愛読書

高野ザンク

形見は文庫本

 ジャックは読書家だった。


 粗暴な人間の多いマフィアの世界では珍しく、ついたあだ名も「bookworm本の虫」。

 俺よりは5つほど年上で陰気臭く、いつもインテリ然とした青白い顔をして、バーの片隅で独り本を読んでいる。そんな男だった。


 腕っぷしはイマイチだが、銃の腕はピカイチ。だから争いごとがあって周りの顔ぶれが変わっても俺らの組コーサ・ノストラにずっと残っていた。先代のボスをはじめ組織の大半が命を落としたといわれる先の抗争でも生き残ったと言われている。


 組に入った若造の時から、なぜかジャックは俺を可愛がってくれた。俺は特段読書家ではない。ただ、あまり人馴染みせず、独りが好きな人間だから、奴が親近感を抱いてくれたのかもしれない。


「お前、好きな本はあるか?」

 ある時、読んでいた文庫本から俺に目を移してジャックが訊ねた。

「俺はあまり本を読まないからな。ただ……」

 俺は子供の頃に母親から読み聞かされた話を思い出して言う。

「別の星から来たガキが、いろんな星でいろんな奴に会って、最後は死んじまう。そんな話だったらなんだか覚えているよ」

 それを訊くとジャックは目を見開いて(あの陰気臭い男がこんな表情をするのか!と驚くぐらい)、俺の肩をドンドンと叩いた。

「そうか、そうか。お前はあの話が好きか!なかなか面白い奴じゃないか」

 そう言って、その時読んでいた本を俺に差し出した。

「これはお前が言った話と同じように、フランス野郎が書いた本だ。気にいるかどうかは知らんが、一度読んでみろ」

 俺は、自分が話した話がフランス人が書いたものかどうかなんて知らなかったし、だから当然差し出された本にも興味はなかったのだが、奴のあまりの勢いにおされて、ついその本を受け取ってしまった。


 それから、パラパラとめくったことはあれど、とくに読もうとも思わず、かといって捨ててしまってジャックに恨まれでもしたら厄介なので、ずっとジャケットの内ポケットに入れておいた。


 時折ジャックから

「おい、ちゃんとあの本読んでるか」

 と訊かれたこともある。

「本っていうのはな、お守りのようにただ持ち歩いてたってしょうがないぜ」

 読み止しの本に目を落としながらそうも言った。奴が読んでいる本がいつも同じものなのか、それとも何冊も取っ替え引っ替え読んでいるのかどうかすら、俺にはわからなかった。



 一月前、ジャックは死んだ。


 敵対する組に殺されたのだ。行きつけのレストランで食事をしていた俺らの組全員が死んだ。ジャックの他にも腕利きの仲間がいたにも関わらず、全員無抵抗で蜂の巣にされていた。このところ敵対勢力が派手な抗争をしかけてきていた。ジャックの死を憐れんでいる場合ではない。俺の身も定かではないのだ。


 その日、俺は仲間二人と一緒に、顔の利くレストランで食事をしていた。テンダーロインステーキを食らいついていた時に、それは起こった。急激な腹痛に襲われたのだ。見ると仲間たちも腹を抑えて悶絶の表情を浮かべている。


 しまった!罠だ!


 おそらく料理に強力な下剤を仕込まれたのだろう。気づくと、周りの客は誰もおらず、俺ら三人だけがテーブルの前に身を捩って苦痛に耐えている。ジャックたちが無抵抗で殺された理由を、俺は今はっきりと理解した。


 こんなところで殺されてたまるか。


 俺は敵の気配をいち早く感じると、動きの鈍くなった身体をむりやりと横倒しにして、椅子から転げ落ちるようにして身を伏せた。


 ガガガガガガガガガ!


 途端にマシンガンの音。逃げ遅れた仲間たちはテーブルの前で蜂の巣になっていた。俺はさらに横転してバーカウンターの後ろに身を隠す。

 幸い相手は1人のようだ。腹痛はひどいが1対1タイマンならどうにかなるかもしれない。


 俺は取り出した銃を床に置き、右手を胸ポケットに差し入れる。

 相手の位置が正確にわかれば、一発で仕留める自信が、いや、腕前が俺にはあった。


 ポケットから文庫本を取り出し、カウンター越しに投げる。マシンガンがそれに向かって放たれる。俺は腹に渾身の力を込めて立ち上がり、マシンガンの発射位置に向けて引き金を引く。こちらに気付いて顔を向けた相手の眉間から血飛沫が出るのを、俺は見た。どう、という衝撃音を立てて、奴は崩れ落ちた。


 敵を倒したのも束の間、ここにいるのは危険だ。俺は放り投げた本を回収し、覚束ない足取りで裏口からレストランを出る。


 目についた車のドライバーに銃を突きつけ、車を奪い逃走する。逃げている間に、ついに俺の腹は限界を超えて、大量の○○sitが尻から漏れる。命があればそんな汚い思いも些細なことだが、散々走った末、危機から逃れられたことが感じられると、この汚いものをどうにかせねば、という気になるからおかしなものだ。


 車を降り草むらの中に入る。俺は思いついて、胸ポケットの文庫本を取り出し、それをビリビリと破いて尻を拭いた。何ページも使ううちに、それは、かつて本であった塵紙にすぎなかった。


 拭き終わった紙にふと目をやる。そこには「神の救い」だとかなんとか書いてあった。確かにこいつには二度も助けられた。


 は俺を救ってくれたというわけだ。


(了)

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愛読書 高野ザンク @zanqtakano

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