第1章 298年の時を越えて
01 勇者伝記
剣が軽い。
勇者はそう思った。
調子がいいのだ。体が言うことを聞いてくれる。
今まで何回かこのようなことがあった。
自分の理想の動きをそのまま実行できる感覚。
「シィ──ッ!」
一つの線を描くかの如く、剣が宙を走る。
そして、勇者の剣は魔王の胴体を切り裂いた。
「よしッ……!!」
鈍色の鮮血。死を前にした魔王の咆哮に身体が震える。
それでも勇者は止まらない。
このまま連撃を重ねれば、確実に魔王を殺せる。その自信があった。
「……ッ?」
だが、勇者に走るのは緊張と違和感。
その時に──まずい──と。勇者は本能的になにかを感じた。
そして違和感の正体にすぐに気付く。
魔力の流転がおかしいのだ。
本来ならば防御や攻撃に割り振られるはずの余力を使わなかった。
それはつまり、魔王が殺されると同時に何かしようとしている、ということ。
「お前ら、離れろ──」
ボロボロになった仲間に引けと命令し、自らも一歩後退しようと思った瞬間。
――ドスッ。
背中に違和感が走る。
「はっ……?」
それがじわと感覚を狂わした。
背中になにかが刺さったのだ。
「なにが――」
勇者が振り返り見ると、そこには笑みを浮かべる
その手には短剣が握られている。
「おまえ、なにして……」
勇者は抵抗をしようとしたが、異人種は剣をさしこんだままグンッと背中を押した。
意図的に後退が出来ぬようにしたのだ。
「ッ~!!」
魔王がなにかしようとしている。
だが、後退は出来ぬ。
――ならば、勇者が取れる行動は1つのみ。
勇者は口から血を吐き出しながら、体を翻した。
(ここで魔王を倒さねば――)
民に平和が訪れないのだ。
汎人類に危険が及ぶのだ。
異人種に裏切られた。援護は期待できない。
つまり、頼れるのは自分自身の体のみ。
支えてくれた民たちの顔が思い浮かぶ。
稽古を付けてくれた剣聖。最後に立ち寄った村の子どもたち。
「みんな――私に力を貸してくれ」
王女のくれた首飾りに熱が帯びた。
必ず帰ってきてくださいという強い願いが込められた首飾りだ。
「汎人類に栄光を――ッ!!」
この戦いを己の力だけで幕を下ろす。
剣の柄を握る力を強め、勇者は前に踏み込んだ。
「ウオオオオォオオオオオオオオ!!」
一撃目。
魔王の鋭利な爪によって弾かれる。
だが、その程度で止まる勇者では無い。
即座に二撃目に動く。
魔王ですら反応ができぬ速度で、勇者の剣が駆ける。
「ここでっ、お前を必ず倒す! 魔王――ッ!!」
二撃目が魔王の胴体に突き刺さる。
手から血が滴るほどの渾身の力で剣を握った。
「ウオオォオオオオオ!!」
その剣が魔王の体を突き抜けたその瞬間。
魔王の首から上が──頭が──目前に迫った。
大きな口によって、勇者の視界が覆われる。
「くそッ……」
勇者は己の力を振り絞り、魔王を殺した。
だが、それと同時に。
勇者は魔王の手によって封印されたのだった──……。
──パタリ。
「うう……勇者さま、やばいぃ……いつみても感動するぅあ~……ズビッ」
涙を流し、その少女は分厚い黒革で製本された【勇者伝記】を撫でた。
「これが史実なのが本当に信じられない! 本当にやばい!」
青い血である勇者は、仲間たちを連れて魔王退治の旅へ出かけた。
しかし、仲間たちの裏切りによって、魔王に封印をされた。
だが、勇者が魔王を倒したことで人は増え、国が栄えた。
勇者は封印されてもなお、人々の背中を押し、生きる希望を与えてくれたのだ。
これほどの人物は今後の人類史に現れることはないだろう。
「異人種が裏切らなかったら、勇者さまは……」
やはり、汎人類以外は信じられない。異人種なんて信用するべきではないのだ。
この『勇者伝記』は真人類の代表である勇者が魔王を倒す物語であると同時に、異人種に裏切られ、命を落としたことを示す『異人種との決別』を綴る物語でもある。
そんな『勇者伝記』は世界で最も売れた読み物だ。歴史教育にも用いられている。
「もう1回読み直そうかなぁ……生誕した所からでも良いけど、剣聖に稽古を付けてもらってる所とか凄く良いんだよなぁ……徐々に強くなってる所とか! 好きな所だけ読むのもありかな。……うん、アリ!! 全然アリ! 剣聖と稽古、旅の所、最初の魔族との戦闘で仲間を救う所! いや、最初から読もう!」
閉じたばかりの本を開き、最後から1ページまで戻りながら本の匂いを堪能。
スゥと空気を吸いながら満足げに頷いて、さぁ、読むぞというところ。
「──失礼する! 蔵書番はいるか!!」
「わぁっ!? な、なんだい! ビ、ビックリしたなぁ!」
暗がりだった蔵書に廊下の光が差し込み、ホコリが舞った。
「いるんだな!? どこだ!?」
「ここだよー! ここ! ここにぃ……!」
机と入口までは距離があり、その間にある積み上げられた本や本棚が視界を遮る。
手を振れど、声を上げれど、男には気づかれない。
「机にいるよおー……!」
「急ぎ身支度をしてください!」
「うえぇ? わ、わかったけど! 急ぎね! えっと、えっとー……!」
本を踏まぬように受付から体を出し、セーターを仕事服の上から羽織る。
光源の角灯を片手に本棚からひょこと顔をのぞかせると、声主である男が見えた。
「なになになにさ、お待たせしたことは謝りますけど」
燕尾服に身を包んでいる男性は彼女を見て、眉間にシワを寄せた。
「暗い所で書物を読むと目が悪くなりますよ?」
「勇者伝記のクライマックスの雰囲気には合ってるからね。それに私はコレでも目が良いのだ!」
なんて意味のわからないことを【本の虫】に眉間をもんだ。
「あなたはご自身の身の上を考えて──」
「考えてるよぉ! でも、こればっかりは譲れない! 勇者さまは推しだから! 世界救ったんだよ! 魔王倒したんだよ!? 目の前に現れたら全財産を叩いて色々としてもらいたいくらいさ!」
「……まぁ、良いです」
「それで、なんだい! 私を呼ぶご要件をお聞きしても?」
ジトと上目遣いで聞かれて、燕尾服の男性は表情を強ばらせた。そういえば急ぎの用事だったのだ。
「陛下がお呼びです! 急いでください」
「王様が!? なんでだろー……私がなにかしたかな……」
チラッと入り口横の姿見に写った自分の顔を見て、目の下のクマに触れた。
「うげ……こんなので王様に会うのやばい」
「化粧の時間はありませんよ」
「歩きながらします〜。そこまで手のかかる女じゃありませんから」
燕尾服の男性は部屋から出て行くので、それについていく。
入口の近くにあった化粧ポーチを携え、器用に目の下のクマを消していく。
「それで、なんで、私が王様に呼ばれるんですか〜? 良い子でいましたけど。新しい魔道具の作成とか?」
女性の質問に男性は止まることはせず。
急いでいるのだと背中で語りながら。
「勇者が目覚めたらしい」
たった一言。
「ほぇ……っ?」
だが、その一言だけで何が起こったかは理解できた。
「勇者サマが、目覚めた……?」
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