お店の名前


 店を出す場所を決める。その名目でレミアとロティは上流区の大通りを見て回り、王城前の広場までたどり着いた。


 レミアはしばらくそこで悩んだ後、くるりと向きを変えて元来た道へ引き返す。


「で、店を出す場所は決まったのか」

「やー、それが……少し歩くだけで有名なお菓子屋さんが見つかるので、新参者にはちょっと厳しい激戦区かなあ、なんて……」


 改めて通りの左右を見る。

王城に近ければ近いほど、名だたる店が連なっていた。


「なら、どうするつもりだ? この前の騒がしい通りの方に出すのか」

「そうですねえ……できればたくさんの人にケーキを食べてもらいたいですし。

 平民も貴族も、誰でも気軽に来られるような所……」

「そんな場所はない」

「くすん、身も蓋もないお言葉……」


 そんな場所があったら誰も苦労しない。レミアの言葉が理想の上にしか成り立たないことは、人間の文化に疎いロティでも想像がついた。



「でもやっぱり、出来るだけ理想的な場所を探さなくちゃいけません。

 ロティさんのご希望にも添えるような、んむむ……」

「別に、お前と違って俺には出ていくという選択肢もあるんだ。

 俺を気遣って店を潰すより、自分の利益を考えるべきだろう」

「ヤですよう、ロティさんが出ていくなんて」


 珍しくむくれた様子でレミアが言い返す。


「従業員が働きやすい環境にするのも、店主の務めです。

 ロティさんを天秤にかけて取るような利益なんてありません」


 心の底からの、まっすぐな本音。

怒ったような、困ったような顔でじっとロティを見上げる。


 ロティは居心地悪そうに、ふいと目を逸らした。


「……まあ、騒がしいのも多少なら問題ない。

 お前がいる時点で、やかましいことに変わりはないからな」


 レミアは目をぱちぱちさせ、しばらくその言葉の意味を噛み砕いた。

ロティなりの譲歩と、皮肉をつけ足した素直じゃない物言い。

そこにはレミアへの気遣いが見え隠れしている。


「えへへ、ありがとうございます。

 頑張っていい所、探しますね!」


 ころりと笑顔に変わり、いつも通りのはつらつとした声で答えるレミア。

上流区からそのまま市場の方へ、再び歩みを進める。


 その背中を、ロティは目を細めて見つめる。

太陽近くの空でも見ているような、眩しそうな目だった。



 市場の喧騒が少しずつ聞こえてきた所で、レミアは空き家がないか探し始めた。

この辺りなら、店の扉を閉めていれば騒がしいほどにはならないはずだ。


 市場へ来たついでにふらっと立ち寄れるような位置取りが望ましい。

大きく看板を掲げておけば、市場側からも視界に入りやすくなるだろう。


 大人気の大通りから一本隣で、混雑を避ける人々が普段使いそうな通り。


 そこに空き家を一つ見つける。

レミアの直感が、ここだと告げた。



◆ ◆ ◆



 さっそく家主に連絡を取り、家を借りたい旨を告げる。

これまで借り手が現れる気配がなかったのか、とんとん拍子で事が進んだ。


 レミアは敷金と礼金を渡そうとするものの、この国にそんな文化はないらしい。

今月分の家賃だけ先に支払い、家主から鍵を受け取った。



「今日からここが我が城です。

 根城で牙城で、ケーキ屋さんの本拠地です!」


 借りたばかりの部屋はがらんとしている。

レンガ造りの壁に、温かみのある木目の床。

扉の両脇には大きな窓があり、通りがかる人々が店内を覗くにはちょうどいい。


 奥の部屋には窯のある厨房兼ダイニング。

二階には仮眠室代わりに使えそうな部屋が2部屋と、住み込みで働くこともできそうな良物件だ。


 ここからどんな店になっていくのか。

レミアの顔は期待に満ち溢れていた。



「お店の場所が決まったら、次はお店の名前です!

 何がいいですかねえ」

「ケーキ屋でいいだろう」

「そんな一般名詞じゃ覚えてもらえません!」


 ロティの適当で淡白な提案に、レミアはすぐさま反論する。


 この世界においてケーキが一般名詞に該当するかはさておき、今後ケーキが世に広まってたくさんケーキ屋が開いたら、この店は埋没してしまう。


 大事なのは呼びやすさとインパクト、そしてコンセプトを分かりやすく伝えるキャッチーなネーミング……と、レミアは前世での企画開発で培った知識を総動員させる。


「ケーキといえば甘くてふわふわで、食べるとみんなが幸せで……。

 やっぱり幸せになれる感じがいいですよねえ」


 幸せ。

それも食べた人がみんな幸せになれるケーキを売るお店。

どんな人でも買いに来たくなるような、気楽に入れるお店――。



「……決めました!

 『ヘブンリー桃源郷』です!」


「………。

 ……は?」


 たっぷり三秒はかけた後、ロティは胡乱げに聞き返した。


「『ヘブンリー桃源郷』です!

