高崎消防士長のコンセント

牧村四郎

第1話(完結)

(パキッ)


 コンセントから嫌な音がしたと思った。予告指令が鳴った時点で救急隊が出動することは分かっていたため、確認する暇はなかった。今日高崎は救急隊隊員だった。


 どうなっているのだろう、何とか誤魔化さなければいけない。出動後の現場活動はいつも通り、決まった役割通りに体は動いた。現場で傷病者意外のことを気にするほど、高崎に余裕は無い。しかし傷病者を病院へ搬送した帰りの救急車内で、高崎は気が気でなかった。何とかしなければいけない。仮眠室のコンセントを壊したのは、ほぼ間違いなかった。帰署途上の救急車内で隊員は特にすることがない。隊長と機関員は隊長席と運転席に座っていて隊員は新型の感染症を予防するためにビニールで仕切られた後部に座っているため、話をすることはほとんどなかった。


「高崎、静かだな、寝てないだろうな」


「え?あの、大丈夫です」


 コンセントの負い目があるため、声が上ずってしまった。水瀬隊長が疑し気にこちらを見てる。


「いやマジで大丈夫ですスミマセン、考え事してました」


「そうか、まあいいけど」


 そう言ってから前を向いて機関員の森士長と喋り始めた。森士長は水瀬隊長のお気に入りだから、しばらくは話しに夢中だろう。高崎は活動服のポケットからスマートフォンを取り出し「コンセント破損コンセント修理」で検索を掛けた。


(バレないうちに自分で直せば大丈夫だ。夜のうちが勝負だ、朝になったら作業は不可能、次の班が来たら、仮眠室の点検が入る。見逃される可能性は低い、やはり夜のうちに作業しなければ)


 高崎にはどうしても隠蔽したい理由があった。今使用している仮眠室はカーテンで仕切られるだけの大部屋から、半個室への改修を終えたばかりなのだ。そのうえ先日、改修した仮眠室を1週間で破損させてそれを隠した職員がいたことで署長が怒鳴り散らしていたのを見ている。


 「なんで報告ないんだ!新しい仮眠室は先週完成したばかりなんだぞ!藤野を呼べ!そこを使っていたのは藤野なんだろう、いいから早く藤野を呼べ」


 高崎は自分のことでないにも関わらず震えあがっていた。穏やかな署長が部下を怒鳴るのは滅多にないことだった。


 検索している最中、署長の声と(パキッ)という音が頭の中に響いた。検索が終えた時、高崎はがっくり肩を落とした。コンセントの交換には資格が必要ということだった。


(でもバレなければいいんだ。犯罪を犯すのと署長に怒られるのであれば、犯罪を犯す方がまだマシだ)


 高崎は隠蔽工作することを決め、その決心が着くと同時に、救急車も消防署に到着した。


 


 確かに壊れてる。深夜2時57分、高崎は消防署に戻った後まず確認をした。出動前の深夜1時22分、スマートフォンの充電をしながら仮眠をしていた高崎は夢の中で「カチ」という音を聞いた。この消防署では予告指令が流れる前に放送機器が始動する音がする。極々小さな音だが、職員は熟睡していても頭の中でこの音がした瞬間に目を覚まし心の準備を終わらせ、1秒後の予告指令に備えるのだ。


 予告指令が流れた瞬間、高崎は自分の腕に充電器のコードが巻きついていることに気付かずに跳ね起きた。コードが引っ張られ、そのままコンセントプラグが外れてくれればよかったのだが、その日は多少の抵抗と共に嫌な音がした。


(パキッ)


 明日には間違いなくバレる。先日の藤野の一件があり、登庁した際に仮眠室の点検をするようになっていたのだ。ご丁寧にチェック表まで作成してある。


 今日救急隊じゃなかったら。充電しながら寝なければ。とりとめのないタラレバが頭の中に浮かんでは消えたが、そうしていても何も解決はしない。早急に隠蔽工作をしなければいけなかった。高崎はドライバーを持ち出すために油庫へ向かった。


