第20話 残り火
◆
ヌラは生前、自身の掌には自分の無力さや悲哀が染みついているかのように感じていた。彼の心にはうすら寒い虚無が広がり、そこはかとない悲しみが日々精神を侵食していくのを自覚していた。
ヌラの自責の念は他責で然るべき事柄にも及ぶ程に強かった。
何が金等級なのか。
何が二つ名持ちなのか。
ひよっこ一人を守れずして何が、何が。
彼は冒険者としての才能に溢れてはいたが、その気質は致命的なほどに冒険者向きではなかったのだ。
だから彼は教え子が愚かで悲しい不慮の死を遂げた際に冒険者を引退したのだ。
当時、彼が所属していた一党のリーダーであるエルファルリもそれを止める事はしなかった。
彼女はヌラの才を惜しんだが、しかしその内面の繊細さにも気づいていた。
だが彼は再び戦場へ戻った。
彼は自身の弱さゆえに一度戦場から逃げ出したのだが、故郷を、街に残してきた友人、知人…仄かに想いを寄せる少女を護ることから逃げ出すほどには弱くなかった。
とはいえ、結局仲間達を守る事が出来ずに死んだのだが。
いや、ヌラが殺した。
死を前提とした作戦を推し進めたのは彼だ。
これは矛盾しているように見えるが、決して矛盾してはいない。
なぜならその作戦を実行しなければ人死には街にも、あるいは街の外にも及び、死者はいや増すばかりだったからだ。大を生かし、小を切り捨てるその冷徹で合理的な結論があの場で瞬時に出たのは、やはり彼の冒険者としての才覚が故だったのかもしれない。
そして彼の予想通りに、彼らは悉く死んだ。
そも、過去の人魔大戦でヒトが勝利してきたのは、その人数差が大きく影響しており、ヒト側の戦力が魔族側のそれを大きく上回る事がなければ"こう"なって当然ではある。
しかし、ヌラを始めとした精鋭冒険者達は仮初の命を経て、再度戦いの盤へと上る。
自身の命を勝利への必要経費だと割り切るような彼らではあるが、それでも死ぬ事は恐ろしいのだ。
当たり前の話ではある。
誰も死んだ事などはないのだから。
経験のない事は恐ろしい。
それでも死に向かって歩んだのは、自身の死が彼ら個人個人にとって大切なモノ…例えば家族、例えば友人、故郷…そういうものを護る為の一手となる事を知っていたからである。
◆
魔力でコーティングされ、金属製の全身鎧ですら容易に貫通するほどに硬度を高められた氷柱が、冷たい死の弾幕となって冒険者達へ襲い掛かる。
一般的なクロスボウの威力は魔力の保護がない重装備の騎士の鎧を一撃で貫通する程度だが、ヒルダの放つ氷柱はその比ではない。
ただただ貫通するのみならず肉体へ食い込んだが最後、炸裂四散し、仮に腹部にでも受けようものなら上半身と下半身がちぎれ飛ぶだろう。
◆
女剣士ケイは眼前に迫る氷柱を、首を傾ける最小限の動きで回避した。それは非常にきわどい回避で、氷柱はケイの頬肉を削ぎ落す。
ケイは凝縮した時間の中、自身の小指を血で濡らし、唇へ紅を引いた。白い頬が裂けた様はいかにも痛々しいにもかかわらず、艶めかしいケイはただ只管に美しい。
そしてケイはヒルダの左腕を斬りつけ、傷つけるという誉と引き換えに、ヒルダの氷装から放たれる極低温の冷気により全身を凍り付かせ、腕の一振りで粉々に打ち砕かれてしまった。
◇
ヌラはその様子を悲しみと共に視界に捉え、同時にヒルダの隙につけこむ事も忘れなかった。ヒルダの腕はケイが傷つけていたが、その傷に更にヌラが短刀を突きこみ、抉る。
ヒルダの僅かな身じろぎがヌラに強大なヒルダの命も不滅不朽のものではないと教えてくれた。
しかし追撃はできなかった。
ヌラに放たれた鋭い蹴りは、ヒルダの足甲の鋭い刃物のような装飾のせいで凶悪な破壊力を帯びており、ヌラは両の脚を一度に切断されてしまった。
ヌラの叫びが響く。苦しみながら彼は倒れ込み、出血多量で枯れるように死んでいった。
◇
マハリは冷静だった。
