義弟が知らない男を押し倒していました

鳩藍@『誓星のデュオ』コミカライズ連載中

 


 革製の手枷と口枷を嵌められ、黒い布で目隠しをされた上半身裸の若い男性に、スマホ片手に覆い被さる義弟の瑞樹みずきくん。


「……邪魔したな」

「待って下さい違うんです!」


 たまたまマンションの近くを通りかかり、ついでに顔を見ていこうと合い鍵で瑞樹くんの部屋に入った俺の目に飛び込んで来た光景に素早く踵を返すと、瑞樹くんはスマホを放り出して俺の肩を掴んだ。


「いや、いいんだよ。連絡なしに来ちゃった俺が悪いだけだからさ。本当、タイミング悪くてごめんな」

「待って下さい違うんです!」

「イヤ待って下さいホント違うんです!」


 瑞樹くんの後ろから、知らない男の声が俺を制止する。歳ほど瑞樹くんに押し倒されていた男が、手枷をつけたまま目隠しを下ろして慌ててリビングから飛び出して来た。


「オレはただ金貰って身体貸してただけで、恋人とかじゃないんです!」

「ちょ、馬鹿! 余計な事……」


 俺は男の言葉に足を止めて、瑞樹くんに目を向ける。


「瑞樹くん」

「っ、はい」

「合意の上での性行為を咎めることはないが……金銭のやり取りが絡むなら、職務上見過ごすことは出来ないよ」

「待って下さい違うんです!!!!!!」


 ◆


「ホントすみません刑事さん! オレと瑞樹、ホント、何もないんです!」


 拘束具を外して服を着た男――矢野と名乗った彼は、金属パーツのハンドメイド職人で、革製品のハンドメイドで生計を立てている瑞樹くんの同業者だった。


 現在矢野と瑞樹くんは、ラブグッズの開発会社と共に手作り拘束具の受注生産という企画を進めており、試作品を装着した状態での写真を撮影している最中に、俺がやって来てしまったらしい。


「試作品の不具合がないか確かめないといけないのと、装着した時のイメージが向こうの人に伝わるよう、実際に付けてみる必要があったんです!」

「金を貰って身体を貸す、というのは?」

「仕事の一環でモデルしてるって言いたかったんです! まさか瑞樹の恋人が刑事さんとは思わなかったんですよぉ!」


 ――一応、話の筋は通っているな。


 必死に説明する矢野の言葉に矛盾はないし、瑞樹くんの様子からしても嘘を言っているとは思えない。ラブグッズの開発会社は実在するものだし、矢野と開発会社の担当者の連絡先も抑えた。これ以上、話を聞く必要はないだろう。


「なるほど。なら、仕事中に割り込んでしまったこちらに非がありますね。申し訳ない。私は帰りますから、撮影にお戻りください」

「イヤイヤイヤイヤ、待って待って! この状態の瑞樹を放置してかないで!?」


 ダイニングテーブルの席から立って帰ろうとすると、正面に座っていた矢野が、隣に座っている瑞樹くんを指した。

 瑞樹くんは席に着いてから一言も口を利かず、ただテーブルの一点を焦点の合わない目でぼんやりと見つめ続けている。


「まあ、誤解だという事は分かりましたから、その内立ち直るでしょう」

「薄情だな!? アンタ恋人だろ!?」

「違います」

「えっ」


 ――ガダンッ!