 油庫は目の前が喫煙所となっている。この消防署は職員の8割が喫煙者であり「出動から帰署した際は休憩時間でなくても喫煙しても良い」という暗黙の了解がある。喫煙者は出動から帰ると報告書を作成するよりも活動の検討をするよりも、まず喫煙所に向かう。まして今は深夜3時、出動後であり尚且つ仮眠時間であり、普段喫煙を咎める人間も仮眠中である。喫煙所に人がいるのは当然だった。


 (森士長だ)

高崎は安堵した。森士長は高崎より歳が一つ上、入庁したのが3年先の先輩で、高校が同じだった。少し頼りないが優しく穏やかなので下っ端の神と呼ばれている。何か小さなミスでも次の日には盛大な背びれ尾びれ付きで全職員に知れ渡るような職場だったが、森さんはそんな職場にあっては珍しくミスを面白おかしく人に話すようなことはしなかった。


「お?どうしたのザキさん、喫煙所来るなんてめずらしいじゃん、まあ一服やんなよ」


「すみません、モリさん、吸いません」


そういうと森士長は人懐っこい笑顔で笑った。「すみません」と「吸いません」を繰り返す、森士長と高崎の恒例の挨拶だった。


「で、どうしたの。話しにでも来たの」


「いや、違うんです、実は仮眠室を破損させちゃったみたいで」


 森さんは目を見開いた。藤野が仮眠室を破損させた件で怒鳴れたことを森さんもしっているからだ。森さんは署長がまだ副署長だった頃に厳しく指導されていたせいもあって、署長を恐れていた。


「それはまずいよザキさん、こないだ藤野が怒鳴られてたばっかりじゃん」


「そうなんですよ、マジでヤバいです。それでこっそり隠蔽できないかなと思ってドライバーを取りにきました」


「隠蔽か、正直に話しちゃった方がいいと思うけど」


「僕も正直そう思います。でも足掻けるだけ足掻いてみようと思います」


「うん、何か手伝えることあったら言ってよ」


「いえ大丈夫です、モリさんに迷惑掛けられないので」


 必ず何か手伝えないかと聞いてくれる、下っ端の神である所以だ。


「あ、一つだけ」


「なんだい」


「駄目そうなら報告するので、怒られたら慰めてください」


 森さんは煙草を吹かしながら笑った。


「任せて」


 


 ドライバーを確保し仮眠室へ戻った高崎は作業を開始する前にコンセントの形状を確認した。そもそもこの仮眠室のコンセントと形状が合うものが2階に無ければ隠蔽工作は不可能だ。1階は仮眠している職員が煙草を吸うために起きてくる可能性があるから、作業ができない。


 隠蔽工作は僅か10分程度で終了した。改修した仮眠室はコンセントも新しいものに改修され、20年近く前に建築された庁舎とは別の型式のものを使用していた。高崎は憂鬱な気分になった。この消防署で物を壊すということは、上司に怒鳴られ、同僚から白い目で見られ、噂される。特に、仕事を後輩に投げ暇を持て余している中堅職員が後輩にマウントを取る際に好む話題であった。


「お疲れ様です」


「おー、お疲れ様、どうだった」


「駄目でした」


「そうだよな、まあしゃあないでしょ、やっちゃったものは」


「ですね」


返事をしながらドライバーを戻した。


「モリさん、僕はもう寝ます。おやすみなさい」


「もう少し話そうよザキさん」


「すみません、眠いです」


「薄情者め」


 森さんは言いながらスマートフォンの操作に戻った。これも恒例のやりとりだ。帰る前に灰皿に山のように積まれた煙草の吸い殻を見た。明日の朝後輩があれを片付けてなかったら指導しなければいけないがコンセントを破損させた手前指導するのもばつが悪い。後輩の指導は高崎の仕事の一つだが、上司に怒られる姿を見せるとそれがやりずらくなるのも気が重くなる要因だった。


 仮眠室に戻り「破損したのは勘違いで実は壊れていなかった」という淡い期待を込めてコンセントを確認したが、コンセントの割れによるズレは先ほどよりも大きくなっているように見えた。破損させたコンセントから「逃げるな」と言われているようだった。帰りの車内でスマホを見続けていたせいで残りの電池が減っていることに気付いたが、充電をして寝る気にはならなかった。


