第10話 初めて

 ある夏のこと―――。




 氷室家は特に何も変わらず、穏やかだ。レイも老夫婦に拾われてから少し口数が増えた。しかしただ1つ。大きく変わったことがある。それは修治しゅうじが1ヶ月前ぐらいから自室に閉じこもっていることだ。レイはそれを気にしているが、風美香ふみかは何も気にしない。なんなら、閉じこもって当然、と思っているようにも見える。レイは風美香に修治のことについて聞いた。




「あの、少し前から修治様がお部屋にこもっておりますが、大丈夫なのでしょうか…?」




 風美香は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。




「あ、そっか。レイちゃんにはまだ言ってなかったですね。実は修治さんは小説家でね。篭ってる時は小説を書いてると思ってくれればいいわ」


「そうなのですね。承知いたしました」




 どんな小説を書いているのだろう。レイはそう思った。だが、感情が少ないレイにとってはあまり内容が理解できないかもしれない。なので、なかなか修治が書いている小説についてはあまり触れなかった。しかしやはり気になるもので、レイは修治の部屋の扉を少し開けて、隙間から覗いた。

 カーテンを締め切って、電気のついていない暗い部屋でろうそく1本。机と向かい合って座っている背中がろうそくの火の光に照らされている。集中しているのか、レイの気配に気づく様子は無い。レイはしばらくそれを静かに見ていた。




「うふふ。やっぱり気になっちゃう?」





 急に話しかけられたレイはビクッと体を跳ねさせた。その拍子に体を扉にぶつけてしまい、修治に見つかる。レイは何故かあたふたしていた。




「おやおや、何か用かね?」




 修治はそう言いながら部屋の電気をつける。修治の問いかけにレイは首を横に振る。修治は、はて?というように風美香の方を見る。




「修治さんが作業してるところが気になったみたい。驚かすつもりで話しかけたわけではないのだけれど…。びっくりさせちゃったみたい。ごめんなさいね!」


「おぉそうだったのか。いやぁ嬉しいねぇ。そんなこと思ってくれてたのかい」




 修治はレイを見て微笑む。




「作業してるところが見たかったら言ってくれればいつでも見せるのに…。なんなら許可なんて要らんな」




 そう言って修治は先程まで作業していた机の横に椅子を持ってくる。そして椅子をトントンと叩き、椅子に座るようジェスチャーをする。失礼します、とレイは言い、修治が持ってきた椅子に座る。そして修治が作業をするのをじっと見つめていた。




 ***




 おそらく昼になったのだろう。風美香が食事を持ってきた。そして修治の部屋で3人で昼ごはんを食べる。そしてふと、修治がつぶやく。




「懐かしいねぇ。昔もこんなことがあったなぁ」


「うふふ。そうね。確か琥羽こうさわも同じようなことしてたわね。修治さんの作業をじっと見つめて、昼になったらご飯を持ってきてここで食べる。あの2人、今頃何してるかしらね」


「どうせまた皐に怒られてるだろうね。琥羽はスイッチが入るまではダメダメだから笑」




 誰のことを言っているのだろうか。レイは首を傾げる。




「琥羽と皐はね。私達の孫なのよ。レイちゃんが着てるその着物は皐のものなのよ」


「2人は幼い頃に両親を亡くしてな。まぁ両親って言うのも父の方は私の子供なのだけれども。だからほぼ自分の実の子供のような存在だよ」




 そう言う修治と風美香はどこか愛おしそうに微笑んでいる。よっぽど大切に育ててきたのだろう。レイは何故かその2人を羨ましいと思った。そして1度会ってみたい。そう思った。




「そうだ。今度のお盆にこっちに帰ってくるんだったな」


「えぇそうね。レイちゃんに会わせるのが楽しみだわ。性格とか合えばいいのだけれど…」


「まぁ特に琥羽には気をつけないとな…。あの子はすぐ調子に乗るからねぇ」


「…あの、会ってみたい、です。その、お2人に…」




 レイのその言葉に修治と風美香はとても嬉しそうな顔をした。




「えぇ!会わせますとも!レイちゃんがこんなに意思表示をしてくれるようになって嬉しいわ!」


「最初は全然喋ってくれなかったからね。でも、それだけレイちゃんが成長したってことだ。すごいよ。私たちに心を開いてくれて、ありがとう」




 そう言って、修治はレイの頭を撫でようと右手を上にあげる。レイはそれを見てビクッと体をこわばらせた。レイは修治が撫でようと右手をあげた瞬間、体を強ばらせたのは、ある理由があったからである。体を強ばらせたのを見た修治と風美香は一瞬動きを止めたが、ゆっくりと右手をレイの頭にぽんと置いた。そしてゆっくりと優しく撫でる。思っていたのと違ったことをされたレイは困惑していた。レイは撫でられたことが無いのである。初めて撫でられたレイは心地良さそうに、手に頭をすりつけた。




「あ、レイちゃんの獣耳久しぶりに見たわ。よっぽどリラックスしてくれたようね」


「一瞬体を硬くしていたけど、大丈夫だったかい?怖かったかね?」


「いえ、その、初めて撫でられたので…」


『初めて!?』




 修治と風美香は声を揃えて叫んだ。初めてとか思いもよらなかったのだろう。この子は一体、どんな過去を過ごしてきたのだろう…と修治と風美香は考える。修治が右手をあげた瞬間に体を強ばらせたのを考えると、おそらく酷いことをされてきたのだろう。そう考えるといてもたっても居られなくなった修治と風美香は思わず、レイを抱きしめていた。レイはまた困惑した。




「……あたたかい…」




 レイはつい、ぼそっと思ったことを呟いてしまった。やはり酷いことをされてきたに違いない。憶測ではあるが、それしか考えられないと修治と風美香は思った。




「…あ、あの?どうかされましたか…?」


「あぁ、いやなんでもないよ。ただ少し、ね」




 そう修治は言い、ご飯を食べよう!と切り替えた―――。




 ***




 ご飯を食べ終えた3人はまた、自分のやることをやる。風美香は皿洗い、レイはそれを手伝おうとしたが、風美香に修治さんの作業の続きみたいでしょ?と言われたので、修治の隣に座って作業を見つめる。


 実際、レイには内容が入ってきていない。【面白い】という感情がまだないのだ。そのため、感情移入もできない。しかし、レイはいつか読めるようになりたい、と思っていたのだった。

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