 矢野が間抜けな声を上げたのとほぼ同時。瑞樹くんは椅子が倒れるのも構わず勢いよく立ち上がった。


「……矢野さん、今日はありがとうございます。撮影は、また日を改めてにしましょう」

「あ、じ、じゃあ……オレはこれで!」


 俯いたままそう言い切った瑞樹くんから、ただならぬ気配を感じたのだろう。矢野は即座に席を立ち、慌ただしく玄関から出ていった。


「瑞樹く――」

たけるさん」


 瑞樹くんはふらふらと覚束ない足取りで、俺の前に立つ。



「僕、まだ、健さんの恋人じゃないんですか」



 瑞樹くんの両手がゆらりと伸びて、俺の右手をそっと握りこんだ。


「健さん、言いましたよね? 義理の家族じゃない、新しい関係を作ろうって」


 少しの力も加わっていない筈なのに、絡んだ指には有無を言わせない凄みが籠っている。


「僕、姉さんと行ったところのない場所にデートに連れて行って貰いました。キスだっていっぱいしました。好きだって、たくさん伝えました。でも、でも――」


 下を向いて目に掛った長い前髪の隙間から、恨みがましい目が覗く。


「健さんから、キスされたことも、好きって言われたことも、まだないんです」


 右の手首に、シュルリと冷たいものが巻きついた。見れば、先程矢野が付けていた拘束具の片方が、俺の手首に付けられている。


 咄嗟に右手を引いて拘束から逃れようとしたが、次の瞬間、瑞樹くんが一気に距離を詰めて俺に向かって倒れ込んで来た。


「えっ、うお!?」


 日頃の訓練の賜物か、辛うじて受け身を取ってフローリングに叩きつけられる事態は避けたが、転がった俺の上に瑞樹くんが覆いかぶさり、身動きが取れない。


「健さん」


 瑞樹くんが、徐に左手を上げると、俺の右手が俺の意思に反して上がる。拘束具のもう片方が、彼の左手首に付けられていた。


 そして、瑞樹くんの右手が伸びている先は――俺の、首筋。


 ――もし、今、瑞樹くんに体重を掛けられてしまったら……。


「健さんにとって、今の僕ってなんですか?」


 荒い息、上気した頬、充血して爛々とした目。

 答え方を間違えれば、多分、取り返しのつかないことになる。


 俺はゆっくりと深呼吸をして、今度は瑞樹くんとキチンと目を合わせた。


「正直――自分でも、よく分からないんだ」


 瑞樹くんは目を眇めて、俺をジッと見下ろしている。


「一緒に出掛けるのは、楽しいよ。キスも、告白も、最初は戸惑ったけど、最近は……なんて言うか、慣れて来た」


 瑞樹くんの右手に、僅かに力が籠る。ほんの少しの息苦しさに耐えながら、俺は続けた。


「でも、君と……性、行為が出来るかと言われたら――……無理だ、ッカハ!」


 ギチリ、と音が出そうなほど首を絞められ、俺は堪らず乾いた咳を漏らす。どうにか息をしようと大きく開いた口の端から涎が垂れる。涙が視界を歪ませる。


「……分かってます。ええ、分かってますよ、健さん」


 自嘲めいた笑みを浮かべる瑞樹くんが、右手を緩める気配はない。


「あなたが、男性をそういう目で見れないのくらい承知の上です。あなたが――まだ、姉さんを好きなことも」


 震える声と共に、ポタリ、と熱い雫が俺の頬に落ちる。


「み、ずき、くん」

「健さん……姉さんにまた、会いたいですか?」


 霞み始めた視界の端で、瑞樹くんの左手が俺の首に向かって伸びた。俺は右手で拘束具を思い切り引いて、あらん限りの声で叫んだ。


「おれ! きみが、といるのいやだった!」

「えっ」


 次の瞬間、瑞樹くんの両手から力が抜けた。俺が拘束具を引っ張った勢いで体勢を崩した瑞樹くんが、俺の上から転がり落ちる。


「ゲホッ、お゛え゛っ、あ゛――……」

「あの、健さん、今……今、何て?」


 四つん這いになって咳込む俺の横で呆然と座り込む瑞樹くんが、信じられないと言った口調で尋ねて来た。


「なに、て……ゲホッ、君が、矢野と居るの、嫌だったよ」


 俺は、瑞樹くんと性的な行為をするつもりはない。


 だと言うのに、瑞樹くんが半裸で拘束具を付けた矢野に覆いかぶさっていたのを見た時――俺が抱いたのは、『ふざけるな』という感情だった。


「ごめんな。ズルいよな、俺。瑞樹くんとできない癖に、いざ他の男とそうなるかもって思ったら、すごく……腹立ってさ」


 現状、俺は瑞樹くんに一方的に我慢させている。

 我慢の限界を迎えた瑞樹くんが、俺の代わりに他の男で発散したいというなら、我慢させている俺に文句を言う資格はない。


「本当に――自分で、分からないんだ。君と、どうなりたいかがさ」


 どうにか息を整えて、口元の涎を袖で拭ってから、俺はフローリングに腰を下ろして瑞樹くんを見る。


「………………そう、ですか…………」


 瑞樹くんは、満足げな笑みを浮かべて、一言だけそう呟いた。





 ――そして家に帰って鏡を見た俺は、首筋にべったりと残った手形に背筋を凍らせることになった。



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