第一話「リアルに死にかける夕刻」


 実は警察官って結構ヤバい職種なんですよ。腐っても公務員、安定してるんでしょうと訊かれたりもしますが、安定しているのは一部の事務方のみで、いわゆるお巡りさんなどの実働部隊は不安定につぐ不安定がデフォなのでございます。休日が突然なくなることもあれば、お給料だって安定しません。めちゃくちゃ多い時もあればびっくりするほど少ない時もあるんですねー(多いと言っても民間と比べてはならない)。


 で、何が一番不安定って「身の安全」です。薮坂調べによると、警察官の実に6割が一度は死にかけるような目に遭ってるんですよ。それを休憩時間にお茶請けよろしく話し合う警察官は頭オカシイと思うんですが、みんなオカシイから気がつかないんですよね。


「いやぁ、このまえ死にかけてさぁハハハハハ」


 って枕詞は大抵、失敗話か笑い話と相場は決まってるのですが、警察官の悪いところは「笑えるレベルでマジ死にかけた話」なんですよね。第一話はそこから抜粋しましょう。これは私が駆け出しの頃にあった話です。



 ◆ ◆ ◆



 事案概要はよくある男女の揉め事。通常ダンモメというまぁ本当によくある事案です。殴った殴られたとかならそれはもうじゃあなくてなのですが、事件に至らない揉め事ってのが売れるほど発生するのが悲しいかな我々の業界。

 で、駆け出しポンコツお巡りさんだった私は、男女が揉めているという通報を受けて現場臨場したんです。もちろんソロです。あの時は県下でもかなりの激ヤバ地区に配置されてたので、駆け出しでもソロ運用が常という常軌を逸した体制でした。


 通報者は彼女のほうで、「ちょっとしたことで彼氏と揉めた」と言って110通報したとのこと。現場でその通報者と目される女性と接触したのですが、相手方である彼氏の姿がない。とりあえず彼女の身体を確認したところ、見える部分に外傷はナシ。男の警察官ではこれ以上の確認は出来ませんので、女性警察官を手配しようと思った矢先、彼女がこう言ったのです。


「彼氏とケンカしてぇー、まぁ私の浮気がバレたからなんですけどぉー、怒った彼氏は死んでやるって言ってビルの屋上に上がって行っちゃったんですぅー」


 ……見上げたビルの屋上に人影。8階建てのマンションの屋上から愛でも叫ぶつもりでしょうか? 否、断じて否。死ぬ死ぬ詐欺の可能性は否定しきれませんが、明らかに柵から外に出てる状況はヤバい。ていうか今時、自由に屋上に出入りできるマンションってフリーダムすぎるでしょ。「フリーダム◯◯」ってマンション名はさすがに出来過ぎやろと真剣に思いましたね。


 で、重い装備品をガチャガチャ鳴らせながら非常階段(ここも当然フリーダム)を駆け上がり、屋上に到達した時に見たものは、腰の高さくらいの柵の向こう側にいるガタイの良い若い男性でした。おそらくさっきの通報者の彼氏と目される男性が、マンションのヘリにちょこんと腰かけてたんですね。

 ……まぁこれが絵になる絵になる。通報時は夕刻、つまり男性の後ろには夕日があって、まさに空の境界線が曖昧になる黄昏時。いやいや青春モノの1ページかと。

 と、ツッコミを入れられるほどには冷静だったんで、相手を刺激しないようにそろりそろりと近づいて「とりあえずこっちに戻りましょう。お話聞きますので」と優しく声をかけました。すると男性は、


「……なんでみーちゃん(仮)じゃないんだよォォォ! 誰だよお前ェェェェ‼︎」


 と泣きじゃくる始末。あー終わったわコレ。男がガチ泣き、つまり情緒不安定確定。人間はね、本気で暴れると警察官一名じゃあ抑えきれないんですよ。とりあえず落ち着かせないとやべぇ。まだ駆け出しなのに死が当たり前のように存在する仕事なんですけど、これでアイキャンフラーイされたら死にたてホヤホヤ、それはさすがに未経験(当時はね)。