ケイとヌラの死にもいささかも怖気づくことなく、爆炎弾をヒルダに撃ちはなった。
ヒルダは回避しようとするがかなわない。
ヌラの死骸が…その手がヒルダの足首を握りしめていたからだ。彼女の火の玉はヒルダの氷の鎧に命中し、爆発し、一部を溶かすことに成功した。
しかし次弾を撃つべく詠唱を始めていた所、背後から襲い掛かってきた“犬”に脇腹を大きく食い破られその場に倒れ伏した。
白い雪原に紅い華が咲く。
◇
「私やヌラじゃどうにもならなくない?」
死んだ筈のケイがうんざりした表情で傍に立つヌラに言う。
ヌラもケイに負けじと劣らずうんざりした表情だ。
近接戦闘を主体とする彼らと魔将ヒルダとの相性はすこぶる悪い。
「私は良いのですけどね。それでもあのワンコが執拗に狙ってきて敵いませんよ。胴体に開いている沢山の目…あれは恐らく魔眼の一種ですね。魔力の多寡を感知しているのでしょう。だから私が狙われるのでしょうね…」
マハリが眉尻をへにゃりと下げながら言った。
「それは魔力のせいじゃなくてさぁー、この!お尻!のせいじゃないの?お肉いっぱいつけちゃってさぁ!」
ぱちーんとケイがマハリの尻を叩いた。
きゃあとマハリがお尻を押さえる。
ヌラはちらちらと横目でマハリの尻を見ていた。
◇
彼らは確かにヒルダに鎧袖一触に殺された。
しかし彼らは生きて談笑なぞをしている。これはどういう理屈なのかといえば、ポーの遺した術の力だ。
・
・
・
「貴様等…」
ヒルダは冒険者たちが何度も蘇る姿に、わずかな恐怖を覚え始めていた。
魔族が人間に恐怖するなどあってはならない事だった。
しかし、僅かな恐怖を上書きするほどに賞賛の念もある。
「見事!」
叫びながら、背後から奇襲しようとしてきた冒険者の男を振り向きざまに斬り捨てる。
その腕には見るだけで背筋を凍り付かせるような鋭い刃が形作られていた。
ヒルダの大剣は氷装を構築する触媒となってしまったが、彼女は全身のどこからでも刃を作り出す事が出来る。
「あちらを見るに、あの悍ましい骨の魔術師もお前達人間が滅ぼしたようだな。感謝しよう。…ふふふ、視えるか?聞こえるか?死者達の…私の部下達の囁きが私には聞こえるぞ。仄暗い影が天へ昇っていくのも視える。次の生でも相見える事が出来ればいいが。私はこれでも部下思いでね、自分で言うなと思うかもしれないが」
ヒルダはどこか嬉しそうに言う。
その声色には紛れも無い感謝の念が滲んでいた。
ラカニシュに冒涜的な生を与えられた魔軍の戦士達は、永遠に続く偽りの夢から解き放たれ、次の生を得る為に輪廻へと還っていった。ヒルダはその事に感謝しているのだった。
ヒルダは俯く。
ヌラ達はこの隙に攻撃する事も出来たが、話を聞く事にした。話の流れ次第では戦うことなく退いてくれるかもしれないとおもったからだ。
ヌラ達の目的の第一は大切なモノを護ることで、ヒルダ達を皆殺しにする事ではない。
だがその目論見は当然のようにあっさりと御破算となった。
顔をあげたヒルダの眼には、これまでにない猛々しい戦気が漲っている。明らかに“やる気”だった。
「お前達は劣等ではなく、まさに戦士の中の戦士。認めよう、我らが宿敵だと」
パキパキと音を立てて、大気中の水分が凝固していき、ヒルダの手元に巨大な一本の得物を形成していった。
それは巨大な斧槍(ハルバード)だ。
「宿敵よ、この私がお前達が死に果てるまで、てずから殺し続けてやろう!それが戦士への礼儀だろう」
ヒルダの頭上でぶぅんと斧槍が振り回され、地面へ石突が叩きつけられる。
そうなるよなと思いつつ、ヌラはゆるりと短剣を構えた。
――まぁ、勝負は見えているが
ケイ、マハリも各々戦闘準備をする。
◆
そう、勝負は見えていた。
命と引き換えにすれば、最低でも一撃は加えてくるような相手がいたとして、それが10でも100でも、ヒルダならば跳ね除けただろう。
しかしその限りに終わりがなければ?
