身代わり

棚霧書生

身代わり

 カラリと晴れた気持ちの良い日に、少年は山道を歩いていた。今日の天気とは正反対に少年の心は曇っている。

 ああ、ああ、どうしたもんか。このまま逃げちまうか。けれどな、そんなことしたら、オイラの村がどうなるか。考えただけで恐ろしいよな。おお、おお……。

 少年がうつむきながら歩を進めていたところ、大きな影が木の間から飛び出してきて、道を塞いだ。

 獣か。ハッとして顔を上げる。そこには猿でも猪でもなく、人が立っていた。筋骨隆々の大男、顔には刀傷があり、ニヤリと歪められた口と獲物をとらえる鋭い目。少年は直感する。山賊だ。

「身につけてるもの全部、置いていきな」

 少年はたじろいだ。

「オイラはこれから大事な用があるんだ……」

「裸で行けばいいだろ、命が惜しけりゃな。それにそんな上等な格好をしてるんだ、少しくらい人に分け与えるべきだぜ、坊っちゃん」

 少年は絹布がたっぷり使われた豪奢な服を着て、首や腕に宝石のついた装飾品もしていた。

「こ、これはオイラのものじゃないんだよ……」

 少年は身を縮こませる。

「お前が着ているものが、お前のものではないとはこれいかに。借りものということか? まあ、どちらにしても諦めるこった」

 山賊の男が腰の小刀を抜き、少年に刃先を向ける。少年は天を仰いだ。

「神様に願ったってムダさ」

「いいや、そんなことはない。いい考えが降ってきた。オイラの話を聞いておくれ、アンタにとってもいい話だ」

 山賊の男はちょっと黙って、小刀の先で空中に円を描くようにくるくると回してから、腰のさやに戻した。

「話せ。くだらなかったら、皮まで剥いでやる」

 少年は唾を飲みこみ、緊張した面持ちで口を開く。

「この先に湖があるのは知っているか」

「ああ」

「そこに大金持ちがひとりで住んでいる、オイラはそこに商売をしにいくところだ」

「じゃあ今着ているものは」

「すべて売り物さ。その大金持ちは人が身につけているもののほうが欲しくなると言うので、こうして商品を身に着けて売りに行くんだ」

「人のモンが欲しくなるってのは、わからなくないな」

「オイラは今日、そいつと会う約束をしてる。アンタをそこに一緒に連れて行こうじゃないか。オイラから巻き上げるより、そいつを襲ったほうが儲けが多いと思うぞ」

「お前……まだ若いってのに、相当なワルだな。その金持ちってのを生贄に、自分は助かろうって腹かい」

「なんとでも言え。こちらは人生がかかっている」

「わかった。手を組もう。さっさと金持ちのところまで案内しな。おかしなまねをしようとしたら、すぐに刺すからな」

 少年と山賊の男は湖を目指して、山を登っていく。険しい道のりにふたりとも汗が出てくる。

「しかし、こんな山の上に住むなんて不便で仕方ないだろう。その金持ちというのはどんな偏屈野郎なんだ」

「立派なお方だよ。オイラたちなんて足元にも及ばない、凄まじい人さ」

「なんだそりゃ……」

 要領を得ない返答に山賊の男は首を傾げる。

「一目見れば凄さがわかるさ」

「武道の達人なんかじゃないだろうな?」

「いいや、武は嗜んでおられないはずだ。とても長生きだから物知りではある」

「ふむ、年寄りか……」

 金持ちが老人なら強奪も容易そうだと、山賊の男は安心して少年の後をついていく。そして、とうとうふたりは件の湖まで到着した。

「ここに人が住んでいるのか、どこにも家屋は見えないが……」

 山賊の男がキョロキョロと辺りを見回す。その横で少年は地面に両膝をつき、雨乞いをするように万歳をして、叫んだ。

「おお、龍神様、龍神様! 我が前にお姿を現しください!!」

 湖面が激しく揺れる。バザァと物凄い音を立てて、水の中から大きな大きな龍が現れた。

「うひゃあ!?」

 驚いたのはなにも知らない山賊の男だけ。少年は平気な様子で言葉を続ける。

「お久しゅうございます、龍神様。いつも我が村をお守りくださり感謝します!」

「貴様が今年の生贄か」

 キンキンとした奇妙な高い声で龍神が少年に尋ねる。少年はすぐさま首を横に振って、いいえ違います、と言った。

「今年の生贄はこちらのたくましい体つきの男でございます! どうぞ、お受け取りください」

「承知した。では、もらい受けるぞ」

 龍神が大きな口をパックリ開け

「えっ? ぎゃああああああああ!!!?」

 山賊の男を食べてしまった。龍神が湖の中に帰っていくのを見届けてから、少年はつぶやいた。

「ああ、ありがとよ山賊さん。オイラの身代わりになってくれてよ……」


終わり

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身代わり 棚霧書生 @katagiri_8

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