第三章 暗闇の奥に引きずる者11
そう考えた
悪い考えが引き金となった痛みを、紀枝は
ドンッと
もし、母が
違う、そんなこと無い、違う。
ドン!
山人が
でも、悪いことをする神様だっているのかもしれない。
ドン、ドンッ。
母は病気で亡くなったのだし、山人に誘われて亡くなったのではない。
それに山人が『
ドン、ドン、ドンッ!
心の中で育っていく痛みが伴う
「どうしたんだい?」
「あの、あのね。怖い考えが出てきて、消したいのっ」
「……幽霊のことかい?」
「ううん」
「じゃあ、お母さんのことかい?」
「うんっ」
「それなら、胸を叩くんじゃなくて
その言葉に、紀枝は硬く握っていた手を
そして、割れた唇を薄く開いて、すっと小さく息を吸ってみる。
車内の空気が僅かに肺に入り込んだだけで、頬が
だから今度は、体育の授業でやるように、すぅぅぅと思いっきり息を吸ってから長く長く吐き出した。
「ちょっとは楽になったかな?」
「……うん」
「そっか、そっかぁよかった。じゃあ、これからおじさんとお話ししよう」
「お話?」
「辛い時に考えると、もっと辛くなるもんだよ。だから、おじさんとくだらない話をしてようよ」
それから紀枝は運転手と普通の会話を普通に交わした。
運転手は紀枝の話に耳を
(――この人に彩のことを話したら、どんな答えが返ってくるのかな?)
そんな風に思ったが、楽しい会話を失いたくないから言いたくない。
それらの多くは母が生きている頃の話だったが、運転手は気にもとめずに紀枝の話し相手になってくれた。
(いっぱいいっぱい、話した)
紀枝は、窓から近所の景色を眺めて、この思い出を胸に刻んだ。
(幸せだ)
道
門の
線香の煙のような細く白い息を吐きながら、紀枝はタクシーから降りた。
「お嬢ちゃん、元気におなりよ。お嬢ちゃんが元気にならなきゃ、お母さんも元気にならないよ」
紀枝が母に付き添って病院に来たと思い込んでいる運転手が、ドアを閉める前に言ってくれた。
紀枝は
「じゃあね、お嬢ちゃん」
エンジンの音がして排気ガスの匂いが濃厚に漂ったが、雪を叩き付ける風によって直ぐになくなる。
ほとんど街灯の明かりが灯っていない路地、その暗がりの中にタクシーが滑り込むように消えていく……。
(さようなら、この二年間でおじさんのタクシーが一番居心地よかったよ)
紀枝は高い塀の横に積もった雪をブーツで踏みしめながら、隣家との間の境にある細道へと進んでいった。
父や祖父の背より高い塀で風が塞き止められ、この小道は雪に完全支配されていない。
それでも、ブーツを入れると足の甲は粉雪に染まっていった。
紀枝は音を立てないように気をつけながら駆けていく。
ざっざっ、ざっく。
さっく、ざっく。
しかし、それぐらいの音だから
ざっ、ざっ、ざっくざく。
さくさくさくさく、ざぁっくざく。
急げ、急げ、死はそこだ。
楽しい死は、急げば手に入る。
走れ走れ、死はそこだ。
母に会える死が目の前にある。
「紀枝ちゃん、待って……」
びくんと身を跳ねらせてから、紀枝は
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