ショートケーキを父に


 木苺を求めてレミアたちがやってきたのは、いつもロティがいる森だった。

彼の定位置ではなく、さらに森の深い所。

人がめったに立ち入らない、動物たちの領域だ。


「魔物はいないはずだが、うかつに動き回るなよ」

「まもの……」


 ロティから忠告され、レミアはこの世界の常識を思い起こす。

魔物は、自然界の魔力を受けて性質が変化した動植物や物体の総称だ。

その多くは力に呑まれて凶暴化し、石や骨といった物質であれば動き出す。

そして、より大きな力を求めて人間や精霊を襲う。


 町の外へ出ることはこれまでなかったから、魔物が存在することをすっかり忘れていた。



 足元に気を付けながら歩いていると、茂みの中にちらほら赤い粒が見えてきた。

ゆっくりとロティが立ち止まる。

この辺りに実っているのが、彼の知る木苺なのだろう。


 低木の地面近くには木苺がなく、上の方に真っ赤な愛らしい小粒が偏っている。

 どうやら、動物たちの手に届くところはもう食べられているらしい。

上方の木苺は小鳥がついばむくらいで、他に手を出す動物がいないようだ。


 こうやって同じ木の実を分け合って暮らすんだなあ、とレミアは動物の生態に感心する。その輪の中に、ありがたく加わらせてもらうことにした。



 木苺を摘んでいるうちに、野兎が茂みからひょっこり顔を出す。


「あ、兎です。かわゆいですねえ」


 兎はひくひくと鼻を震わせて周囲の様子を窺っていたが、ロティの姿を見つけると耳をへにょんと垂らせて彼の足元へ跳ねた。


 兎はじいっとロティを見上げ続ける。摘んだ木苺をねだっているらしい。

彼は無言で一つ兎の口に放り込んでやり、むぐむぐ口を動かす兎の頭を慣れた手つきで耳ごと無造作に撫でた。


 目を細めてうっとりする兎。嫌がる素振りもないあたり、ロティとは知己らしい。

小動物と戯れるロティの姿はなんだか新鮮だ。

レミアはふにゃふにゃと緩み切った頬で様子を見守る。



 ふと、一瞬。

 ほんの一瞬だけ。

 ロティの口元が、かすかに綻んで見えたような気がした。


「………」


 レミアはぽかんと口を開け、時間が止まったように動かなくなる。


「……なんだ」


 兎との挨拶を終え、視線に気づくロティ。

 固まっているレミアを見て、じわじわと嫌な予感を覚えた。



「ふわああぁ……! なんですか、今の! もう一回、もう一回やってください!

