ゆきこさん(37)の危機一髪

アズマ60

ゆきこさん(37)の危機一髪



 まず年収500万円っていうのがね、どうしても、引っかかっちゃって。


 普通じゃないですよ。旧帝大卒で企業勤めの四十代男性が年収たったの500万ってヤバくないですか、どう考えても初任給からほとんど賃金が上がってないってことでしょ。ヒラ社員でしょ。ヤバい。この婚活男はいったいどこで“しくじった”んだろうって考えちゃうんですよ。で、これまでの経験からコイツたぶん重度のオタク男なんじゃないいかなって思ったんです。ドルオタとか鉄オタとかWeb小説家とかそういうやつで、ぜったい定時帰りの週休二日じゃなきゃイヤだって言い張って、上層部に嫌われて、リストラすれすれの窓際おじさん。会社では上司から無視されて、残業するほど仕事を回してもらえないから新卒よりも給料が低いおじさん。そういうひとっているじゃないですか。

 わたし、向上心のないやつはバカだと思うんです。

 そんなわけで年収500万おじさんとは一度のデートでお断りしました。趣味について訊いてみたら「温泉と読書と映画鑑賞」ですって。だいたいオタクのおじさんってカムフラージュとして「温泉と読書と映画鑑賞」て言うんですよね、ほんとあれなんでぇなんでぇ?ってかんじです。オタク男向けの婚活マニュアルにでも書いてあるんですかね、温泉と読書と映画鑑賞。

 まあ、はい、おじさんは「自分はハイスペックだ」って言ってたけど。

 あなたはたぶん一生結婚できないだろうねって、捨て台詞、吐かれたけど。

 ええそう、あなたもご覧になってましたよね。ついさっき、飲みかけのコーヒーもそのままに席を立って店から出て行っちゃったあのひと。あの男のひとです。

 もうほんと居たたまれなかった。

 このタイミングであなたに声をかけられてよかったです。ご縁のタイミングって不思議ですね、わたし、本当ならあなたのような若い男性にナンパされて話をきくような女じゃないんですよ!(笑い)



 婚活っていっても、わたし、ガチ系じゃなくって。

 自分も未婚のまま37歳になっちゃったしもう高望みはしてないです。子どもは産みたくないし、誰かの子どもを産みたいと思ったこともない。

 仕事はしてます。親の会社で事務をしてます、年収400万くらい。それにちゃんと一人暮らしで自炊してます。親がマンションを譲ってくれたし、ひとりっこなので人生のマウントをとってくる兄弟姉妹はいないし、面倒な親戚づきあいもないし、ゆくゆくは遺産総取りだし、老後資金はあまり心配してないです。

 ただ漠然と寂しいなってだけで。

 猫か文鳥を飼えばいいって勧められたことあるんですけど、わたし、いきなり海外旅行ツアーに参加して二週間くらい消失することあるんで(笑い)、ペットは飼えない。同じ理由で子どももいらない。

 親の介護が必要になったら施設に丸投げできるけど、さすがにペットや子どもはそうもいかないですものね。

 友達、……ですか?

 わたしのようなタイプの女ってどうせ友達がいないんだろ、いたとしても見栄を張り合ってドロドロした関係のフレネミーしか寄ってこないんだろ、って思ってるでしょ?

 残念でした!

 わたしは小学生の頃から団体競技をやっていたので、スポ少時代の幼馴染たち、中学高校時代の部活仲間、大学のサークル仲間、今でもずっと親交があります。友達は多いですよ、LINEの登録だけでも200人は越えてるんじゃないかな。今でも年に二、三回は結婚式に呼ばれてますし。

 もちろんわたしが独身なので相手を紹介してもらうことも多いですよ。みんなわたしみたいなイイ女が独身でいるのはもったいない、おかしい、って言ってくれるので。体育会系の友情ですね。

 でもなかなか……ほらわたし、ちゃんと自活して、年収は400万だし、実家は太いし、貯金して投資に回してますし、自分でいうのもですけど、子どもさえ望まなければこんなにイイ物件ないと思うんですよ。わたしと結婚した男性は少なくとも困窮することはないと思いますし。


 自分の生き方、かあ。


 たしかにあなたの言うとおり、バレちゃいましたね。

 そう、実は、わたし、キラキラしているのは虚飾。

 本当は自己肯定感が低い。

 本当はコンプレックス塗れでこんな自分が嫌い。

 誰からも選ばれない自分が嫌い。

 誰にも愛されない自分なんか消えてしまいたい。

 でもこのままひとりで死んでいきたくない。さみしい。さみしい。さみしい。わたしを愛してくれるひとに愛されて、ぎゅっと抱きしめられて「大丈夫だよ」って言われたい。一度でいいから言われてみたい。

 あなたの笑顔はとても素敵ね。

 自身に満ちあふれているし、それでいて優しい。

 わたしもあなたみたいに笑える人間になりたかった。あはは、もう遅いですけど。

 きゃっ。

 そんなに顔を近づけないでください、待って、待って、こんなの久しぶりでドキドキしちゃったじゃないですか、もう、おばさんをからかったらダメ!

 わたしの肌……そんなにきれい、かな?

