、城で会っていたのだ。
やがて、親から配達を頼まれた少年は下へ降りて行った。
(私にはわからない)
私にあったものがなくなった。左腕半分に、国王という地位。少年は馴染めると言ったが、普通になったという不自由さは、この時はまだ受け入れられなかった。
滞在も長くなり、魚屋の一家とも話す機会が増えていった。けれど私の日々は変わらず、部屋から城を眺めたり、町を見下ろすだけの時間しか過ごしていなかった。それだけ考える時間が必要だったのだ。
そして、世話になり始めて三週間ほどになる日。私は珍しく部屋を出て、営業中の店まで出て行った。
「あら。どうしたの?」
女将と大将が私を見て、驚いたような心配するような顔をした。そんな二人に、私はこう言った。
「わ……私に、何かできることはないか」
その時の私の、一世一代とも言えることを口にした。感情は込もっていないし、相変わらずの無愛想だっただろうが、それが精一杯だった。それでも、私の気持ちを聞いた二人の表情はみるみる変わった。
「何だ。手伝ってくれるのか」
「毎日メシをもらっているばかりでは、借りを作ってしまうだけだからな」
「よっしゃ! じゃあ見習いとして働いてもらうか!」
「そうね。あと一人いてくれると、あの子の勉強時間も増えて助かるわ」
その日から私は、魚屋で働き始めた。
まずは魚の名前を覚えた。川魚しか知らなかったから種類の多さに驚いたし、日によって並ぶ魚が違うから覚えるのに少し苦労した。
それから、
接客はそれらが慣れてから始めた。どうやら私のことは、人付き合いが苦手な人間だとも思っていたらしく、配慮して後回しにしてくれた。
熟考して決めたこととは言え、初めてで慣れない仕事の上に、たくさんの民との接触で最初はストレスを感じていた。しかし、コミュニケーションを重ねていくうちに、私の中の価値観は次第に変わっていった。
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