 みんなが幸せになれる場所にあやかってですね」


 もう一度聞かされる。

しかし、やはりロティには聞き返す以上の反応がしづらい回答だった。


「どこの言葉か知らんものも混ざっているが……死後の世界の呼び名だろう。

 毒でも盛る気なのか、お前は」

「ち、違いますよ! そのくらい幸せになれるってことです」

「絶対に伝わらん。悪いことは言わんから、他のものにしろ」


 ロティの表情はいつもの不愛想なものではなく、どこか不安で強張っているように見えた。皮肉ではなく、心からそう助言していることが伝わってくる。


「むう、分かりました。じゃあストレートに伝わるよう、『ロティお兄さんのケーキ工房』とか『ロティさんのふわあまケーキ屋さん』とか……」

「やめろ、俺の呼び名を使うな。相当な風評被害が出る」


 特に、万が一でも精霊たちの耳に入った時。

オロンは開店時に顔を出すと言っていたから、間違いなく彼は爆笑するだろう。

噂を立てるような精霊ではないと知っているが、どこかで広まりでもしたらロティにとっては笑えない事態だ。


 考えた名前をロティに全部却下され、レミアは左右交互に首を傾けてうなる。

これでも真剣にひねり出したつもりだったが、彼はお気に召さないらしい。


「かなりいいと思うんですけどねえ……」

「まともな感性の奴につけてもらえ。

 少なくとも今よりはマシになるだろう」

「くすん、それじゃあシェフの皆さんに聞いてみます……」



 そろそろ屋敷に戻らないと日が暮れてしまう。

ロティとの相談はここまでにして、今日は解散することにした。



◆ ◆ ◆



「……ということで、皆さんのご意見を聞かせてください!」


 厨房に来るや否や、店の名前を決めかねていることを相談するレミア。

料理長たちは初め目を丸くしたが、段々面白そうな話だと乗り気になってくれた。


「ケーキって、お嬢様が下さったあのふわふわのお菓子ですよね。

 今まで食ったことない味わいと食感で、美味かったなあ……」

「えへへ、ありがとうございます」


 ケーキの味を思い出して感慨に浸るジョルト。上の空になって涎を垂らしかけたところで、料理長が彼の脇腹を軽く小突いた。


「はっ! それで、えっと、名前! お店の名前ですよね!

 ん~、何がいいんだろ……」


 ジョルトを始めとした料理人たちがお互いに小声であれこれ案を出し合う。

真剣に考えてくれる彼らに、レミアは良い人たちに恵まれたことを心から感謝した。


 ケーキとはそもそも何ぞや?という疑問から、王都で流行りの菓子店の名を参考にしてみては、という建設的な意見など、様々な言葉が飛び交う。


「ジョルトの言う通り、最大の特徴はあの柔らかな口当たりでしょう。

 ケーキの特徴を前面に押し出してみてはいかがでしょうか」

「なるほど……」


 料理長の言葉に、レミアはケーキの特徴を並べる。


「ふわふわ、あまーい、なめらか、クリーミー……」


 ここはやはり『ロティさんのふわあまケーキ屋さん』がぴったりなのでは、という考えが脳裏をよぎる。


「そういやクリームって、混ぜ込むことはあるけど泡立てることはないっすよね。

 俺、あれが一番衝撃でした」

「ふえ。そうなんですね」


 この国でクリームの使い道といえば、高級なスープの仕上げにコクを出すとき。

あるいは、ブリオッシュのようにパン生地に混ぜ込んで柔らかく仕上げるときくらいだという。


 砂糖や卵白と合わせて泡立て、そのまま食べることはしない。

クリームがふわふわしたものだという認識自体がないようだった。



 ケーキ最大の特徴。他の菓子にはない強み。

料理人たちと話しながら、少しずつ最適だと思う答えに近づいていく。


やがて、これだと思う名前を1つ絞り出す。

これならきっといける。レミアははっきりとした手ごたえを感じた。



◆ ◆ ◆



 翌朝、レミアはさっそく決まった名前をロティに教えた。



「ふわふわ感と可愛らしさを重視することにしました。

 お店の名前は、『フラッフィ&クリーミィ』です!」


 ふわふわや甘いイメージの言葉は可愛らしくて、ケーキにもぴったりだ。

さらにクリームの深い味わいから着想を得て決めた。

たくさん相談に乗ってくれた料理人たちとの合作だと言ってもいい。


「まあ、いいんじゃないか。

 遥かにまともな名前になったな」


 ロティは相変わらず淡白だったが、昨日と比べて言葉からは安堵がにじんでいる。

彼に絶賛されることは元より不可能だと思っている。

反対されないだけでも大金星だ。



 店の立地に、名前が決まった。

ここからは開店に向けた店内の準備だ。


「今お店に出せるのは、パウンドケーキとショートケーキ……うーん。

 名前は何がいいですかねえ」

「名前なら、さっきから言っているだろう」

「いえいえ、これは種類名です。恋愛小説に題名をつけて売るのとおんなじです。

 なじみ深く、略したときに程よく4文字で呼べるような名前が理想です」


「………。余計なことを考えるのはまだ早い。

 どうせケーキ自体が得体の知れないものなのだから、そのまま呼んでおけ」


 こいつだとロクでもない名前を付けかねないという危惧を押し隠し、レミアをそれとなく誘導する。


「ふむう……。

 確かに、まずはケーキという言葉を知ってもらわないとですもんねえ……」


 小手先の工夫より先に、もっと大きな課題を解決しなくては。

ケーキを知ってもらう、店の名前を覚えてもらう、お客さんにリピートしてもらう……頭の中に浮かべた課題に、それぞれ優先度をつけていく。


「じゃあ、そのまま種類名で売って……レシピをアレンジするようになったら、そっちに名前をつけるとしましょう」


 丈夫な紙に文字と値段を書き、お手製の値札を作る。せっかくなので可愛らしい装飾でも描こうとしたら、ロティに札を取り上げられてしまった。

 これは余計なことじゃないのに……としょんぼりするが、それだけロティが店のことをしっかり考えてくれているのだと前向きに捉える。



 カウンターの設置や帳簿の作成、開業届などの事務手続き。

他にもやるべきことは盛りだくさんだ。


 一つ一つ着実に進めていこう、とレミアはぐっと両拳を握りしめた。


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