 ほめてくれてありがとう。お世辞でも悪い気はしないな。

 たしかにビタミン系と女性ホルモン系のサプリは飲んでますけどね、ううん、そんな高いやつじゃなくてドラストで売ってるやつ。


 えっ!!

 ああいうサプリってそんなにダメなの!?

 えええ……でもたしかに、うーん、この先、寿命まで四十年以上あるとして、毎日飲み続けるとなると……内蔵の負担やコスパ、気になっちゃいますね……


 な、なんですかその錠剤。

 ハーブ? それってドラッグですか? 

 あぁハーブっていうか、要するに普通の漢方と同じなんですね、ただの名前の違いで中身は同じ……なるほど。誤解してごめんなさい。青汁みたいな味? 効能はしじみエキスと同じ? それでいて女性ホルモンに効いてメンタルが落ち着く? ダイエット効果も? アマゾンの原住民が二万年前から飲んでいた薬草のエキス……アマゾネス軍団の奇跡の力の源……女を強く美しくして自己肯定感を上げるハーブ……なるほど。

 あなたのお姉さんがステージ4の癌から完治した? まじで? 学会で発表されたなんてガチじゃないですか、たしかに希少な薬草だから表社会で流通できない……量産できないから……納得です。アマゾンの自然は守らなきゃですもんね。

 それにしても100錠が一単位で一ヶ月五万円コース、かあ。

 ごめんなさい、ちょっとわたしには贅沢すぎる、かな。

 えっ、一ヶ月分は無料でいいの? でもそしたらぜったいに続けなきゃいけないでしょ? 勧誘とか……あるんじゃないですか……?

 ちょっちょっと、今、なんて言った!?

 あなたからの紹介だとさらにもう一ヶ月が無料、わたしが誰かを紹介したらさらにもう一ヶ月分が紹介御礼で無料……とすると、つまり、毎月お友達を紹介し続ければずっとずーーっとその間は無料!?!?


「これが実質永年無料キャンペーン。今だけですし、契約コースは一ヶ月ごとなので気に入らなかったら即抜けOKですから。お試しの一ヶ月だけで辞めちゃったひともいますよ、だけどほとんどの方が気に入ってくださって、毎月、ご家族やお友達をひとりずつ紹介して続けてくださってます。たしかお友達はたくさんいらっしゃるんでしたよね? 100人のご紹介でシルバー会員に昇格して、そこからは無料継続特典のほかに高額ボーナスもつきますよ。ボクはそれで投資用マンションを二部屋ほど買いました。こうして美と健康を無料で得ながらさらにお金が無限に増えていく。素晴らしいでしょう」

「す、素晴らしい……」

「さっきあなたは、ご縁のタイミングは不思議っておっしゃった。そのお言葉をきいてボクは、ぜひこのビジネスをおすすめしたいと思ったんです! これは宿命なんですよ」

「たしかにこれは宿命かも」


 と、彼がテーブルに広げた契約書の空欄に署名せよと差し出したボールペンをわたしは握る。これでわたしはもっと美しくなる。健康になる。資産が増える。自己肯定感があがる。あがれば誰かに愛される。愛されれば結婚できる。幸せになれる。さっきわたしに捨て台詞を残して立ち去った婚活おじさんを見返せ――


「何やってるんだ!!!!!」


 いきなり怒鳴り声が轟いてわたしは身を竦めた。背後から逞しい腕が伸びてテーブルの契約書を掴み、ぐちゃぐちゃに引き裂く。わたしをナンパしてくれたイケメン男子が凍り付いている。

 男はさらにわたしの肩を掴んで立ち上がらせると、


「出ますよ!」


 そう言って引っ張った。そこでわたしはこの乱暴者がさっきここで振ったはずの婚活500万自称ハイスペおじさんだと気づいた。

 でも今さらこのわたしが彼の名前を呼ぶなんておこがましいと思った。

「どうしてわたしを」

「すみません。ちょっと後味の悪い別れ方をしちゃったなと思って、店を出た後に戻ってきたんです。そしたら俺が座ってた席に移動してきた若い男があなたをナンパしてて、さらにえげつない罠にかけようとしていたので思わず。あれ悪徳商法ですよ、悪徳商法っていうか犯罪の片棒ですよ、危機一髪だったんですよ、わかってました?」

「わ、わかってました、とも! もうちょっと泳がせてからちゃんと断って証拠をとってから然るべき所に届け出るつもりでしたしっ!」

「そんなふうには見えなかったけど」

 彼はそう言って、わたしを駅の改札まで送ってくれた。

「それじゃこれで本当のさようならです。次はあなたのお眼鏡にかなう誰かと出会って幸せになってくださいね」

「……あなたも。今日は本当にありがとうございました」

 わたしは丁寧に頭を下げて、緊張の糸が切れてちょっと泣きそうになりながらホームに歩く。

 でも二度と会うことのない親切なひとがわたしの人生を気に掛けてくれた。救ってくれた。そして愛想の良い挨拶ひとつ残して振り返りもせずさわやかに去った。

 人生こういうこともあるから悪くないな。

 帰ったらまた、心を入れ替えて、新しいひとを探そう。


 大丈夫。わたしの人生、まだ捨てたもんじゃない。




 




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