お店の立地計画、始動!


 父にショートケーキを差し入れた後、レミアはすぐさまパン焼き場に戻った。

机の上には3本のパウンドケーキと、切り分けた残りのショートケーキ。


 美味しく焼けたとはいえ、一人ではとてもではないが食べきれない。

ここは屋敷のみんなにお裾分けするのが良さそうだ。

何とか全てお盆に載せきると、落とさないよう慎重に厨房へ持ち込むことにした。



 厨房では、夕飯の下準備で料理人たちがせわしなく動き回っていた。

肉料理に使うハーブと、スープのベースになるブイヨンの香りが廊下まで漂う。


 料理人たちは驚いてくれるだろうか。

レミアは彼らの反応を楽しみにしながら、厨房へ続く角を曲がる。



 嗅覚に優れた料理人はすぐさま空気の変化に気づき、一様に入口へ視線を向けた。

 思わずレミアはたじろいでしまい、つい勢いで回れ右しそうになる。

なんとか衝動をこらえると、お盆を持ったままにこりとほほ笑んだ。


「お疲れ様です。

 ケーキができたので、良かったら召し上がっていただけ、たらな、と……」


 言い終わる前に、彼らの目がきろりと光る。

職業病だろうか、玄人の目つきに一瞬で切り替わったようにも見えた。


 瞬間的に静まり返った厨房内。

程なくして彼らは顔を見合わせ、がやがや騒ぎ始める。


 料理長が前に出て恭しく一礼し、レミアからお盆を丁重に受け取った。

調理台の上に置かれたパウンドケーキが切り分けられていく。

均等な厚みで、断面がガタガタになることもない。

まさに熟練。レミアは思わず賞賛の拍手を送りたくなった。


「こ、これが、お嬢様がお作りになった菓子……っ」


 ジョルトが皿に盛りつけられたケーキを眩しそうに見ながら呟く。

こうして料理人が一堂に揃っているところで見ると、彼が一番若いらしい。

周りから咎めるような視線を向けられ、彼はすぐさま姿勢と表情を正した。


「我々が口にしてもよろしいのですか、お嬢様?」

「もちろんです、一人じゃ食べきれませんから。

 分けて食べるお菓子なんです、みんなに食べてほしいんです」


 料理長の戸惑いと感激を込めた問いに、レミアはしっかりと頷く。


 数が少ないショートケーキは、あれこれ力を貸してくれた料理人のみんなや、いつもお世話をしてくれるメナに食べてもらうことにした。

他の使用人たちにはパウンドケーキを配る。

しっかりバタークリームも添えて、より深く味わってもらう工夫もばっちりだ。



 一人では配れないので、執事長やメイド長にも伝えて全体に通達してもらう。


 ちょうど夕食時と重なる頃だった。


 食べた皆が、笑顔になってくれますように。

そう願いを込め、レミアは通達へ向かう執事長とメイド長を見送った。



◆ ◆ ◆



 翌日、朝食の席でレミアはエルハンスからケーキの感想をもらった。


「柔らかな口当たりで、とても美味しかったよ。

 ありがとう、レミア」

「えへへ、良かったです」


 普段は忙しいためか、エルハンスは食堂で食事を摂らない。

自室か書斎で独り手早く済ませるか、なんなら一食抜くことさえあるという。


 それゆえレミアが父と共に朝食を囲むのは久しぶりで、料理も心なしか朝から気合が入っているように見えた。