 とりあえずまずは応援を呼ばなければならないのですが、応援要請の無線が対象を刺激しかねないと判断した私は(こんな無線吹いたら爆熱事案になるのは明白)、とりあえず対象を落ち着かせることを優先しました。


「えーっと、お兄さん。私、そのみーちゃん(仮)から通報を受けて来た警察官です。つまりみーちゃんは、」


「お前ェェ、みーちゃんに頼まれたのかよォォ! わかったオマエだな⁉︎ みーちゃんを誑かしたヤツは⁉︎」


「……ちょーっと冷静になりましょうか。私の格好、警察官でしょ? 110番で呼ばれてたまたま来たのが私。わかります? つまり私とみーちゃんは知り合いではありません。OK?」


「嘘だッ! みーちゃんの浮気相手は公務員って聞いてんだよ! だからオマエだろうが! オマエに違いない!」


「いやええと、公務員にも色々ありまして、警察や消防、市役所職員とか自衛官とか……」


「そこまでは聞いてねぇよ! でもオマエだ、なんかオマエっぽいわ!」


 ぽいってなんだ、ぽいって。くっそアタマ痛くなってくるなぁ。でもとりあえず、すぐに飛ぶってことはなさそうでした。目の前でヒモなしバンジー見学は避けたいので、もう少し話を続けつつ距離を詰めようと考えます。


「お兄さん、まずは落ち着いて下さい。私、みーちゃんとは関係ありません。それにね? さっき言いかけたけど通報してくれたのは、そのみーちゃんなんですよ? つまりみーちゃんは、お兄さんのことをまだ大切に思ってると思うんですよ。だってほら、通報してくれたワケですし。大切じゃなかったら通報なんてしないでしょ?」


「それじゃあなんで……」


「なんで?」


「なんでみーちゃんはここに居ねぇんだよォォ! やっぱ大事にされてねぇよオレはよォ! 浮気されんだからなァ!」


 ウォォォン。続く男の慟哭。「みーちゃーん!」と夕日に吠える男の姿は、見ていてなかなか精神的につらいものがあります。

 さぁてどうするかなー。もういい加減面倒くせぇな。でもヒモなしバンジーはダメ、ゼッタイ。とりあえず静かーに応援呼ぶか? でもこんな無線吹いたら司令は絶対激アツなテンションで無線返してくるよな。それはそれでやべぇ。


 と、進退極まったあたりで(別に極まってない)、屋上に突入してくる人影が! まさか応援⁉︎ さすが先輩、私が現着の一報を入れてないことを訝しんで応援に駆けつけてくれたとは! やっぱり頼りになるのは先輩だなぁ!


 ……と思ったのも束の間。その人影はやっぱり今一番来てほしくない、みーちゃんでした。


「——みーちゅわぁぁぁあん!」


 やっぱりな。そうなるわな。男性は目から汁を出しまくりながら吠えます。


「どうじでェェ! どうじで浮気したんだよォォ! オレ、オデ、みーちゃんのごどごんなに愛じでるのにィィ!」


「……あのさぁ、そういうとこだよ。ウザいんだって、男のクセにすぐ泣くとことか。さっきも言ったけどもう別れよ? 無理だよ私たち」


 そこでそれ言われると、彼がこの世とお別れしちまいそうなんで辞めてもらえません?


「でもォォ、でぼォォォォ!」


 と男性。もうさっきからセリフが濁音混じりまくりで藤原竜也かと思うほどです。


「さよなら。今まで楽しかったよ、ありがとね」


「み゛ーち゛ゃ゛ーん゛ん゛ん゛‼︎」


 ……いやいやいや、待て待て待て! 勝手に終わらせようとすな! ほんでお前も柵から手ぇ離すな! なに目ぇ閉じてタイタニックのキメポーズしてんねん! マイハートウィルゴーオンか! ゴーオンするのは心臓の方やないかい!

