第18話 死亡遊戯

 ◆


 真っ白い空間に、ぽつんと黒い箱が置かれている。

 箱は所々罅割れていて、箱から剥がれ落ちたと見られる黒い破片が周辺に散らばっている。


 ポーは真っ白い空間でじっと箱を見つめ、ふいに背後を振り返った。


 いつからそこに居たのか、真っ黒い喪服に身を包んだ中年男性がこれまたどこから持ってきたのか、木製の椅子に腰掛けながらポーを見つめている。


「やあ」


 中年男性…マルケェスはかつて“ここ”で逢った時のように気さくに挨拶をしてきた。

 ポーも軽く頭を下げて返礼する。


(無茶をして、と叱られるかな)


 そんな事をポーは思うが、マルケェスからはポーを責める様子はない。


「あの箱はそろそろ壊れてしまうからね。腰掛けるには少し憚られる。ほら、君も座ってくれ。お茶も出そう」


 マルケェスが軽く指を鳴らすと、目の前にテーブルと椅子が現れた。


 マルケェスとポーは暫し黙って茶を啜り、やがてマルケェスが口を開く。


「それで、後悔はないのだね」


 その問いに、ポーは頷いて答えた。


「ええ。しかし……“彼”もあなたが連れてきたのでしょう?勘弁してくださいよ」


 ポーの口調はややなじるようだった。

 そう、ラカニシュは元連盟の術師だ。

 そして、彼はマルケェスが連れてきた。


 マルケェスはふふっと笑い、肯定する。


「そうだ。でも私はそれに対して特に思う所はない。彼は彼で、彼なりの理屈でもって君達を想っている。まあそれは君達にとっては厄災でしかないのだろうけれど、私には…『余り関係のない事さ』」


 ポーは目の前に座るマルケェスの影がぶわりと広がり、人ではない何かの姿をとったのを見た。

 声もどこか遠く、ここではないどこでもない、深い深い地の底から響いてきたような声だった。


「“君達”は、私が特に面白いと思った人間達だ。面白いというのは、業が深いとも言う。そして君達はいずれも…一部の例外はあるが、絶望し、渇望し、精神の死に瀕していた。このまま果てさせるには惜しい…そう思った私は君達が君達自身の“面白さ”に気付いて、そこから力を引き出せるように少し弄ったのさ」


 ふう、とマルケェスが煙管を取り出して、宙に輪を浮かべた。


「私はそれを見てきたんだ。長い長い間。私はこう見えて結構長く生きている。私は君達人間よりは心が強いけれど、不滅不朽では無い。知っているかね?私達が滅びる一番の理由を。他者から滅ぼされる事もあるが、それより多い理由。それは自殺さ。私達は退屈なんだ。退屈だから面白い君達を好む…。だからね、面白い君達で何をどう争おうと、それはそれで私にとっては心を慰撫してくれる見世物なのだよ」


 お前達の人生は自分の退屈しのぎだ、そういわれているにも拘らず、ポーはマルケェスへ腹を立てる事はなかった。


「そうですか。悪趣味ですね。でも…その悪趣味な貴方に僕は、僕等は救われてきたのは事実です。ありがとう、マルケェス。貴方を父と呼びたくはありませんが、僕の実父よりは随分マシだと評価しましょう」


 ろくでもない評価だね、といいつつマルケェスは煙管を消した。

 そろそろ時間だからだ。


「一応聞くが、君は自身の容量を超えた術を行使しようとしている。君の肉体も魂も、術の代償を支払いきる事は出来ないぞ。君は死ぬ。逃げるつもりはないのかね?確かに“彼”は厄介だろうが、ここは一旦退いて態勢を立て直すという事も出来るのでは?」


 ポーは苦笑して言った。


「それでは間に合わない、と僕の霊感が囁いています。そしてね、僕は…寒いんです。酷く寒い。あの日から寒くて寒くてたまらないのです。ファシルナミエの骸に最期の口付けをした時から。この寒さを忘れたくて、僕のような寒さを感じる者を減らす為に、僕はこれまで旅をしてきたのですが……少し疲れました。そろそろ休みたい。これは良い切っ掛けでしょう」


