第4話 図書室の不審者
交換したらしたで
「トモミちゃんはまだ帰らないの?」
と言われても、せっかくの夏休みに学校まで来て、やったことといえば1時間分の数学だけ。バスの時間までかなりある。
外はどうしても暑い。対して教室の中は冷房が効いている。
とはいえ、じきに英語の先生がここに来る。あの刺々しい性格からも想像はつくが、「確かに暑いもんね。英語の勉強がてら涼んでいきなさい」なんて言ってくれるとは思えない。
私は仕方なく教室を出た。その瞬間、コンビニの肉まんケースのようにムンワリとした暑さが、冷たくコーティングされた体に容赦なくまとわりついた。
なんとか持ちこたえて、階段のあるほうへ足を向けようとしたときだった。階段とは反対方向にある、廊下の突き当たりの部屋……図書室に電気がついていることに気がついた。
夏休み中に本の貸し出しをやっているのだろうか? とにもかくにも「最寄りの冷房」を求めてやまない私の肉体は、ほとんど無意識のうちにそちらへ急いでいた。
「失礼しまーす……」
小声でそう言うも、室内に生徒は見当たらなかった。それどころか、図書室を管理しているはずの先生の姿すらなかった。
冷房はついている。ついてはいるが、誰もいない様子を見るに、なんとなくここにいては叱責されるような気がした。
「失礼しました……」
後ずさりをしながらドアノブに手をかけた。
まさにそのときだった。
「くふふふ……!」
どこからともなく聞こえてきた笑い声に、思わず体が飛び跳ねた。男の声だった。
少し心拍数が上がった。
早く部屋を出ればいいものを、余計な好奇心が芽生えてしまった。今のは誰の笑い声で、何を見て笑ったのかと。
いくつか並んだ本棚の奥から聞こえたような気がした。あのあたりには確か、壁側につけられた簡易的な机がある。そこで調べ物もできるが、使っている人を見たことはない。
抜き足差し足とはまさにこのことで、私はできる限り足音を殺しながら、時々、本と本棚の隙間から向こう側をうかがいながら、声の主を探知した。
後頭部が見えた。机は複数あるが、彼は真ん中に座っているようだった。本棚の端からひょっこりと顔を出してみる。
机には仕切りがあるせいで、頬杖をついている彼の顔はここからでは見えない。
私が「異様」だと感じたのは、この学校の制服がブレザーなのに対して、彼は学ランを着ていることだった。他校の生徒だとしたら、どうしてうちの学校の図書室にいるのだろうか?
疑問が頭をめぐる中、彼は突然こちらに声をかけてきた。
「だ〜れだっ!」
私の心臓はふたたび跳ね上がった。息を潜めていたはずなのに気づかれていたらしい。
謎の男は仕切りに隠れていた顔を出して、眉を八の字にしてイタズラな笑顔を見せた。
見たところ、やんちゃなスポーツ男子という感じか。まったくの偏見だが、サッカー部員のような……
なんにせよ、こちらの存在がバレてしまっては仕方ない。私は意を決して、抱いていた疑念を彼にぶつけることにした。
「あなた、この学校の生徒じゃないよね?」
「ふ〜ん?」
彼は依然としてヘラヘラしている。
「ふ〜んって……答えてほしいんだけど。あなたどこの人? ここで何をしてたの?」
少し語気が強くなってしまったが、彼は表情ひとつ変わらない。それどころか、不思議なことを言い始めた。
「キミのほうこそ、なんで図書室に?」
「は? なんでって……」
「ま、とりあえず隣座りな〜?」
彼は一瞬だけ真顔になり、そしてまた笑顔に戻って着席をうながしてきた。まったく読めない人だ。
「気軽に『しーちゃん』って呼んでいいよ」
「いやだから、あなたはここで何を……」
「しーちゃん!」
「……しーちゃん? は、ここで何をしてたの? なんか笑い声も聞こえてきたし」
「しーちゃんがここにいたのは、ずばり本を読むためです! そして笑ってたのは愉快だったから!」
やはり適当に流されている。こんなにも堂々とされると、私のほうがおかしいのかと錯覚してしまう。
「愉快って何がよ」
「だってほら……こんなにも情報であふれてる。人の考えが、感情が、ぜ〜んぶ混ぜこぜになってひしめいてる!」
前触れもなく立ち上がった彼に、私は思わず防御の姿勢をとった。踊るように本棚を見回しては、演説めいたことを言い放った。
そしてこちらを向いた。焦点がどことなく合っていなかった。
「図鑑も歴史も宗教も、そして娯楽も……人のものを網羅してこそ、人ッ! 楽しい!」
大小さまざまな書物を指で撫でながら、ついには歩き始めた。少しずつその背中が遠ざかる。
突き当たりで止まった彼は、ふとこちらを振り返った。
「そういえば、まだ帰らないの?」
それだけを言い残すと、やけに眩しく笑って本棚の死角へと消えていった。
「まだ帰らないのって……」
私がここに来て数分しか経っていないであろうに。そう思いながらもスマホで時間を確認してみた。
「えっ……?」
無意識に出た声。目の前の端末が、偽物だと思ってしまった。
スマホの時計は11時半を示していた。室内の壁掛け時計も確認したが、間違ってはいない。
しーちゃんという男とやり取りをしたあの一瞬で、1時間も時間が進むはずがない。
「しーちゃん! あれ?」
ドアが開閉する音もしていないのに、あの男はいつの間にかいなくなっていた。
シニガミゲーム 膝関節パキオ @Hizakansetsu_Pakio
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