仮初の不死を得た冒険者達と魔軍との戦闘は、最初は一方的に冒険者達が殺されていたが、次第に戦況が冒険者側へ傾いていき…
・
・
・
「…私一人か」
周囲を見渡してヒルダは呟いた。
その声色には怒りはない。
ラカニシュに部下達を嬲られた時には激昂したヒルダだが、冒険者達との戦いで殺されるというのはそれとは話が違う。
「お前達は無限に蘇ってくるように見えるが、しかし痛みは感じているんだろう?」
ヒルダの問いに、ヌラは頷いて答えた。
「ああ、凄く痛い。それこそ死ぬ程な」
ヌラの返事を聞いたヒルダは苦笑を浮かべた。
「体を削れぬなら、心を削ればよいと思っていた。が、かなわなんだ。まあいいさ。戦士の死に方としては上等だ」
ヒルダの口から血が溢れる。
彼女の体は傷だらけで、いくつかの傷は心臓にすら届いていた。ヒルダは最後の魔力をつかって出血を抑えているのだ。
「あんたは強かったよ。…俺達はみんな死んじまった。殺された回数…10から先は覚えてねえな!」
大柄な男がヒルダに言う。
ちなみに彼はヒルダを後背から奇襲しようとして一撃で殺された男だ。
その姿は足元から消えかかっていた。
「ああ。しかし…みんな死んじまうとは。敵も味方も。だーれも残ってない。でもよ、普通そう言う戦場はろくでもないんだが…」
斥候の男が顎に手をやり、何かを考えている。
「…後味は、悪くはないかもな」
斥候の男が言葉を思いつかないようだったので、ヌラが続きを答えた。ああ、それそれ、という斥候の男の肩をポンと叩き、ヌラはヒルダの前で腰を落とす。
ヒルダはいつのまにか倒れ伏していた。
いつ死んでもおかしくない状態だが、まだ辛うじて生きてはいる。
「俺達もあんたらも皆死んだ。おあいこだな。次に生まれて来る時は同じ陣営だといいんだが。あんたに殺された回数、50やそこらじゃきかないぞ」
ふ、とヒルダは笑う。
「そ、んな事をいいながら…最後に、わたしの胸へ短刀をつき、たて…たのは、お前、だろ、う。…あ、あ、そう、だ、わた、しの名前、は…ヒルダ…リア…」
その言葉を最期に、ロウソクが燃え尽きるようにヒルダは眠るように死んだ。
ヒルダの最期を見届けたヌラは周囲を見渡す。
既に“いなくなっている”者もいるが、ヌラは構わなかった。行き先は同じだろうから、と。
「行きましょう」
マハリが言う。
ケイはマハリと手を繋ぎ、歩を進める。
一歩一歩ごとにその姿は薄くなり…
「ヌラ!あんたもきなよ。滅茶苦茶な作戦を立ててごめんなさいってさぁ、団長に謝れ!」
ケイがヌラにそう言うと、ヌラは苦笑しつつ頷き、ケイは最期にヒルダの骸を見つめて言った。
「じゃあな、ヒルダリア」
・
・
・
そして、戦場からは誰もいなくなった。
§§§
後日
シュバイン・バリスカ伯爵率いる帝国軍は、冒険者達から報告を受けた。これは戦場へ乱入する前に、ヌラが街へ派遣した別働隊だ。
バリシュカ伯爵も帝国貴族として、当然ラカニシュの事は知っている。その封印解除が何を意味するかも。
「残った冒険者達を救いに行く!仮に彼らが全滅していたならばその仇を取る!敵は昔日の魔術師、ラカニシュ!そして魔族!相手に取って不足は無かろう!」
伝令を受けたバリシュカ伯爵は直ちに出陣し、封印の地へと向かった。到着までは約1日半、相当の強行軍だった。
IFの話になってしまうが、仮にヌラ達が自身らだけで戦場へ介入する事を躊躇し、街へ戻って帝国の援軍を呼ぼうとしていた場合…ラカニシュは魔族達を“幸せに”してしまい、更に力を高め、ヌラ達と合流した帝国軍が到着した頃には手がつけられないほどに強大な存在と化していただろう。
そして帝国と精鋭冒険者達は鎧袖一触に蹴散らされ、ラカニシュの糧となった。
ラカニシュと魔軍を同時に撃退するには、まさにあのタイミングしかなかったと言う事だ。
・
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・