 柔らかなホワイトブレッドに生野菜のサラダ、ふわふわのスクランブルエッグ。

メナに配膳してもらいながら、二人は穏やかな会話を続ける。


「心なしか、今日は随分と疲れが取れている気がしてね。

 ケーキ、だったか。お前が作ったものは、人を元気にするのかもしれないな」

「そう言っていただけて光栄です、お父様!」


 父に褒めてもらう。それだけでも十分すぎるほど嬉しいが、何よりこれまで心配をかけてきた父に一つ恩を返せた。


 心が晴れやかになったところで、レミアはこくんと唾を飲んで父の目をまっすぐ見つめる。


「それで、そのう……お店を、やってみたいんですけど……」


 ケーキ屋さんになりたいと言ってから、この話を切り出すのは初めてだ。

前回は父を驚かせてしまったこともあり、そこで話がうやむやになってしまった。

まだちゃんとした許可は得ていないから、話をするなら今しかない。



「うむ……そうだな。

 せっかくやりたいことを見つけたんだ、思う存分やってみなさい」

「あ……ありがとうございます、お父様!

 いつか必ず、世界一のケーキ屋になってみせます!」


 力強く宣言する娘に、父はそうかそうかと優しく頷く。



「メナ。お前もレミアを支えてやってくれ」

「かしこまりました、旦那様」


 エルハンスとメナのやり取りは短いものだったが、交わされた視線はどこか真剣で意味ありげなものだった。



◆ ◆ ◆



 朝食を食べ終えた後、レミアは独りでロティを迎えに行った。

父から正式に店を出す許可をもらったにもかかわらず、その準備をこっそり行うのがつい癖になっている。

 パン焼き場に彼を連れてきた後、堂々と行けば良かったことにようやく気づいた。


「パウンドケーキにショートケーキ……。

 これでひとまず、ケーキのお店を開けそうです!」

「そのうち飽きられそうだな」

「そ、そうならないように、新作レシピの開発も続けます、はい」


 ざっと前世の記憶を辿っただけでも、ケーキにはたくさんの種類がある。

チョコレートケーキ、チーズケーキにモンブラン……。

思い浮かべるだけで斜め上方を見上げ、涎を垂らし始めるレミア。


 ロティは彼女の奇行にもう慣れたのか、何も言わなかった。



「お店を開くには、とにもかくにも資金と立地ですねえ……」

「金持ちの家なら、何も困らないだろう」

「うぐっ……そう、お父様に相談すれば、何もかも一発なんです……」


 痛いところを突かれた、とばかりに語調が暗くなる。


「何か問題があるのか?」

「……こう、とてつもなくズルをしてる気分になります。

お店を開くためにみんな苦労してて、それを実家の太さで解決するのが……。

資本主義の甘い汁を吸ってる感じが……」

「お前、ケーキ以外でも面倒な性格だな」


 手っ取り早い手段があるのに、それを使わない。

ロティにはその心理がよく分からないようだった。


「どんなに手を伸ばしても、手に入らなかったものなんですよう……。

 それを家族とはいえ誰かに叶えてもらうのって、空しさも伴うと言いますか……」


 俯き、人差し指の先を突き合わせ、ぽそぽそと呟く。


「……手に入らなかった、もの」

「はうっ……! えっと、夢の中でのお話です!

