本気の恋
真田紳士郎
本気の恋
私は彼女に本気で恋をした。
本気で彼女のことを好きになってしまったのだ。
彼女のことを話そう。
彼女はとてもよく笑う人だ。暖かな春の陽射しのような笑顔。笑った時にチラリと見える八重歯が印象的だった。
いつも上機嫌で楽しそうに日々を過ごしている。
彼女が不機嫌そうにしているところを私は一度も見たことがなかった。
人懐っこい性格で、誰とでもすぐに仲良くなれてしまう。
初対面の相手とも物怖じせずに喋ることができる度胸と愛嬌とを併せ持ち、誰からも好かれている。
彼女は人気者だ。彼女の周りにはたくさんの人がいる。
なかなかその輪に入っていけず遠巻きに見ている私の姿を見つけると、彼女はいつも微笑みを投げかけてくれた。
歌うことが大好きで、よくみんなの前で歌を披露している。
私はすこし鼻にかかった彼女の甘い歌声の
聴衆から大きな拍手が起きると、彼女は嬉しそうに深々と頭を下げていた。
とても礼儀正しい子なのだ。
……これは内緒のハナシなのだが、
実は歌の途中で、私と彼女との間に秘密のやりとりがある。
歌詞の中に「キミ」とか「あなた」というフレーズが出てくる時、
歌いながら彼女はそれとなく私に指差しをしてくれることがある。
私が驚いて目を丸くすると彼女は悪戯っぽく笑うのだ。
そんなことをしてくるくらいなのだから、彼女も私のことを特別な存在だと思ってくれているのは間違いないだろう。
私はもっと彼女と親密になりたい。
だが事はそう単純ではなかった。
私たちには時間がないのだ。
◆
「ねぇ。一緒に写真撮ろう?」
二人きりになった途端、彼女が甘えるような口調で言った。
私よりも小柄な彼女が上目遣いに見つめてくるので、あまりの愛らしさに私はドギマギとしてしまった。
彼女は私の持っているスマホを鮮やかな手際で奪い取り、インカメにして構える。
私が遠慮して彼女との距離を詰められずにいたら、
「もっとこっちに来て。そうじゃないと入りきらないよ」
と笑いながら
隣りに立つと彼女のいい香りが漂ってきて心拍数が跳ねあがった。胸の鼓動が聞こえてしまうんじゃないかと思う近さだ。
肩と肩とが触れ合うほどに寄り添ってシャッターを押す。
私たちの思い出の写真だ。
「うん。いい感じに撮れてる」
画像を確認しながら彼女はニコッと八重歯を見せて笑った。
その無邪気な表情がますます好きにさせるのだ。
私にスマホを返すと、彼女はいつものように私に手を差し出してきた。
言葉はなくとも彼女が手を繋ぎたがっていることは察せられる。
私はゆっくりと強すぎない力で彼女の手を握った。
彼女の手のひらは柔らかくてあたたかい。
私たちは、ふたりきりで居る時はいつもこうしているのだ。
「君が好きだよ」
まっすぐに彼女を見つめて私が言う。
今までに何度も伝えてきた言葉だ。
「うれしい。私も、私を好きでいてくれるあなたが好きよ」
彼女はそう返してくれた。
「それならば……」といつも思う。
だがこれ以上は踏み込めない。
ふたりの関係性を今より前に進めようにも、それは難しいのだ。
私たちには時間がない。
手を握りながら言葉を交わす中、背後には常に不穏な気配を感じていた。
分かるのだ。
私たちふたりの間を引き裂こうとする魔手が、すぐそばまで迫ってきていることを。
残された時間は少ない。
まもなく来るであろう避けられぬ別れ。
その不安を振り払うように私は彼女に言葉を紡いだ。
「必ずまた逢いに来るからね。決して君に寂しい思いはさせないよ」
「うん。いつもあなたを待ってる」
私の言葉に彼女は心からの笑顔を見せてくれる。
気持ちが通じ合えたように思えて、私は大きな幸福感に包まれていた。
ずっとこうして居られたらいいのに……。
しかしそんな願いも空しく、ついにその時が訪れてしまった。
魔手が来たのだ。
……もう終わりだ。
誰もそれから逃れることはできない。
魔手は音もなく背後から忍び寄り、
私の肩にがっちりと指を食い込ませてくる。
そしてついに、私と彼女は引き裂かれてしまったのだ。
「はい、お時間でーす。ありがとうございましたー!」
ピピピピッ、ピピピピッ。
タイマーの音がイベント会場内にけたたましく鳴り響いた。
もう時間か……。
沈みそうになる気持ちをぐっと抑えて、私は彼女に笑みを向けた。
「絶対結婚しような!」
私からの熱烈な申し出に彼女は、
「うんっ。おっけー」
と、指で
そのまま魔手に剥がされて、とうとう私と彼女は離れ離れになってしまった。
彼女と次に会えるのはまた来週末である。
ここまで読んでくれた賢明な読者諸君なら、
私と彼女が間違いなく両想いであることを理解していただけたと思う。
だが彼女のその特殊な職業柄、
私たちは付き合うことができないのである。まだ。
本気の恋 真田紳士郎 @sanada_shinjiro
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