 と思った時には体が動いていて、私は後ろから対象を抱きしめる気分はディカプリオ。脳内には当然セリーヌ・ディオンが流れてます。まぁ相手、ガタイ良いオトコなんですけどね。


 で、ここからが問題。相手はまさに飛ぼうとしてるワケですから、それを掴んでる私の体も虚空に投げ出されようとするワケです。

 マジでガクンと前のめりになって、対象の足がぶらりんこしてるのが見えるんですよ。で、自分の足もぶらりんこ。浮いてる、マジで落ちるコレはヤバいッ!

 自分の装備品である帯革たいかく(拳銃とか警棒とか吊るでっかいベルトみたいなヤツ)のバックルが柵の上部に引っかかって、なんとか踏みとどまってる状態です。


 ——ヤバいヤバいマジヤバい! 自分の足も浮いてる! 帯革なかったら俺もゴーオンや! とワケのわからぬセルフツッコミを入れながら、渾身の力で柵の間に両の足を絡ませて何とか固定。後ろから見れば、女子大生が「海だーッ!」ってジャンプして写真撮ってるような絵面です。あの足が空中でハの字、いやルの字になってるヤツね。わかります? わかりませんよねぇ。


 で、私は必死に対象を羽交締めにしながら何とか手を伸ばし無線のエマージェンシーボタンを押しました。このボタンを押せばプレストークボタンを押さずとも、自分の無線が最優先通話されるモードに切り替わります。しかし。


「——あ゛あ゛あ゛く゛そ゛お゛も゛い゛ぃ゛‼︎」


「お゛ち゛る゛ぅ゛ぅ゛こ゛わ゛ぃ゛ぃ゛い゛‼︎」


 と、私の声か対象の声かわからない阿鼻叫喚。司令も困ったでしょう、これでは状況がまるでわかりません。まぁ司令も私の緊急発報がガチっぽいと思ったみたいで、すぐにパトカーを緊急走行で寄越してくれました。遠くからなるサイレンが仲間の存在を知らせてくれます。もう少し耐えれば! と私は自分を鼓舞し、


「掴まれェェ‼︎ 落ちたら(みーちゃんに)もう会えないぞッ! (みーちゃんに)もう一度好きって言えェ! オトコ見せろォォ!」


 と対象に向かって叫びます。対象も、


「好きだァァ! 助けてぇぇ! 死んでも好きだッ! 愛してるゥゥ!」


 と応えます。まぁコレ、無線のエマージェンシーモードで署の全員に聞こえてたんですけどね。



 ……そんなこんなで。パトカーのサイレンに釣られてギャラリーも地上に沸き、見上げれば屋上で男二人が組んず解れつの大乱闘スマッシュブラザーズを演じている地獄絵図が繰り広げられたのでありました。


 この後ですか? まぁ私が後ろから対象を羽交締めにして「好きって言えェェ!」って叫びながらライク・ザ・タイタニックしてる状況を応援に来た上司先輩に目撃されたワケでして、それ以降は推して知るべしというヤツですねハイ。

 そして件のみーちゃんは、屋上でスマホぽちぽちしてました。例の新しい彼氏にでも連絡してたのでしょうか。お前のせいやからな、と喉まで出かかりましたが何とか堪えた私、偉い!(偉くない)


 結局ね、最後はそりゃあもうけちょんけちょんに怒られましたよ。応援要請が遅すぎると。

 とりあえず対象が死ななかったのでデカい処分は来ませんでしたが(死んでたらどうなってたことか)、しばらくは県警のデカプリオとして名を馳せた薮坂なのでありました。

 いやぁほんと、警察官ってネーミングセンスないなぁ。



 以上「帯革たいかくがなかったら死んでた」でした。

 次は「帯革たいかくがあったから死んだ」です。お楽しみに!



【続】




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