 ワンモアプリーズです!!」

「やかましい、逃げるだろうが……」


 ロティはすぐさま小声でたしなめつつ、兎をレミアから庇うように遠ざけた。

 兎はロティの陰に隠れつつ、びびびっと耳を立ててレミアを凝視している。

怖がらせてしまったことにはっとし、レミアは息をひそめてゆっくり、ゆっくりと瞬きを繰り返した。


 ロティは兎をもう一度撫でて落ち着かせ、茂みの向こうへと逃がしてやった。


「ロティさんって、動物に好かれるんですねえ」

「単純に暖をとれるからだろう。同じ森にいれば、嫌でも見慣れるだろうしな」


 溢れる炎の魔力が影響しているのか、ロティの周囲はぽかぽか暖かい。

彼の表面は人間より熱が巡っており、それでいて火傷するほどの熱さはない。


 その手の温もりはレミアも知っている。

森の動物たちがついつい彼にじゃれついてしまう気持ちはとてもよく理解できた。


「私もロティさんにあーんされたいです、兎さんずるいです……」

「兎と張り合うな。馬鹿なことを言ってないで、そろそろ戻るぞ」


 手提げのかごにはもう十分木苺が入っている。

これだけあれば、1ホールのケーキは十分作れそうだ。


 採り過ぎて動物たちを困らせる前に、木苺摘みは切り上げることにした。



◆ ◆ ◆



 パン焼き場に戻ってくると、レミアはさっそくケーキを作り始めた。

まずはショートケーキの土台、スポンジケーキだ。


 卵の泡立ちはしっかりと、それでいてきめ細かい泡に。

 泡立て器が切実に欲しい。欲を言えば、ハンドミキサーが欲しい。

ない物はどうしようもないので、やはり今回も活躍するのは木べらだった。


 基本の材料をすべて入れた後は、粉っぽさがなくなるまでさっくり混ぜる。

生地を少し上から落とすとリボン状に跡が残り、ゆっくり沈んで消えていく。

生地の状態は上々だ。


 グラタン皿よりも深めの皿にバターを薄く塗り、小麦粉をふるう。

 そこへ生地を流し込んでオーブンに入れた。


 焼いている間に、バタークリームへ取り掛かる。

真っ白なホイップクリームと違い、ほんのり薄い黄色に仕上がる。

固めの感触で造形がしやすく、バラの花など装飾を作るのにぴったりのクリームだ。

常温で日持ちするところも、このご時世ではありがたい。



 クリームがほどよく泡立ったところで、スポンジケーキが焼き上がる。

皿ごと、とんとんと机の上に何度かぶつけて余分な水蒸気を抜く。


 少し冷ましてから、慎重に皿から生地を取り外す。

レミアは強張っていた肩の力を抜くように、一つ大きく息を吐いた。


「しかし、ケーキとやらは一体いくつあるんだ」


 ロティが呆れた様子で呟く。

机に置かれたスポンジケーキは、前回焼いたパウンドケーキとは形も質感も別物。

パウンドケーキよりも大きく膨らんでおり、見た目のボリュームはばっちりだ。


「思いつく限り無限です。

 パウンドケーキが焼けるならショートケーキも焼きたいのが人情です」


 そう言いながら、レミアはスポンジケーキの高さを見極め、ちょうど半分くらいの位置に包丁を当てて切り進めていく。


 クリームと半分に切った木苺を、上下のスポンジケーキで挟む。

更にクリームを表面へ均一に塗る。


 仕上げの飾りをするところで、レミアはふと手を止めた。


「絞り袋が、ない……」


 ビニール袋、ラップ、プラスチック。

まだこの国には流通していない代物だ。実物を見た記憶すらない。

クッキングシートのような薄くて清潔な紙があれば代用できるが、残念ながらそんな紙も見覚えはなかった。


 かくなる上は、とレミアはナイフと竹串を駆使することにした。

口金を使って絞った形は真似できないが、クリームを丸く整形するくらいならできる。


 慎重に余分なクリームを竹串ですくい、ナイフの背で撫でてムラをなくしていく。

絞り袋を使えば簡単に整う見た目も、この世界では完全な手作業だ。



「完成です!」



 最後に木苺を8つ乗せ、レミアはくうっと背伸びした。


「……ああ、これがあの絵か」


 以前見せられた奇妙な絵とケーキがようやく繋がったロティ。

 どうやら、レミアが描いた絵にあった赤い雫型の物体は苺を指していたらしい。



「この出来ならバッチリです! これを食べれば、お父様も安心です」

「安心……? なぜお前の父親を安心させる必要があるんだ」

「その、驚かせちゃいまして……急にケーキ屋さんになりたいって言いましたから」


 ケーキ屋さんになりたい。

その言葉を口にしたのは、前世の記憶を思い出した瞬間だった。


 それまでのレミアはいつもぼんやりしていて、問われたことに時折応えるくらいの大人しい子どもだった。