死屍累々の戦場を見たバリシュカ達帝国軍は、塩の柱と化したようにその場に立ち尽くした。
バリシュカは天を仰ぎ、目を強く瞑る。
冒険者達の骸、魔族達の骸。所々に刻まれた戦いの傷痕。何が起こったかは明白であった。
一同は短時間の黙祷を捧げ、黙って冒険者達の死体を回収し、魔族達の死体はその場に埋めた。
これは弔意からではなく、魔族のような魔力が強い存在は大地の良い肥やしとなるからである。
「これは…業といいますか…このような姿となっても存在感がありますね…しかし、生者を害するような怨念などを感じる事はありません。“これ”は魔力の塊のようなもので、魔術行使の為の触媒としては最上級といっても過言ではないでしょう」
ラカニシュの遺骨らしきものを発見すると帝国の魔術師がそれを入念に検分し、危険はないと判断する。
それどころか、ラカニシュの遺骨は良質な触媒になる、という言にバリシュカは露骨に顔を顰めた。
「彼奴の骨を?触媒だと…。危険だとしか思えぬが…しかし、魔術的な価値はあるのだろうな…。儂の判断で棄てるという事も出来ないか」
厳重に封印を施し輸送せよ、と指示を出すバリシュカ。
やがて冒険者達の遺体も回収され、魔族の遺体も埋められ、その場での任務は概ね済む。
そしてバリシュカは1人の冒険者…ヌラの遺体の前に立つと、1つ疲れたようなため息をついた。
ヌラと酒を飲んだ時の光景がバリシュカの脳裏を過ぎる。
ため息には悲しみ、怒り、賞賛、労い…様々な感情が混合されていた。
ヌラはバリシュカ伯爵邸の門番だったが、彼を冒険者の一団にねじ込んだのはバリシュカ伯爵である。つまり、間接的にヌラを殺したのはバリシュカ伯爵であるとも言えるのだ。
勿論バリシュカ伯爵としても悪意があったわけではない。
元金等級冒険者ならば危険な状況でも逃げを打って情報を持ち帰ることくらいは出来ると見込んでいたのだ。
「後は任せい」
短くそう言うと、ヌラの手を一度強く握る。
帝国軍一行は、暗鬱な雰囲気を漂わせながら街へと帰還していった。
§§§
どのような激烈な弾劾よりも堪える、とバリシュカ伯爵は思った。
――封印の地の危険は去った、魔族も撃退した…しかし冒険者達も全滅した
そんな知らせを冒険者に届けたバリシュカは、エルファルリの娘であるユラハからの無言の弾劾を受けた。
弾劾といっても、責められたりしたわけではない。
ユラハはバリシュカの知らせを聞いて、ただ『そうですか』とだけ言って、母エルファルリから継いだ紅い瞳からポロポロと涙を零したのだ。
「母は、本懐を遂げたのですね」
ユラハの言に、バリシュカは頷いた。
ユラハが口を開く。
「ヌラさんは…」
「死んだ。遺体は…教会に安置しておる」
それを聞いたユラハは再び涙を零し、そしてふらふらと冒険者ギルドを出て行った。
バリシュカ伯爵は胸の内に充満する毒を除くように大きくため息をつき、そして今後の事を話し合う為にギルドマスターと話をしに行った。
§§§
教会
「ヌラさん、お母さん、皆…」
ユラハは遺体安置所の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
胸の中に“皆”が居るような、そんな気持ちを覚えながら、ユラハは杖を握り締める。
「魔族……」
ユラハは“魔族”という単語が真っ黒い粘着質な炎の塊と化して、自身の腹の奥で燃えているのを感じた。
黒炎の熱量は凄まじく、全身に活力を与えてくれるようにも思える。
「魔族………」
「魔族…………」
ユラハはその日。
北方、オルディアの街から姿を消した。
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本作は拙作「イマドキのサバサバ冒険者」作中の「北方侵攻」を抜き取り、まとめたものになります。本編もよろしくお願いしまーす
灰色の永遠 埴輪庭(はにわば) @takinogawa03
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