 マルケェスはうんうんと頷いた。

 それなら仕方ないな、とばかりに。


「あの子はまだ彼岸で君を待っているよ、逢ったなら、待たせた事を謝る事だ」


 マルケェスの言葉にポーは破顔した。


 それでは、とマルケェスは気取った様子で一礼をして……ぱっと、まるで魔法の様に消えてしまった。真っ白い空間に声だけが残響する。


 ――お疲れ様でした、ゆっくり休んで下さいね


 ◆


 それはほんの僅かな時間の白昼夢だったのだろう。ポーは自身の意識が“戻ってきた”事を理解して、口の端に笑みを浮かべた。


 ポーは組んだ手を天に掲げる。

 それは魔術行使の身振りというよりは、祈りのような仕草に見えた。


 片腕のラカニシュは暗い眼窩に怒気の焔を宿してそれを見つめる。


 人としての感情が限りなく磨り減った彼ではあるが、それでもポーの為そうとしている事は許せなかった。


 死は恐ろしいものだ。忌むべきものだ。

 しかし訪れてしまったならば、後は安らかに眠ってほしい。もし次に生を受ける事があれば、その時は自分が真の意味で救おう……それがラカニシュの考えである。


 だが、ポーのしている事は非業と悲壮の果てに死した者達に、再び苦痛を与えるようなものではないか。


 ラカニシュが残った腕をポーへ向けた。


 ――大気揺らめきて我が掌に集う

 ――紫電の怒気立ち昇り、是に宿る


 ラカニシュの掌の中心部に白銀色のエネルギーが収束していく。


 それは世界中の雷をぎゅうっと集めて固めたような破壊的で破滅的な光だった。


 協会式魔術でも最高峰に位置する“極光”の術だ。固体、液体、気体に続く、第四の物質の状態…膨大な熱エネルギーを有するそれを投射する事で、術の対象、及び周辺環境へ破滅的な損傷を与える大魔術。勿論禁呪指定である。


 魔導協会というのはその勢力を大陸中に広げている一大魔術組織であり、政治とも宗教とも繋がりまくっている非常に俗な組織である。


 その理念は言ってしまえば“集合知”だ。


 皆で知恵や知識、魔術を持ち寄って、魔導協会を限りなく大きくしていきましょう、というようなある意味真っ当すぎるほど真っ当な理念が魔導協会にどれ程の力を与えてきたか。


 レグナム西域帝国が帝国魔導という新しい魔術体系を広めようとしているのも、魔導協会ばかりに力を集中させる事を良しとしなかったからである。


 “極光”の術もその集合知の産物だ。

 因みに協会は俗ではあるがオープンな組織でもあり、禁呪とはいっても存在そのものが秘匿されているわけではない。


 知ろうと思えばその辺の木っ端魔術師でも原理を知る事は出来るし、魔導協会は掛け持ちもできるから、他体系の術師でもその内実を知ることができる。ただ、原理を知ったからといってそれを理解し、術として形を成す事が出来るかというと話は別だが……。


 ・

 ・

 ・


 ――極光よ、在…


 ラカニシュの術が完成し、今にも撃ち放たれようとした時。


 ――――想いが果たされ、心が安寧で満たされます様に。次に生まれ来る時は、幸せで、ありますよう、に……


 ポーの術が先んじて完成した。

 それは術の詠唱というよりは、彼自身の個人的な願いであるような文言だった。


 しかし、術とは願い、想い、意思を形としたものだ。であるなら、詠唱の結びが個人的な願いであっても術の起動には何の支障もない。


 ◆


 ラカニシュの伸ばされた腕が、大剣の一振りで斬り飛ばされる。


 両の腕を失ったラカニシュの眼前に居たのは、エルファルリ。


 そして魔軍の中心で憎悪と困惑の叫び。

 死したはずの冒険者達が生前の姿で思い思いの業を振るっていた。


 そして


「……どういう事だ?お前は、お前達は死んだ筈。そこにお前達の死体がある。ならばお前達は何者だ。……そうか、冥府から戻ったか。それでこそ我々の宿敵か」


 ヒルダの眼前にはヌラが立っていた。

 それだけではない。

 左には先程死んだ筈の女剣士ケイ、右には女術師マハリが立っている。


 ◆


 生と死が入り乱れる混沌の坩堝で、偽りの生を与えられた者達が正真正銘最期のダンスを踊る。


 彼等の想いが果たされない限り、彼等が消え去る事はない。例え術者であるポーが死んだとしても。彼等は五体を引き千切られても速やかに生前の姿を取り戻すだろう。


 それが連盟術師ポーの術だ。

 他の如何なる術体系でも、彼が為す奇跡にも似た何かを模倣できる術は存在しない。

 ポーは優れた術師なのだ。


 いや、優れた術師だった。


 連盟術師ポーの心の臓は既に鼓動を停止している。一度に多くの苦痛を、苦悩を受け入れすぎた代償だ。


 ポーは死んだ。

 しかしそれはそれで良かったのかも知れない。

 この世ではないどこかで、今度こそ2人は一緒になれたのだろう。


 そして、戦いの終わりも近づいていた。

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