 子の行く末を憂慮した父が、将来なりたいものはないのかと尋ねたとき。

それまで動きらしい動きを見せなかった子どもは、突如立ち上がって先の言葉を叫んだのだった。


 その時の父の顔は今でも覚えている。

穏やかな老紳士として名高い父が、口をあんぐり開けたまま呆ける。

その様を見たことがあるのは、おそらくレミアだけだろう。


「……急に、とは? 放っておいてもケーキとしか言わないのに、父親がそれを知らないはずはないだろう」

「つい先日、ケーキ屋さんになりたいと思ったんです。

 思い立ったが吉日です」


「………。とんでもない行動力というべきか、考えなしというべきか。

 先日思いついたという割に、ずいぶん手馴れているな」

「趣味でよく焼いてましたからねえ。プロ並みの技術はこれからおいおい……」


 しみじみと過去を懐かしむレミア。

 しかし、それを聞いたロティはすっと目を据わらせた。


「……おい。炎の精霊がいないと焼けないんじゃなかったのか?」

「はうあっ!? そ、その……夢の中です! 夢でよく焼いてたんです!」


 うっかり前世の記憶を話してしまったことに気づき、慌ててごまかす。

苦しい言い訳だったが、他にいい話がぱっと浮かばない。


「はあ……夢見がちとはよく言ったものだな。

 それで技術が身につくとは到底思えんが」

「い、いいじゃないですか、ちゃんと焼けてるんですから!」


 相手がロティだと、気を許してつい前世の話を今世のことのように語ってしまう。

打ち明けてもいいのではと思う反面、ここで荒唐無稽な話を重ねてロティが離れていってしまうのは絶対に避けたい。


「それで焼ける方がおかしいという話なんだが……まあいい。

 傷みやすい菓子なんだろう。早く父親に持って行ってやれ」

「そうでした! それじゃあそろそろお開きで。

 今日もありがとうございました、ロティさん!」


 ロティがそれ以上深く追及しないでくれたことに内心で感謝し、彼が消えるのを見送る。しんと静かになったところで、レミアはケーキを載せたお皿を持って本館へ戻った。



◆ ◆ ◆



 レミアは父の書斎の扉を叩き、ゆっくりと扉を開けた。

書物やインクの香りに包まれる。今のレミアにとっては緊張する場所だが、同時に「書斎」という言葉の響きにうきうきする場所でもあった。


「失礼します、お父様」

「おお、レミアか。お前の方から来てくれるとは珍しい。どうかしたのかい?」


 椅子に座ったまま初老の男性が優しく笑い、目元のしわが深くなる。

 エルハンス・リューベリエ侯爵。レミアの父だ。


 彼はぼんやりと過ごすレミアを見捨てず、いつも温かく接してくれていた。

レミアの母が早くに病で亡くなったこともあり、忘れ形見である一人娘を親2人分は可愛がってくれているほどだ。

 そのことは今の彼女の記憶にも引き継がれている。


 突然レミアの性格が様変わりしても、ひとまず何も言わず見守ってくれている。

どっちのレミアの時にも心配をかけてしまったことは間違いない。


 彼の書斎へレミアが自発的にやってきたというだけでも、とても驚いていることだろう。表情に出さないのは、穏やかな風貌ながらも貴族社会で歴戦を潜り抜けてきた猛者ゆえか。


「その、前に申し上げていたケーキを作りました。

 美味しくできましたから、お父様にも召し上がっていただきたくて」

「ケーキ? ああ、この前言っていた……そうか、食べ物だったのか」


「あっ……そ、そうです、お菓子なんです。

 甘くてふわふわで、食べると疲れが飛んでいっちゃうくらい美味しいお菓子です」


 父にケーキが何なのか全く説明していなかった。これではいきなり渡されても困るだろうと思い、どういうものか簡単にまとめる。


「そうか、そうか。お前が夢中になれるものが見つかって何よりだよ」

「えへへ……お父様のお口に合うといいんですけど」

「娘が作ってくれたものが、合わないはずはないだろう?」


 純粋に娘の成長を喜ぶ言葉。

家族が一緒に喜んでくれるというだけで、心の内がじんわりと暖かくなる。


「しかしすまないね。この書類を片付けてから、ゆっくり味わわせてくれ」


 申し訳なさそうに眉尻を下げ、エルハンスは机に視線を向ける。

 机の上には大量の書類。侯爵家の当主という立場はとても忙しい。


「あ、はい! 本日中には召し上がってくださいね」

「ああ、楽しみにさせてもらうよ」


 書類から少し離れた所にケーキを置くと、レミアは一礼して書斎から退室した。




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