第三章 暗闇の奥に引きずる者14

『ほら、また枝をやるぞ』


 そう言って、しゅ主がほこらの横に伸びていた大ぶりの枝を斬って与えてくれた。

 先端が尖ったその枝は昨夜の枝よりも精巧せいこうに雪を掘っていけそうだった。


(よし、やろう)


 人型にした雪のかたまり……。

 そこに紀枝は枝で母を彫り、母を描く。

 長い黒髪、ぱっちりとした目、どこか疲れているように見える細い姿、それでも美しかった母。

 唇の下の黒子ほくろ、首の大きなあざ、細い指には結婚指輪……指輪の上にの痕。

 全部思い出せるのに、想いが強すぎるのか昨日のように上手くできない。

 母の顔も、髪も、体格すらも違っていく。

 顔がふっくらとし、髪は染めすぎてバサバサで、体格はがっしりしている。


(違う、違う、こんなんじゃないっ)


 紀枝は腰回りを削ろうとして、ぐぅっと変な息をらす、

 いつの間に、こんなものを描いたのだろう。

 雪像の太り気味の腰に食い込むベルトがあった。

 母は、こんなに太いベルトなどしない。

 母は、酒造の作業着に身を包み、寒くなるとその上からはんてんを着る。

 抱きつくとお日様の匂いがするはんてんを着ているのだ。

 みにくふくれた腹に食い込むようなベルトなどしていない。


(――これ、誰?)


 紀枝は雪像を造る手を止めて、少し離れた位置から全体像を確認した。


「……っ」


 目に入った姿に、紀枝は吐き気をもようし、小さな手で口を押さえてうずくまる。

 母ではなく、彩が、ビニールシートの上に寝転がり、紀枝を見てゲタゲタと嘲笑っていた。


『――魂を込める雪像は、それでいいか?』

「お母さんは、こんなのじゃない……!」


 込み上げてくる熱い液を胃に戻して、彼女はそこら辺の白い雪を口にかき込んだ。

 酸っぱい胃液が温かな雪と混じって、口内に広がる。

 紀枝は雪像の彩から顔を背けて、ぺっとたんを吐き出した。

 本当は彩に向かって痰を吐きたかったが、それだと雪像が汚れてしまう。


「これ……作り直す」

『時間がないぞ、早くしろ』

「わかってるっ」


 紀枝は、雪像の彩の腰に大きな枝を突き刺し、それから小太りの身体をズリズリと削っていった。

 母と彩を一緒にしてしまうなんて、自分はどうしてしまったのだろう。

 狂ったのだろうか、狂ったのだろうか。

 狂っているから、母と彩が混じってしまうのか!

 

(死ぬんだから、狂っててもいい。だけど、今はお母さんを作らなきゃ)


 ……ああ、母はどんな人だっただろう。

 長い黒髪をくしで丁寧にすいて一本結びにして、二重の目は大きくて鼻は高くて……まるで外人さんのようだった。

 指は細くて長くて、おちょこを持つ時に軽く小指が立つのが可愛い母だった。

 酒を一口だけ飲んで紀枝を見て優しく微笑む唇も、本当に綺麗で可愛らしくて、みんなに自慢するような母だった。


 母を懸命に思い出しながら、紀枝は指や枝を必死に動かしていく。

 しかし、脳裏に母の姿を浮かべようとすると、地獄の底から突き上がるように彩の下卑た笑顔が出てくる。

 紀枝をバカにし続けた彩の姿が浮き上がってくる。

 亡き母よりも、苦しめる彩の方が、強烈に紀枝の中に広がっていた。

 きっと、台所に転がって紀枝を嗤った彩の姿に殺したいほどの憎しみを感じたからだ。


「やだよ、やだよ、お母さんになってよ」


 祖父が部屋に隠したと言っていた母の写真を探して持ってこようか……。

 だが、それでは祖父に見つかってしまう。


(お母さん、お母さん、お願い思い出させて。そしてこの雪に宿って紀枝を助けて、紀枝を助けに来て)


(ここから紀枝、出ていきたい。紀枝、もうこの家、やだ! ……だから……死ぬの)


 どうしても、雪に再現されてしまう彩を壊し殺し、母を取り戻そうと新しい雪と前の雪を固めて行き、手で削り、枝を動かし、母を作る。

 彩の顔ばかりがチラつくが、何度もやっていく内に雪像は母のように細くてたおやかな美しさに近づいていった。


『紀枝、蘇らせるまで、もう四半刻もないぞ。神無月かんなづきはとおに終わって、おれの力も弱まってきたぞ』

「四半刻……? それってどれくらい?」

 肩で強い息をしながら紀枝は主にたずねた。

『とても短い時間だ。早くしろ』

 早く、早く、母を此処に呼ばないと。


 紀枝は、雪像の全体を確認してから目や睫毛まつげなどの細かい部分を入れ始める。

 これは母になってきているのか?

 それとも、また彩なのか?

 あの彩になってしまうのか?


 その時、母屋おもやの方からバカにするような視線を感じた。

 紀枝は、びくんとして後ろを振り返る。

 だが、母屋の方にも窓の中にも彩の姿はない。

 

(彩のことなんて、考えちゃ駄目)


 それでも、台所で母を求める自分を嗤いまくった彼女の姿が、頭蓋骨ずがいこつの中で大きな質量を持ってカッと発熱していく。

 母の姿が遠ざかり、母を求める想いより彩への憎しみが膨れあがる。


(天国や浄土に行かなきゃお母さんと一緒にいられない。だから彩を殺さない)


 それに母は、紀枝が良い子になるように望んでいたのだ。

 だから、殺したいけど殺さない。


(わたしは彩を殺したいだなんて思わないよ)


 自分が死んだ後にみんなに責められて死んだらいいと思うだけだ。

 それなら紀枝が殺すんじゃないから、紀枝は良い子のままのはずだ。

 自分を見失うほど、思考が歪み、紀枝は母の理想から遠ざかっていく。

 しかし、彼女はそれを分かってなどいない。


『雪像は、それでいいか?』

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