第19話 幸せの形
◆
エルファルリはラカニシュの極光の大魔術の発動を妨害したが、あのままラカニシュが魔術を放っていたならば、その威力はそのままラカニシュへ返っていただろう。
なぜならその場にはいまだルードヴィヒが“法”を敷いていたからだ。
ラカニシュは一時的に法の存在を失念していた。
それほどの怒りをポーへ抱いたという事の証左である。
これはIFの話になるが、もしラカニシュが連盟術師のままで居たとしても、遅かれ早かれポーと殺し合いになっただろう。連盟術師が仲間内で群れないのは、自身の拘り、理念に酷く頑なで、妥協を知らないからである。
そんな相反する理念同士が遭遇してしまったなら、“家族喧嘩”という名の殺し合いが始まってしまう。
勿論相性が良い者同士もいるにはいるが…。
◆
――私は生きているのか、それとも死んでいるのか
――だが、もう一度チャンスを与えられたのは確かだ
・
・
・
それは不思議な感覚だった。
エルファルリは自身の肉体に全盛期の活力が満ちているのを感じた。
魂が煌々と、魂そのものを薪として燃えているのだ。
彼女の魂が炎のごとく燃え盛り、復讐への道を照らしだしている。
亡き夫の遺剣を構えるエルファルリ。
その傍らにルードヴィヒが立ち、前を見たままボソリと呟く。
「助力、感謝」
短く答えたエルファルリは力強く脚を踏み出した。
彼女の“強み”は脚にあり、老境にあっても彼女から繰り出される、例えば蹴足などは大人の腰の太さの樹木をへし折ることが出来る。
だがポーの最期の術は、喚び起こした彼女の能力を全盛期のそれへと引き上げた。まあこれは、肉の頚木から解き放たれた以上当然ではあるが。
肉体の老いや精神の老いと無縁となった彼女は、生前の自身を三人まとめて相手にしても一方的に縊り殺せるほどに強い。
そんな彼女が魂から絞りだされる魔力、膂力でもって大地を踏みつけたならどうなるか。
エルファルリの脚から大出力の魔力が地面を伝導し、振動波となってラカニシュの左脚を破砕し、右脚にも罅を入れた。膨大な魔力でコーティングされているラカニシュの骨体は下手な金属より硬く、それに苦も無く損傷を与えるというのは並々ならない事である事は言うまでもない。
エルファルリは好機と見て、ラカニシュへ剣を振りかぶる。
敵対者の脚部を震脚から発生する振動波で破砕。
それにより大地に縛りつけ、そして渾身の力で振り下ろされた大剣が敵対者の頭部を砕き割る。
大地を龍の下顎に、振り下ろす大剣を龍の上顎に見立てたエルファルリの秘剣であった。
その名も…
――地龍
◆
ラカニシュとしても、この現象を以て“法”が働いていないことを理解した。
なぜならエルファルリの遠隔攻撃が正常に発動したからだ。
“法”は強力な権能だが、対象を絞り込むことが出来ないというのはラカニシュ自身も良く知っている。
であるならば現在敷かれている法は何か。
答えは“無法”だ、とラカニシュは判断した。
なぜならばエルファルリは遠隔攻撃と近接攻撃の双方を繰り出している。
もしどちらかを禁じていたならばエルファルリの攻撃はエルファルリ自身が受ける事になるだろう。
膨大な魔力に裏打ちされたラカニシュの膂力は、彼の振るう腕の薙ぎ払いですら致死の一撃へと昇華させたが、彼が平然と連発する高位の魔術の危険性に比べればものの数ではない。
――迎撃は魔術を以て
ラカニシュの眼窩に黄金の輝きが灯る。
それはさらなる大魔術の予兆。
◆
片脚で立つラカニシュは既に満身創痍に見える。
しかしその全身を巡る魔力は力強く脈打ち、それは彼が些かも弱っていない事を意味していた。
天より祈り、地からは嘆きを受けとめた彼の魔力は、もはや最上級の魔将のそれを凌ぐだろう。
――金気を纏う小さき踊り子よ、狭き檻にて啼き叫べ
――檻は汝が住まい、汝が墓標
――断罪の焔が檻を焼き、汝の憎悪は世界を焼き尽くす
それは意識内で詠唱される高速詠唱だ。
口に出していてはエルファルリの攻撃に間に合わない。