 


 外が薄っすら明るくなり、目が覚めた。時刻は6時20分、起床時間の10分前だ。毎日同じ時間に目覚まし時計をセットすると音が鳴る前に起きてしまう人は多い。高崎も目覚まし時計が鳴る前に目が覚めるタイプだ。起床後から8時30分の退勤まで残り2時間はこの職場では消化試合のようなもので、普段起床後の気分は良いのだが今日は最悪だった。壊れたコンセントを薄目で見た。昨日のことを思い出したが、もう誤魔化す方法が無いことは理解していた。高崎はやけくそのような10分間の二度寝をした。


「おはようございます」


 起床後は朝飯を食べて食堂や庁舎の掃除をして過ごす。この時間に仕事をする職員は稀だ。高崎は稀な職員で普段はこの時間も事務をしていたが、今日だけは事務ができなかった。副署長に報告するタイミングを伺っていたからだ。


「ザキさんおはよう、もう報告したかい」


森さんが心配して話しかけてきた。


「いや、まだです。タイミング伺ってます」


「うん、早めの方がいいよ」


「ですね、ありがとうございます」


 早めの方がいいのはわかっていたが、決心はまだできなかった。なるべく怒られずに済むようにしたかったが、そんな方法が無いことはわかっていた。


 食堂に行くと、副署長が朝飯を食べていた。早く報告しなくてはいけない。心底憂鬱になりながら、高崎は話しかけた。


「副署長すみません、お話があります」


山野副署長はギョッとした顔をした。こんな思いつめた雰囲気で畏まって話しかけられたら誰だってそんな反応になる。


「どうした高崎」


「すみません、昨日深夜の出動時に、仮眠室を破損させてしまいました」


「そうなのか」


 副署長の返事は思いのほかあっさりとしたもので、高崎は拍子抜けした。


「それじゃ署長に報告しないとな、何を壊したんだ」


「コンセントです」


「コンセント、コンセントなんてどうやって壊すんだ」


 その後出動時に起きたことを話し、署長が登庁した後に報告することになった。無論、誤魔化そうとしてドライバーを持って庁舎内をうろついて回ったことまでは話していない。


 署長の登庁時間まであと少し、覚悟を決めなくてはいけないときだった。


 


 署長は自分の話を聞いてくれる部下を常に探している。同じ話を延々と繰り返しするため職員から厄介者扱いされていたが、高崎は署長の人柄が好きだった。そして高崎は10回聞いた話しでも初めて聞いたかのような反応ができるため、署長から気に入られていた。その署長から叱責されることを高崎は恐れていた。


「署長、よろしいですか」


山野副署長が自席に座り報告書を眺めていた署長に話しかけた。


「ああ、ちょっと待ってくれ」


 署長は身長185センチ、体重95キロ近く、定年間際で年相応に脂肪はついているが骨太で筋肉の塊のような体つきをしている。そのうえ顔も強面だが外見に見合わずメンタルが繊細で部下からの評価を常に気にしているというアンバランスな人物だった。


「どうした山野」


 報告書を机に置き、巨体を揺らしてこちらに向き直った。署長は初め山野副署長に目をやり、その後にちらと高崎を見た。その瞬間署長の顔つきが少し変わり、高崎の心拍数が跳ね上がった。前日当務隊の副署長が明けの朝に部下を引き連れて署長に話しかける。それは職場で問題が起こった際に行われる儀式のような光景だった。遠くの方で仲の良い先輩が心配そうにこちらを見ていた。職員はこの配置を見るだけで、何が起こったかはわからずとも何かが起こったことはわかるのだ。


