第二章 主が呼び出す死者の道3

 ふっふっと祠の中から銀色の紅葉の枯れ葉が吐き出された。

 それらは満月よりも明るく、しゃれた街灯がいとうよりも優雅ゆうがに裏庭を照らし出す。

 すると雪にまみれた裏庭の、上に優しく積もっている綿雪が下から押し上がるように盛り上がっていった。

 それが大きな山になると、また声が聞こえてきた。


『雪遊び、雪遊びぐらいしろ。お前、ここんところちっとも遊んでいない』

「雪遊びって? かまくら?」

『雪で生き物を作るんだよ。雪像ぐらい知ってるだろ』


 叔母がいる北海道で見た見事な雪像せつぞうを思い出してから、紀枝は困ったように青ざめた唇を尖らせる。

 あんなにすごい物なんて作れるはずがない。


『作れよ、そうだ、まずはうさぎだ』


 命令するように言われて、紀枝は関節がぼっこりとれた手をさすりながら盛り上がった雪の山に手を突っ込んだ。

 人の肌を感じる温かさが、身を包む。

 

(雪が、温かい……)


 驚いて、彼女はほこらにいるお稲荷様ではないけれども、そう呼ばれていた者に目を向けた。


「これじゃあ、死ねない」


 紀枝が言うと、祠から密やかな声がした。


『楽しく死にたいんだろう。お前が感じる温かさは、本来は冷たさだ。肌に感じるのは、まやかしの熱だよ』


 その言葉に、紀枝は泣きそうになって奥歯を噛みしめた。


(本物の魔法使いだ、助けてくれるんだ)


 本当に、この者は自分を楽しく殺してくれる。

 なんで、こんなに良くしてくれるのか分からないけれど、この者だけは紀枝を救ってくれる。

 死という終わりの世界へ導いてくれる。


「あ……ありがとう」


 助けてくれない家族や彩にいつわりの感謝をたくさん述べてきたが、今日ばかりは本音の感謝だった。

 心の底から初めて出た感謝だった。

 

 紀枝は暖かな雪の中に手を突っ込んで、久しぶりのぬくもりに頬を緩ませた。

 お風呂ですら、紀枝の番になると湯が抜かれてしまい、シャワーで湯を出すのは禁じられている。

 風邪をひいて倒れて、動けなくなって、記憶もさだかではなくなってから、やっと祖父から温かなおかゆが与えられるという生活を送っていた。


「……うさぎを作ろう。可愛いのを」


 紀枝は綿のような雪に頬をゆるませながら、山から一塊ひとかたまりの雪を両手で下ろした。

 そして、それを優しく優しく撫でるように楕円だえんに固めていって、尻尾を付け、細長い耳を作っていく。

 しかし、細くて長い耳が雪ではなかなか作れず、楕円の胴体にくっつけようとすると崩れてしまう。


『笹の葉でいい。此処ここにあるものなら、何でも利用できるさ。しかし、此処にないものは全く利用できないがな』


「うん、わかった。魔法使いさん」

『魔法使いではないさ。あえて言うなら、しゅだ』


 しゅ――と古びた言葉を紀枝は心に刻み込んだ。

 保育園がキリスト教関係だったので、神を「主」と呼ぶことは知っていた。

 もしかしたら、神が助けに来てくれたのだろうか?


(助けてくれる者の名は、主)


 その言葉は、お星様やお月様や、学校の子供達が持っている可愛い小物より、彩が持っている宝石よりも、美しいものに思えた。

 紀枝は名を心に刻み込んでから、立ち上がってほこらの側の笹の葉をぷちっぷちっと摘んだ。

 頭の部分に笹の葉を二本刺して、小さな鼻を付け、枝で目と口を描くと、兎の完成だった。

 できあがった雪像を満足げに眺めていると、自分が工作や絵が得意だったことを思い出す。

 ここ数年、家のことばかり考えていてそんなことすら忘れていた。


「できたよ。兎、これでいい?」


 先生に尋ねるように聞くと、主が軽やかに笑い出す。


『良いぞ、これで良い。じゃあ、友達を増やすかな』


 ひゅぅと子供がはやすような風音が、頭上からつむじとなって降りてきた。

 つむじ風が兎の周りを回ると、まず笹の耳が動き、尻尾が動き、それから作っていないはずの手や足が出てくる。

 手足は動き、雪から胴体をべりべりと引きはがした。

 しばらくすると雪像にみっしりと毛が生え、穴を開けただけの目に眼球が出来、口からは歯が見え、兎の四肢はぶるりと動き出す。

 明らかに本物の兎となった雪像は、紀枝を見ると嬉しそうに跳ねた。


「生きてる!」


 驚いて大きな声で言うと、主が鼻で笑い返してきた。


『いいや、死んでいる。これにはうさぎの魂を宿した。ここら一帯を開拓かいたくする時に死んだ兎のな』

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