凝縮された意識内で、詠唱が完了し、同時に地面から煌めく火花が舞い踊り始めた。瞬く間に、金属と酸素が激しく結びつき、熱と光が強烈な破壊的エネルギーに変換されていく。
それは悪魔の火を喚び出す禁呪だった。
真っ白な光のような炎は人の骨すらも融解させる。
人骨の融点は鉄よりも高い為、これは驚くべき事だ。
更にただただ高温なだけという訳でも無い。
極高温の炎は喚び出されてから15分近くその場に留まり、周辺環境に致命的な損傷を与える。
水では消えないし、風で吹き飛ばす事も出来ない。
――金殲華
もし発動してしまえば、エルファルリは瞬時に焼き尽くされてしまうだろう。
勿論彼女の肉体は仮初のものであり、ラカニシュが滅するまで現世に在り続けることが出来る。
肉体が焼失すればすみやかに再構築される。
しかしそれは苦痛を感じないという事ではない。
仮初の肉体であっても、苦痛は苦痛として感じてしまうのだ。本来はそれを肩代わりするのがポーであったのだが、彼はもうここではないどこかへと旅立ってしまっている。
極度の苦痛はあるいはエルファルリに復讐を諦めさせ、彼女の仮初の意識と肉体を再び虚空へと回帰させる事になるかもしれない。
しかしそうはならなかった。
真っ白く輝く閃光がエルファルリを飲み込もうとしたその時、閃光が逆流するようにラカニシュへ降り注いだからだ。
咄嗟に結界を張り巡らせ防御しながら、ラカニシュはルードヴィヒの方を見る。
ルードヴィヒは陰湿な笑みを浮かべてラカニシュを眺めていた。
その姿は薄っすらと透けている。
◆
法が法たりうるには、遵守されなければならないという当たり前の理屈がある。
守られない法などは法である意味がない。
そして公平でなければならない。
Aには適用され、Bには適用されない。
そんな不公平な法は法足り得ない。
ルードヴィヒの魔術としての“法”も同じだ。
彼の根源でもある法の魔術は、破れば罰が与えられる。
敵だろうと味方だろうとお構いなしだ。
しかし、ただ一度だけ。
法を恣意的に捻じ曲げる事も出来る。
ただしそれは…
◆
――ルゥゥゥド…ヴィ…ヒ……!!
ラカニシュの思考が何かに染まる。
それは憤怒のようでいて、賞賛のようでいて、或いは他の何かのような、誰にも、当のラカニシュ本人ですらも分からない不定形の感情であった。
ラカニシュとて悪意のみでルードヴィヒに手をかけたわけではない。ただ、大を生かし小を捨てる選択をしたに過ぎないのだ。
当時の、不死者に成り果てる前のラカニシュには大いなる力が必要だった。
大きな力がなければ宿願を果たせないからだ。
宿願、それはこの世界の全ての生物を“幸せに”する事。
だが、それはあくまでもラカニシュの願いだ。
ルードヴィヒのものではない。
彼はただひたすら、ラカニシュを恨んでいた。
それは勿論、キャスリアンも。
それ程に強い恨みはやはり、自身の根源を弄ばれたからだろう。だがそれだけが理由ではない。
ラカニシュ、ルードヴィヒ、キャスリアン。
かつて彼等の間に存在したものが、友情に似た何かであった事も大きく影響しているのだろう。
◆
言葉にならぬラカニシュの念に、当のルードヴィヒは応じない。いや、すでに彼は如何なる余力も持ってはいなかった。
なぜなら彼は自身の根源に深い傷が入ることを厭わず、ラカニシュ“だけに”近接攻撃と遠隔攻撃を禁じたからだ。
それは彼の根源の否定である。
生前なら力を失う程度で済んだかもしれないが、魔術的存在である今の彼がそれをすれば、その身は消え去る他はない。
「かつての友、ラカニシュ。薄汚い裏切り者よ。君の全ての攻撃を禁ずる。…私は還るよ、家族の元へ。君は墜ちろ。暗くて寂しい…」
――地の底へ
そう言い遺し、ルードヴィヒは消滅した。
ラカニシュの胸中に僅かに寂寞の風が吹く。
風にはかつて確かに存在した友情の残滓が混じっている。
こんな関係になってしまったのは全てラカニシュのせいだ。
しかし合理や情理とは無関係に、残念なものは残念だし、寂しいものは寂しいのだ。
しかしラカニシュには“浸る”だけの時間は残されていない。
大剣が振り下ろされつつあったからだ。