「本日、深夜1時20分頃に救急出動したのですが、その際に高崎が仮眠室のコンセントを破損させました」


「コンセントか、また珍しいもの壊したな。まあいいや、とりあえず報告書を作っておいてくれ。いや今日はお前ら明けか、次でいいや」


署長も思いのほかあっさりとしていた。怒鳴られると思った高崎はまたしても再度拍子抜けした。一瞬気の抜けた表情になってしまったことに気付き、高崎はすぐに頭を下げた。


「すみませんでした」


顔を上げると、署長は怒っている様子もなく、むしろ満足げな顔をしていた。


「いいんだよ高崎、ちゃんと報告してくれればそれでいいんだ。こないだ仮眠室を破損させたけど報告しなかった職員がいてな、その時俺は怒った。でもそれは仮眠室を壊したことじゃなくて、報告しなかったことに怒ったんだ。隠したりせずにちゃんと報告してくれればいいんだ、後はこっちの仕事だ」


「はあ、でも私の不注意ですみませんでした。これからは仮眠室で寝る際に充電しないようにします」


「そうだな。でもすぐに報告してくれた。偉いぞ高崎。ああコンセントだけど使えないように被覆だけしといてくれ」


高崎はポカンとしたまま、はあと声を上げた。


「高崎、もういいぞ」


山野副署長が場を納めた。


「了解しました、戻ります」


事務室のある2階から、食堂や休憩所がある1階に戻ると、森士長が高崎を待っていた。


「ザキさん大丈夫か、署長にぐちぐちやられなかったかい」


「はい、大丈夫でした。全然怒られませんでした」


「珍しいな、あの署長が」


「署長基本優しいじゃないですか、今日は緊張しましたが」


「ふうん」


 署長に良い印象を持たない森さんは納得がいってないようだった。


「前に藤野が大怒られしてたので緊張しましたが、よかったです。穏やかでした」


「そっか、まあザキさんが怒られなかったなら何でもいいや。帰るよ」


「ご迷惑ご心配おかけしました、ありがとうございました森さん」


「うん、お疲れ様」


 報告書は次で良いと言われたので被覆を施したら後は帰るだけとなった。マジックで破損と書いた養生テープを貼り付けながら、壊れたコンセントを見て高崎は考えた。


 今思えば、そもそもこんな隠蔽工作なんて危険すぎる。電気設備を資格もなしに触るなんて恐ろしいことだ。配線むき出しの状態で指令が鳴ったらどうするのか、もしその指令が火災だったら長時間帰って来られない。招集された他の職員もこの仮眠室に入る。そもそも、もし適当な電気工事をして万が一に火災でも発生したらどうなるのか。消防署が火災を起こしたら、自分の首が飛ぶだけでは済まないだろう。


 そこまで考えて、高崎は署長に怒られる恐怖心のせいで冷静にものが考えられなくなっていたことにゾッとした。それと同時に、正直に話せば行われるのは口頭注意と事務処理だけだということにも気付いた。


(俺は小学生か)


 他の職員からはしばらく揶揄われるかもしれないが、高崎は大切なことに気付けた気がした。何か問題を起こしたら素直に報告、謝罪。当たり前の事だ。


 


「高崎さん、すみません」


 あのコンセントの破損から数か月たったある日、朝の点検で高崎は後輩に呼ばれた。深刻そうな顔をしている。これは、物を壊した顔だ。高崎には続く言葉がわかっていたが、知らぬ振りをした。


「うん、どうした」


「あの、ちょっと資機材破損させちゃったんですけど、どうしましょう」


「どうしましょうって、やっちゃったものは仕方ないだろ。いいよ、俺も一緒に副署長のところに行くから」


「何とか誤魔化せませんかね」


「そういうのはよくないよ。大丈夫、ちゃんと報告すれば署長も副署長も怒られないよ」


「すみません、お願いします」


「とりあえず、モノみせてよ」


「はい、これなんですが」


 不安そうに破損させたものを見せた後輩に対して、高崎の表情は曇った。高崎の表情をみて、後輩は泣きそうな顔をした。面体の破損だ。これまで何度も破損させ、署長が口酸っぱくして取り扱いについて注意していた装備品だった。


「ごめん、これは無理だ。絶対に怒られる」


「何とかなりませんか?」


「ならないよ、諦めろ。大丈夫、怒られたら慰めるから」



終わり

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高崎消防士長のコンセント 牧村四郎 @robita_m

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