第三章 暗闇の奥に引きずる者12
恐怖に身を跳ねらせてから、紀枝は
「……未子ちゃん」
名前を呼ぶのがやっとだった。
「紀枝ちゃん、死んじゃ
「し、死んでる人に……言われたくない」
「……私、死んでないよ」
そう言ってから、未子が引き
しかし、未子の足元は雪に沈んでいなかった。
クローバーの飾りがあるピンクの汚れたローファーは、その汚れで雪を汚しもしていない。
「ねぇ、私、死んでないよ」
もう一度
紀枝は静かに後ずさりしながら、未子を見つめ返す。
彼女の黒目は本当に真っ黒で、眼球に穴を開けたようにすら見える。
その穴を睨み付けると、ずるりと内部に吸い込まれていきそうな気がした。
紀枝が
後ずさりしていた足を速めようと大きく後ろに下がると、未子が
「……ゃ、……やめて」
未子は固まった笑顔のまま、紀枝の手を自分の頬に当てさせた。
じっとりと生温かい。
「……ほら、死んでないでしょ? 死んだ者に体温なんてあるはずがないよね?」
「……っ」
確かに温かいが、びちょっとしたような
見ると、未子の肌が雪か汗か何かで濡れている。
「それに、幽霊には触れられないよね?」
紀枝は答えられない。
なぜなら、未子の感触は普通の人間の肌とは違うからだ。
生暖かくてぬめぬめしていて、とりとめが無い形をしているようだった。
太陽の日を浴びたぬかるみの中に手を入れたような感じがするのだ。
(幽霊じゃないなら、この子は化け物だ……)
思った
このままコレに捕まっていたら、とんでもない闇の中に取り込まれてしまいそうだ。
そうなってはいけない。そうなったら、主の力を借りられない。
「手、離してッ」
紀枝は恐怖を押し除けて、未子の手を振りほどいた。
「紀枝ちゃん、主の所に行かないで。死んじゃダメだよ」
「これから雪で遊ぶだけだよ。だから、死なないから」
「主の呼びかけに答えるのは、私でいいんだよ。紀枝ちゃんは生きてなきゃ
その言葉を聞いて、紀枝の心に熱を
「主を奪わせない!」
紀枝の言葉に未子が驚いたように薄く口を開ける。
「未子ちゃんは苦しいから、主の力を借りてどうにかしようとしてるんでしょ。でも、わたしが先に主と出会ったのっ。どうしても主に会いたかったら、わたしが死んでからにして!」
悲鳴のような言葉に、未子はゆるゆると頭を振った。
「違うよ。紀枝ちゃん、私は……私は紀枝ちゃんは生きるべきだと思ってるだけだよ。だって……」
「うるさい!」
未子の言葉を一言で八つ裂きにして、紀枝は犬のように
「うう、うるさいっ、うるっ、さい。もう邪魔しないで! 時間が無いんだから、邪魔しないで!」
そのまま走り去ろうとした時、未子の両腕が紀枝を捕まえた。
ぬちゃっという音がして、
それでも裏庭に行こうとすると、未子が全身を背に押し付けてきた。
未子の強すぎる力に耐えられず、徐々に身体が斜めになり、そのまま紀枝は雪に倒れ込んだ。
「駄目だよ……、行かせない……私達、トモダチでしょ?」
「……離してッ。わたしは、主に会いたいのっ」
未子の下で
そこにはカサッと鳴るある物が入っていた。
紀枝はそれを掴んで引き出すと、その手で後ろにいる未子を激しく叩いた。
「
テレビ番組で霊能力者が言っていた言葉を必死に言いながら、
紙包みが変形し、指の中に粗塩が
すると、未子がびくんっと身体を反らした。
「ぁっ、ぁっ、うぅぅっ、あぁぁっ」
後ろを見ると、未子はなめくじのようにのたうって汚らしい髪を振り乱し始める。
「祓え、祓えっ、死ね!」
「……紀枝、ちゃん……私は……ぁ、あぁ、ああああ、ぁぁあああぁぁっ、あああ!!」
ふっと身体からぬるい重みが消えた。
未子の姿がどこかに消え、何にも覆われていない紀枝の身体を刃物のような夜風が切り刻んでいく。
「助かった……助かったから、行かなきゃ」
紀枝はのろのろと起き上がって、コートのポケットに
それから、ブーツを引きずるようにして裏庭に向かう。
『紀枝……』
狂い咲く、
『おかえり、紀枝』
透明感がある主の声が、雪になぶられている彼女の耳に届いた。
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