愛し子へ

青樹空良

愛し子へ

 その声は、私の中にいつも響いていた。

 いつも、と言うには語弊がある。

 聞こえるときも、聞こえないときもある。

 ただ、あまりに当たり前に聞こえていたものだから、何もわかっていない幼い頃、母に尋ねてみたことがある。


「この声は、だれの声?」

「声?」

「だれかが、なにか言ってるよ」

「お母さんには何も聞こえないよ……?」

「え、どうして? 熱い熱いって、言ってるよ」

「何ソレ、ちょっと怖いんだけど……」


 母は私を見て眉をひそめた。


「ねえ、パパ。何か聞こえる?」

「なんの音? 何も聞こえないけどな」


 父も不思議そうに首をかしげていた。

 うちは田舎だったから、車の通る音も時々しか聞こえなかった。

 母は気味悪がって、おかしなものが無いか家中を探していた。

 それで理解した。この声は私にしか聞こえていないのだと。

 母があまりにも気持ち悪そうにしているので、それ以来声が聞こえても何も言わないことにした。

 声は私にだけ聞こえ続けた。

 声は、よく苦しそうにしている。

 熱いとか、痛いとか、むずむずするとか、苦しいとか、言っていることが多い。

 時々、声は嬉しそうにしている。

 愛おしいとか、美しいとか、なんのことを言っているのだろう。

 声が嬉しそうにしてくれていると、私は少し安心する。

 夏によく心霊番組なんかをやっているのを見て、そういう類いのものかと思った。

 私には人には聞こえない、霊的な声が聞こえてしまうのかもしれない、と。

 霊媒体質、というやつだ。

 小学生になって、中学生になって、高校生になって、大学生になって、社会人になって。

 それでも声はずっと聞こえた。

 聞こえる声はたった一人の(霊を一人と数えるのかは知らないけれど)だけだった。

 他の声は聞こえたことが無い。

 霊媒体質だとして、その霊の声だけが聞こえているのだろうかとずっと不思議に思っていた。そんな特殊な体質、あり得るのだろうか。


『むずむずする。むずむずする。気持ち悪い。細長いのがあるところ。ごめんね』


 ある日、また声が聞こえた。

 何を謝っているのだろうと、不思議に思った。

 いつものことだからと、気にも留めなかった。

 その数ヶ月後、私の住んでいる国で大きな地震が起こった。

 ものすごい被害があって、大勢の人が亡くなった。私の住んでいる場所は平気だったけれど、直視できないような酷い地震だった。


『熱い、熱い。冷やさないと。でも、追いつかない』


 その声は言う。


『地球温暖化が進んでいます』


 ニュースの声は言う。

 ある日、声が言った。


『もう止まってしまいそう。ドロドロが、もう固まりそう。もうダメだ。守れない』


 守れない、というのはなんだろう。


『さようなら、ありがとう』


 いつもよりもずっと悲しそうに、声は言った。

 声がさようなら、なんて言ったのは初めてだった。

 それが、妙に引っかかった。


『地球の磁場が弱くなっています。このままの状態が続くと、地球を守るバリヤーが無くなり、有害な放射線などが地球に降り注ぐことになります』


 まだ遠いことのように、ニュースの声が言った。

 地球の中にあるマグマの海が対流しているおかげで、地球には磁場が発生しているとニュースでは説明している。マグマが完全に冷えて固まってしまえば、もちろん磁場は無くなることになる。

 地球を守ってくれている磁場が無くなれば、最悪、地球は火星のような生命の存在出来ない環境になってしまうのではないか、と。

 ニュースの声は他人事のように言っている。


『ドロドロが、もう固まりそう』


 声は言っていた。

 ふと、そのとき私は思った。

 突拍子も無いことなのだけれど。

 あれは、ニュースで言っているマグマのことなんじゃないだろうか。

 だとしたら……。


『細長いのがあるところ』


 そこがむずむずすると言った後で、日本に大きな地震が起きた。


『細長いの』


 それはもしかして日本のことなんじゃないだろうか。

 ずっと聞こえている、あの声。

 その正体はもしかして。


『むずむずする』


 考えてみればその声が言うと、数ヶ月後、数週間後、数日後、いつかはわからない。どこかで大きな地震が起きていた。

 次の日や、言ったその日に、すぐに起こるわけでは無い。それでも必ず起こる。

 気のせいなのかもしれない。

 なんの関連も無いのかもしれない。

 それでも、もしかして、と思ってしまう。

 熱いと言っているのは、地球温暖化のこと。

 それとも、最近世界中で大規模な火災が起こっていることかもしれない。

 あり得ないことだと思う。

 突拍子も無いことだと思う。

 だけど、そう思ってしまった。

 私には、地球の声が聞こえている。

 もちろん、思い当たったところで誰にも言えない。

 私に伝えたって、どうすることも出来ない。

 地球の声が聞こえていると言って、誰が信じてくれるのだろう。

 もちろん、両親にも言えない。子どもの頃のように気味悪がられるだけだ。

 他の誰かに言っても、そういうことを妄想しているおかしな人間だと思われるだけだ。

 声が何かを言ってから起こるまでに時間が掛かるのは、もしかすると地球が大きいからかもしれない。人間よりもずっと長生きだからかもしれない。なにしろ人間とはスケールが違う。

 時間の感覚がズレていて、私にとってすぐに起こるくらいの感覚で数ヶ月後のことを言っている可能性がある。

 だとしたら信じてもらったところで、いつ起こるのかわからないものをどう説明すればいいと言うのだろう。

 大体、起こる場所すらわからない。

 大雑把に言われても、そこのどこか、そこがどこかわからない。

 地球からしてみたら、日本だって『細長いのがあるところ』くらいの認識だ。

 それでも、地震なら地域や国さえわかっていればそこから逃げ出せばなんとかなる。最悪、私と私の家族だけでも。信じてくれなくたって無理矢理引きずって連れて行けばいい。

 でも、地球の言うドロドロが止まってしまえばどこにいたって同じだ。

 この星の全ての人たちが、生きている全ての生命が死んでしまう。

 もちろん、私だって。

 あまりに規模がでかすぎて、自分が死んでしまうということにピンとこない。

 地球のことだから、それが止まるのはいつのことだかわからない。完全に止まってしまうのはずっとずっと先のことかもしれない。

 現実味がわかないのは、きっとそのせいだ。

 地球の時間感覚は私たちとはズレているから。

 もしも、明日か明後日、数週間後に来たとしたら運が悪かったとしか言いようがない。

 あれだって、そうだ。来る来ると言われている南海トラフ地震。来るとわかっているのにみんなその地域から逃げたりなんかしないで普通に生活している。

 それよりも範囲が大きすぎるけれど。

 なにしろ地球全体の話だ。

 そこまで考えて、私はハッとした。

 ドロドロが止まるというのは、地球自身も死んでしまうということなのだろうか。

 星としての命を終えてしまうということなのだろうか。


「そうなの?」


 私の言葉に、声が答えてくれたことは無い。

 声はいつも一方通行だった。

 私にはきっと地球の独り言が、たまたま聞こえていただけ。

 私の声は小さすぎて地球には届かない。

 それでも、


「さようなら、ありがとう」


 私はあの声と同じ言葉を口に出していた。

 私の声が届くことが無くても、それでも伝えたかった。

 地球が時々口にしていた愛おしいものに、私たち人間は、私は含まれているのだろうか。

 もしもそうなら、私は嬉しい。

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愛し子へ 青樹空良 @aoki-akira

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