空気を切り裂き、地面ごと叩き斬る勢いで自身の頭蓋骨へ振り下ろされる大剣に、ラカニシュはもはや何の抵抗もしなかった。
ラカニシュは術の逆流に対して抵抗をする為に大きな魔力を使ってしまった。もちろんラカニシュの残存魔力にはまだまだ余裕があるが、それを“使える状態”にするのは一呼吸か二呼吸が必要となり、それは今のラカニシュにとっては余りにも厳しすぎる条件だ。
蛇口からはいくらでも水が出せはするが、一度に沢山の量の水を使用するには容器なりなんなりに汲み置く必要があるという理屈に似ている。
エルファルリの斬撃を防ぐか、あるいは反撃するには相応の魔力が必要となるが、その備えの魔力は自身の術の逆流を防ぐ為に使ってしまった。
再度防御をするには再び魔力を引き出さねばならない。
◆
自身の頭部に食い込み、魔力の護りを貫いて、そのまま胴体を引き裂いていく大剣をどこか他人事ように見つめ、ラカニシュは考えていた。
§§§
結局の所幸せとは何なのか。
何が幸せなのか、私にはもはや分からない。
人々が日々追い求める幸せの姿が、私にはどこにも見えない。夜毎、孤独が私を取り囲み、悲しみが心を侵食する。
光が差すことのない闇に包まれた独りぼっちの世界で、絶望暮れてか細い想いをするのだ。
人々は幸せを探し求めて、何かを手に入れることが幸せだと信じ、何かを失うことが悲しみだと思い込んでいる。
しかし私にはその全てが空虚に映る。
愛する人と共に過ごすこと、富や名声を得ること、友人や家族に囲まれること。
それらは、まるで泡沫の夢だ。
なぜなら、人は死ぬ。
最期には死んでしまうのだ。
生きている間に何を得たとしても、最期に死んでしまうのでは意味がないのではないか。
嗚呼、一体何が、何が幸せなのだろう。
人は見せ掛けだけの幸福に身を浸し、最期は現実に引き戻されなければならないのか。
それを地獄と呼ばずして、何を地獄と呼ぶのか。
私はそれをどうにかしようとしてきたというのに。
しかし。
見せ掛けだけの幸福とは…私が与えるそれもそうなのかもしれない。私はそれに気づいていながら、見ないふりをしていたのかもしれない。
でも。
誰も私に幸せとは何かを教えてくれなかった。
だから私はやり方を間違えてしまったのかもしれない。
結局、私には人々を導くことが出来なかった。
それだけは分かった。
いつか。
いつか誰かが人々を救ってくださいますように。
そして。
次に生まれて来る時は…幸せになりますように。
§§§
エルファルリが大剣を振り切った。
ラカニシュを頭部から真っ二つにして。
その骨体は端から細かく砕けていき、そして…風に乗って宙に散っていく。
キャスリアンはそれをどこか皮肉気な笑みを浮かべながら見つめていた。
ポーを見送り、ルードヴィヒを見送り、ラカニシュを見送り。そして自身も去り。
連盟も随分寂しくなったな、とキャスリアンはポケットに手を突っ込み、その場に背を向けて歩き去っていった。
行き先は本来逝くべき場所だ。
エルファルリは徐々に薄れていくキャスリアンの後姿を見ながら軽く頭を下げた。
頭をあげたエルファルリは天を仰ぎ、ぽつりと呟く。
「ケジメはつけた。ヌラ、そちらは任せたぞ」
そう口に出した瞬間、エルファルリは自身の体から活力が抜けていくのを感じた。
冷えていく体と心。
それは死だ。
宿願を果たしたエルファルリに、本当の意味での死が追いついてきたのだ。
しかしエルファルリは寂しくはなかった。
娘を遺して逝く事に、ほんの僅かの後悔はある。
――まあ、あの子ももう子供じゃない
そんな事を思いながら、彼女はその場に崩れ落ちた。
足の先からさらさらと光の粒子となって消えていくのが見えた。
急速に視界が暗くなり、暗転していくその最中。
暗闇の先に1人の騎士が立っていたからだ。
笑顔を浮かべているその騎士は、まさしく彼女の…
――あなた
エルファルリが完全に消えてしまう直前。
彼女の口の端には僅かな笑みが浮かんでいた。
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