ギリギリ
尾八原ジュージ
ギリギリ
今日親いないからうちにくる? って彼女に言われたら行くしかない。でもその後に「うちのルール守れるならだけどね」って付け足されたとき、なんだかイヤな予感がした。
「大丈夫、簡単だから。夜十二時以降にお風呂場使っちゃだめってだけだから」
なんで? と聞くと、「下の階の人にうるさいって言われるから」という。彼女の家はマンションだから、そういうこともあるかもしれない。あんな立派なマンションでもそういう騒音ってあるんだな……なんて考えながら、途中で食べ物やら飲み物やらコンドームやら買って、彼女の家にお邪魔した。
夕方六時過ぎくらいに着いて、飯食って風呂入ってエッチして、飯の残り食ってまたエッチして、盛り上がりすぎて眠くなってしまった。はっと気がついたら彼女の部屋のベッドの中で、隣では彼女がスヤスヤ眠っていた。
急に汗とかあれこれのにおいが気になって来て、でも時計を見たら十二時五分前。ルールで決まってる十二時まで、ほとんど時間がない。でもこのままだと気持ち悪い。
じゃあ超急いで借りちゃうか!
って決めて、即やることにした。すぐにバスルームに行って、髪から体まで急いで洗って、シャワーを止めてバスルームを出た。
ドアを閉めたところでぱっとスマホを見たら、ちょうど日付が変わる直前だった。やれやれ一応間に合った……と安心してたら、後ろで声がした。
「こういち〜」
って、おれの名前を呼んでいる。それが彼女の声に似てて、おれは「何?」って言いながら振り返った。
でも、後ろには出てきたばかりの風呂しかない。もちろんそこには誰もいないはずだ。
気のせいかなと思って、でも気になった。おれは体を拭きながら、ドアにはまっている曇りガラスを眺めていた。するとまた、
「こういち」
と呼ばれた。
湯気で白くなった曇りガラスの向こうに、何か動くものが見えた。それがぴとっとガラスにくっついて――指だとわかった。どう見ても女の指にしか見えないそれは、ガラスに文字を書き始めた。
「おいで」
と読めた。
バスルームの内側からガラスに書かれたその文字を見た途端、なぜかふらふらっとそっちに行きたくなった。おれはドアの手すりに手をかけた。そしたら脱衣所の入口あたりから、
「浩一っ!」
って声をかけられた。
振り向くと、彼女が立っていた。
「あーよかった、ギリギリだったね」
ってため息をつく。それを見た途端、今あったことがすごく怖くなって、体がガタガタ震え始めた。彼女は「よしよし」って言いながら素っ裸のおれの手を引いて、寝室まで連れ帰ってくれた。
ベッドに戻ったのはいいけど、もうイチャイチャする気分じゃなかった。二人でくっついて朝まで寝て、それからおれは自分の家に帰った。
その後、家の鏡で見て気づいたのだが、背中に変な痕ができていた。いつの間にそんなものがついたのかわからないけど、背骨に沿って上から下まで、女の指の太さくらいの痕が、赤くぎゅーっと残っていた。
ああほんとにギリギリだったんだなって、そのときわかった。
ギリギリ 尾八原ジュージ @zi-yon
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