誰にも言わない
元とろろ
誰にも言わない
『お前の秘密を知っている』
実際に文字にしてみると、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまった。
◆
鱒川さんと
鱒川さんは今年の四月から隣の席になったクラスメイトで、去年までは顔さえ見た覚えがないくらいに目立たない控えめな性格の娘だ。
本当に大人しいけれど話しかければきちんと受け答えはするし、毎朝少しだけ早く教室に来ている私には彼女の方から挨拶してくれる。声は小さいけれど聞き取れないほどではない。
友達というほどではないかもしれないが、それなりにちゃんと仲良くできている。そういうクラスメイトだ。
LineNというのはいわゆる動画配信者だ。それとも動画投稿者というのが正しいのだったか。その辺りのことについて私は未だによくわかっていない。
とにかく動画投稿サイトで活動している人物なのだが、彼女はライブ配信というのはしていない。編集済みの動画をそれなりの頻度で投稿している。
動画の内容はどれもその当時の流行曲の「歌ってみた」。カラオケ音源はネットを通じてダウンロードが可能な二次使用が認められているもの、つまりは他の活動者もよく使っているありふれたもので、私を惹きつけたのはその歌声だった。
音楽としては普通に上手なのだと思う。普通に、というのが頭に付く範囲で上手という意味だ。
音程や強弱、リズムは整っている。ただ、もっと有名な配信者や本職の歌手と比べれば、迫力というのか表現力というのか、そういうなにかしらが足りていないと素人の私でも感じることは多々あった。
私はただ声として彼女の歌声が好きなのだ。
声質とか声色とかそういう部分の話だ。
ガラスを弾いたように高いけれど、鋭く傷つけるような響き方はしない優しい声だ。
すっと染み渡るような透明感があるようで、垢抜けない長閑さも感じる綺麗な声だ。
私はその声が気に入って、この四年間LineNが投稿する動画を繰り返し視聴していた。ちなみに映像部分は主に歌詞が表示される文字ベースの映像である。こういうところに工夫のないのが登録者数が伸びない要因なのだと思う。
とにかく実際に動画を開いていない時であっても、頭の中ではっきりと思い起こして反芻できるくらいにLineNの歌声は私の中に浸透し定着していた。
だから音楽のテストで鱒川さんの歌声を聞いた時は本当に驚いた。
一人ずつ壇上で歌わせるという去年とは違う形式のテストにもびっくりしたというかちょっと引いたが鱒川さんの順番が来て歌い始めてからはもうそれどころではなくなってしまった。
LineNの特に出来のいい動画と比べれば下手ではある。
声量も出ていないしリズムもあやふやだ。
しかし動画と違って一発勝負でピッチ調整もしていないのだからまあそんなものなのだろう。人前だから緊張したというのもあるかもしれない。
それでも声だけは間違えようがなかった。
似た声の人間というのは確かにいるのだろう。
私が勘違いしているというだけだという可能性を論理的に否定する方法はない。
ただ。それでも。他人に説明できる根拠はないのだけれども。
私には間違いなくわかったのだ。
鱒川さんとLineNは同一人物である。
◆
それから私の鱒川さんに対する態度がどうなったかと言えば、特に変化はないのである。
直後くらいは多少挙動不審だったかもしれない。自分ではあまり覚えていない。
はっきり言えるのは私はいきなり「あなたはLineNですか」と尋ねられるような人間ではないということだ。
それは、言えないだろう。
動画投稿者というのは匿名の活動だ。実名は隠しているのである。いや公開するスタイルの人もいるが少なくともLineNはそうではない。
女性なのは以前からわかっていたがそれも声から判断しただけで公式の情報としては性別も年齢も未公表である。詮索するのは褒められたことではないのだ。
たまたまリアルの方で知ってしまったという場合でも軽々しく口にするべきではないだろう。
それに人となりに関しては鱒川さんとしてそれなりに知っている。
秘密を知られているというのは誰だって嫌だろうけども、鱒川さんのようなタイプは特に傷つきやすいのではないかという気がした。それも偏見かもしれないが、気遣わないよりはいいのだと思いたい。
しかしもう新年である。四月には学年が上がってクラス替えが行われる。そこで別のクラスになってしまえば私と鱒川さんの接点はなくなってしまうのだ。
それは惜しいというか寂しいというか、とにかくちょっと嫌だった。
だから今までよりもっと積極的に話しかけようと思ったのだけれど、それも上手くいっていない。むしろぎこちなくなっている。私の態度に変化はないというのは間違いだ。客観的に見れば悪くなっていることだろう。
それを望んでいるわけではないのだが。
しかし鱒川さんを前にするとどうしてもLineNのことを考えてしまう。そのまま口に出してはいけないと思うと言葉がつっかえてしまい、会話の中に変な間が空くのだ。
さらに言えば元々私たちの共通の話題というのは流行りの曲についてばかりだったのだけど、これがLineNの動画の内容とも被る。
以前は気にせず話せていたようなことでも、あの曲はLineNも歌っていたな、と思って言い出すのを躊躇ってしまうのだ。
そこで考えたのが手紙である。
◆
便箋に書いた文を見る。
『お前の秘密を知っている』
これはない。
なぜか脅迫状じみている。
だいたい「お前」ってなんだよ。
そんな呼び方したことないだろ。
落ち着こう。
紙くずを破り捨てて新しい便箋を手に取る。
目の前で上手く話せないからあらかじめ言いたいことを紙に書くというのがこの手紙を渡すという考えの骨子である。
素直な気持ちを書けばいいのだ。
つまりこうか。
『お友達になってください』
無理。
考えるより早く私の手は燃えるゴミを破り捨てていた。
恥ずかしすぎるだろ。
こんなものを読まれたら死ぬ。
内容に対して手紙という形式が大げさすぎる。
そもそも今現在の関係が友達ではないと言っているみたいで嫌だ。
実際に友達とまで言えるかどうかは微妙ではあるんだけれども。
落ち着け。
私は何を望んでいるんだ。
私が伝えるべきことはなんだ。
そして伝えるべきでないことはなんだ。
息を吸って吐く。
私は別に特別なことがあってほしいわけじゃない。
LineNのことは好きだけど、それは学校には持ち込みたくない。
ただ鱒川さんとまた普通に話したい。
それをそのまま書けばいいのだ。
『最近、話をしている時に私が言葉に詰まることが多くなっていることに気が付いていると思います。変な空気にしてごめんなさい。あなたと話すのが嫌なわけではなくて、今まで通りに仲良くしたいと思っています。できればクラスが変わってもまた話したいです。私の態度がおかしくなっている理由については秘密です。これはあなたを信用していないというのではなく、誰にも言わないと決めたことです。』
今度こそ書いた手紙を破らずに読み返す。
やはりとてつもなく恥ずかしくはあるけれど。
明日の自分を想像する。
毎朝教室に入る時間は私の方が鱒川さんより少し早い。
彼女が登校する前にそっと机の中にこの手紙を入れておくのだ。
それならなんとかできる気がした。
四月の自分を想像する。
鱒川さんとは別のクラスになってしまって、昼休みにちょっと会うだけになる。
その時は流行の曲について聞いたとかまだ聞いてないとか、どこが良かったとか、あれも聞いた方がいいとか、そういうことを言いあうのだ。
私が望んでいることは単にそれだけなのである。
誰にも言わない 元とろろ @mototororo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます