第二章 主が呼び出す死者の道2

未子みこちゃん……」


 いつもは道路端でしか会わない未子が、裏庭まで来ていた。

 雪が降りしきる中、だらしなく伸びきったタンクトップを着ている。

 タンクトップは白かったのだろうが、あかで汚れているせいで純白の雪の中では灰色に近く見えた。

 未子はこのタンクトップと浴衣だったものの二枚くらいしか服を持っていない。

 あと、一度焼け焦げた何かを身にまとっていた気がする。


「私も来たの。だけど、紀枝ちゃんが来るなら私はいらないね……。これ、あげる」


 未子はそう言って、右手につかんでいたものを広げて見せた。

 また、クッキー……だと思われるものだ。

 未子の服のように、どこにぞくするものなのかハッキリとわからない。


「未子ちゃん、あのね……もうクッキーとかいらないの」

「どうして?」

「……」


 紀枝が黙り込むと、未子は身を屈めてこちらの顔を覗き込んできた。


「死ぬの?」

「……死なないよ。ただ、このクッキーは未子ちゃんに必要なものだから、わたしにはもういいよ」


 嘘がすらすらと喉の奥から出てくる。

 未子は少しだけ思案しあんしてから、紀枝にくるりと背を向けた。


「私は、紀枝ちゃんにこそ必要だと思ってたの。でも……紀枝ちゃんに嫌われそうだからあげないことにする。じゃあ、帰るね」

「うん……、さようなら」

「またね!」


 大きな声で言って、未子は闇の中に走り出す。

 雪と闇とで彼女の姿はすぐに視界から消えていく――その寸前すんぜん、未子がちらりと顔をこちらに向けた。


「死なないでね」


 血の気の無い顔の中で、真っ黒な目が哀しそうにせられた。

 そして、彼女は、また前を見て走っていく。

 なぜかその時、紀枝は彼女が親切で食べ物を持ってきていたように感じた。

 

(そんなことあるはずがない。あの子は、わたしと同じなんだから)


 そう……未子は紀枝が運んできた食料を食べている時、口元に笑みを乗せていたのだから――。

 未子の笑みを思い出して、紀枝はくたりと項垂うなだれた。



「未子ちゃん、ごめんね。わたし、先に一抜けする」


 ぽつりと呟くと、酷く冷えた風が紀枝の身体を叩くように吹き抜けてく。


『さあ、遊ぼうよ。雪……でね』


 風の中から、あの得体えたいの知れない声がした。


「魔法使いっ」


 紀枝はばっと顔を上げて辺りを見渡したが、あるのははだかぼうの木々と彩が邪魔だといって除けてしまった日本庭園の岩、そして赤いお稲荷様のほこらだけだ。

 どう見ても、いつもの寂しい裏庭である。


「ねぇ、どこにいるの? 姿を見せて」


 紀枝が話しかけると、細波さざなみのようなやわらかい笑い声が夜空に響き渡った。


ほこらから話しかけているが、最早もはや、裏庭そのものがおれさ。ここにおれが息づいている』

「ここが、あなた?」


 意味が分からなくて聞き返すと、彼はまた楽しげに笑い出す。


『おれは、大昔に山で殺されて、此処に運ばれて捨てられたんだ』


 なぜか、主は嬉々として過去の話を始める。


『それから何百年か経ったら、ここら辺の木々がバッサバッサと切り倒され、お前達一家がやってきて酒蔵やら倉庫やら家やらを建てていった。そして、おれは裏庭に引っ込められたのさ。それからおれは、お前達のことをじぃーとね、じぃーとね、見ていたわけだよ』


 紀枝達家族をこころよく思っていない口調だった。


「……ご、ごめんなさい」

『謝らないでいいさ、だってお前、おれに水をくれるから』


 そこで紀枝は気がついて、前に拭いて綺麗にした赤い祠に視線をやった。


「あなたは、お稲荷様?」

『違うというべきだな』

「じゃあ、やっぱり魔法使いなの?」


 たずねると、その者は綺麗な声音でカラカラと笑う。


『それよりも、紀枝、遊べよ』

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