第16話 出会った日の思い出

 琥羽と皐は葬式の手続きをしている。レイは老夫婦の遺体の横で静かに座っていた。レイの表情は無表情だった。なんの感情もない。ただの“無”だった。


 レイがいる部屋は静かだった。時計の音と空気清浄機の音しか聞こえない。レイは病室での出来事を思い出しながら、琥羽と皐が来るのをジッと待った―――。




 ***




 琥羽と皐が戻ってきた。2人とも疲れた表情で安らかに眠っている修治と風美香を見下ろす。皐はもうすでに心の整理がついてきているのか、落ち着いた様子でレイの隣に座る。琥羽はまだ、事故を起こしたドライバーに対して怒りが収まらない様子で立っていた。その様子を見た皐は琥羽に少し怒ったように言った。




「ねぇ。何をそんなに怒ってるの?」


「……別に怒ってねぇだろ。」


「どうせ事故らせた相手に怒ってるんでしょ?」


「…………。」


「もう終わったことでしょ?最終的に判決も言い渡されるし、それに…もうおばあちゃんとおじいちゃんは戻ってこないのよ。今更怒ったって意味n…」


「意味無いってなんだよ!?よくお前は平気でいられるな!?俺らが今生きれてんのはばぁちゃんとじぃちゃんのおかげなんだぞ!?」


「…そうね。でもそれはたまたまおばあちゃんとおじいちゃんだっただけでしょ?どこの家庭でも家族がいたから子供の頃から生きていけるのでしょ?特殊な家庭もあるけど…。」


「…そういう問題じゃねぇよ!ばぁちゃんとじぃちゃんはほぼ殺されたみたいなものなんだぞ!なのにお前はっ!」




 琥羽と皐の口論は時間が過ぎるとともに激しさを増す。レイはその口論に反応せず、ただ座って聞いていた。皐は琥羽の言葉を聞いて大きくため息をついてから静かにこう答えた。




「…事故にあって、病院に運ばれて、死ぬ。これがおばあちゃんとおじいちゃんの運命だったのよ。おじいちゃんとおばあちゃんは事故に遭って死ぬの。このことは誰にも変えられないのよ。」


「………。」




 琥羽は悔しそうに顔を歪ませた。皐は強く言いすぎたと謝り、琥羽と皐の口論は終了した。そして琥羽と皐は明日の通夜に向けて、準備を再開した。




 ***




 通夜も終わり、老夫婦と一緒に過ごせるのは明日の葬儀だけになった。村ではとても人気者だったため、たくさんの村の人達が通夜に来ていた。レイは未だに2人が死んだ、という実感が湧いていない。琥羽と皐は老夫婦の家でご飯を食べて、風呂に入って、就寝していた。レイはいつも通り窓の外を眺めていた―――。




 レイはふと、机に置かれた写真立てを見る。そこには老夫婦とレイが写っていた。レイはその写真立てのふちをなぞり、老夫婦と出会ってからのことを思い出していた。




 レイは水を飲みに、川を訪れていた。しかし、その日は疲れていたのだろうか。謎の倦怠感と眠気に襲われていた。やっとの思いで川に着いて水を飲むと、安心してしまったのか、岩の陰に倒れて寝てしまっていた。


 声をかけられた気がして目を覚ますと目の前には焦った顔をした老夫婦がいた。体を起こすと、老夫婦は少し安心した顔つきになった。




「(……誰…。)」




 こうして森に入ってくる人間はしばしばいた。なので、また迷ったのだろうかと思い、ふところから鈴を取り出そうと腕を動かす。すると、レイは優しく声をかけられた。




「だ、大丈夫かい?とても汚れているわよ?」




 レイは驚いた。久しぶりに聞いた優しい声。こんな私に優しく声をかけてくれる人間がまだ居たのかと。しかし、所詮は人間。レイは人間に酷いことをされてきた過去がある。優しい声をかけられても、そう簡単には警戒は解けない。そのまま何も言わず黙っていると、今度は老夫が口を開く。




「風美香、この子どうしようか?」




 レイは、またなにかされるのだろうか。と思い恐縮してしまう。老夫婦は2人でなにか話しているが、コソコソと喋っているので聞き取れない。そして2人で口を揃えてこう言った。




『うち来るかい?』




 レイはこの人達は自分をこき使おうとしているのだ、と思い逆らわず、静かに手を引かれていった。しかしその手の引かれ方は、レイが今までで体験した手の引かれ方とは全く異なっていた。今まではミシミシと骨がきしむぐらい強い力で握られていたため、とても痛かった。そして挙句の果てには、縄で手首を縛られ、その縄を引いて連れていかれる、という所まで来ていた。だから痛いのを覚悟していたが、その必要はなかった。優しく包み込むようにレイの手首ではなく、手のひらを握っていた。レイはその感覚には身に覚えがあった。


 さすがのレイでも生まれた瞬間から酷い扱いを受けてきた訳では無い。ちゃんと平和に生きていた時期もある。その平和に生きていた時に感じた、あの感覚だった。


 優しい。落ち着く。温かい。着いていきたい。


 その感覚をレイは記憶の中の思い出から蘇らせていた。そしてそのまま老夫婦に着いていった。まるで本当の親子のように―――。




 そして家に着くなり、体を洗われ、顔を見せ、誰のものか分からない着物を着せられ、ご飯を食べ、レイは老夫婦から人間のように扱われていた。レイは顔を見せるときにはもうこの人達は大丈夫だ、と見きっていたため顔を見せることにした。顔を見せた時、老婦はとても美しいものを見たかのようにうっとりとしていた。


 それからというもの、老夫婦と共に買い物に行ったり、執筆作業を見たり、色々なことをレイはその老夫婦と出会って1度捨てた自分と感情を徐々に取り戻していった。




「(……色々、ありましたね…。)」




 レイは明日も葬儀があって朝早く起きなければならなかったので、布団に入って寝ることにした。

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