 夢の中じゃケーキ屋さんになれなかったんです!」


 静かに復唱したロティにまた矛盾を指摘されたような気がして、レミアはわたわたと言い繕う。


「……ああ、確かにさっきの物言いも妙だったな」

「ほひっ!? 私、もしかして自滅しました……?」


 ロティの意図は全く別の所にあったらしい。

 しかし彼はそれ以上レミアを追及することもなく、どこかぼんやりと窓の外を見ていた。



「とと、とにかく資金は……溜まってるお小遣いがあります。

 それで空き家を借りて……」


 今日は店を出す場所を決めるつもりなので、お小遣いの袋を持ってきていた。


 気が向いた時にでも買い物を楽しめるように。

使う、使わないはさておき、父が少しずつレミアに積み立てておいてくれたお金だ。

 ただしお小遣いというには、庶民の感覚では考えられないような大金でもある。

 それもあって、今のレミアにはこれが自分のお金という実感は全くない。


「……これは会社の資金、会社の資金……。

 私は雇われ店長……」


 自分で汗水流して得たお金でないと、すぐ無駄遣いしてしまうかもしれない。

それを危惧したレミアは、自らを戒めておくため暗示をかけておくことにした。


「まじないか何かか……?」


 壁を向いてぶつぶつ呟くレミアはとてつもなく近づきがたい。

ロティは何も見なかったことにした。



◆ ◆ ◆



 その日の午後、レミアは王都の中心部へ向かっていた。


「うぅーん、いいお天気ですねえ。絶賛の下見日和です!」

「……なぜ俺まで」


 店の立地を決めるべく下見へ。

ロティの手を借りる必要は一切ないのだが、レミアは彼を引っ張ってきていた。


「ロティさんもこれから一緒に働く所なんですよ。

 勤務先の希望があるなら今のうちですよ!」

「希望も何も、人間の街中ならどこも同じだろう」


「全然違いますよう。人通りの多い大通り近くのお店とか、ちょっと路地に入った所の隠れ家風なお店とか、雰囲気や来てくれるお客さんにも関わります」


 ロティは心底興味がないと言わんばかりに周囲を眺めている。

どうやら彼の目には、あらゆる街並みが似たようなものに見えているらしい。


「なら、静かで目立たない所だな。人間がほとんど来なければ、なおいい」

「お店ですからね!? そこまでお客さんが来ないとすぐ潰れちゃいますっ」



 ロティと話しているうちに、上流階級の人々が買い物をする区域へ来た。

王城に近い区域で、市場の喧騒はほとんど聞こえない。

立ち並ぶ店はガラスや上品な装飾をあしらっており、清潔で華やかな街並みを形成している。


 道行く人々の多くは、貴族や大商人の使用人だ。

ごくまれに店の前に馬車が止まっているくらいで、レミアのように徒歩でぶらつく貴族は非常に珍しい。


「このくらい静かなら、まあ耐えられるな」

「そうですか……?

 なんだか空気が格調高すぎて、肩がカチコチになりませんか……?」

「貴族のお前には、むしろ慣れた空気じゃないのか」


 閑静な地区であることには違いないが、レミアにとっては落ち着かない区域だ。

郊外ののんびりした静けさと、上流区域の人目が気になる静けさでは全然違う。


「心はいつでも庶民です。高級フレンチよりファミレスのワンコインランチ派です」

「後半の余計な情報はいらん。どうせ何を言っているかも分からんしな」

「フレンチもファミレスもないですからねえ……」


 この感覚をロティと分け合う術がないことにしょんぼりする。

代替できそうな表現も、残念ながらこの国にはなさそうだ。



「……あ、お菓子屋さん」


 窓のガラス越しに焼き菓子が見える。

視線を上にずらすと、店名の看板がかかっていた。


 その看板を見て、レミアは目の色を変える。


「ふおおお……こ、ここが噂の……!

 王家御用達と名高い……!」

「おい……! 声を落とせ。目立つだろうが」

「ご、ごめんなさい。ついテンションが……」


 危うく店の窓に張り付いて菓子を凝視するところだった。

 店内にはパティシエと思われる店員がいた。

焼き立ての菓子を店の奥から持ってきて、カウンター近くの棚に並べている。


 遠目ではよく見えないが、ブリオッシュのような柔らかい生地の上に繊細な飾りが乗っている。おそらく飾りは飴細工だろう。

 ケーキよりもパンに近い。クリームを使っている様子はなかった。


「こ、ここは一つ、敵情視察です。あの美味しそうなお菓子を買って……」

「後にしろ。お前の買い物に付き合う気はないぞ」


 縫い付けられたように、その場を動こうとしないレミア。

ロティに急かされてようやく店の前を去るも、名残惜しそうに何度も振り返った。



 その後も、二回ほどお菓子屋を見かけた際に同じことを繰り返す。

上流区の下見が終わる頃には、ロティの視線が随分痛く感じられるものになっていた。



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