殿軍<しんがり>~小説越南元寇録~
平井敦史
第1話
打ち寄せる怒涛のごとく、モンゴル帝国の軍勢が迫る。
その真っただ中に、男は少数精鋭の騎馬部隊を率いて斬り込んで行った。
騎馬民族国家であるモンゴルの軍、といっても、そのかなりの部分は歩兵だ。そしてその多くは、モンゴルに征服された国々の民が駆り出されたもの。
今ここにいる兵たちの大部分は、先年モンゴルに降伏した
彼らに対する同情の念を斬り伏せて、男とその部隊は散々に敵を混乱させ、敵騎兵の追撃を振り切って帰還を果たした。
「これで多少は時間が稼げた、か……」
男が
男の名は
十三世紀――モンゴル高原を統一したチンギス
彼らの馬蹄は、瞬く間にユーラシア大陸全土を蹂躙。チンギス
モンゴル帝国にとって、東方面の最大目標である
騎馬民族国家である
それが、
しかし、自領内において他国の軍の行動を許すというのは、事実上の属国化に他ならない。
大越のこの態度に対し、モンゴル帝国第四代
大越の
しかし、ウリヤンカダイは南方攻略に当たって、
かつての
ウリヤンカダイはその先例に
傷付いた象たちは恐慌状態に陥り、その怒りを手近な人間たちにぶつけた。
すなわち、大越軍は自分たちの象によって壊滅させられたのである。
その後、
「ここで踏み止まらねば、
「左様でございます。御心配召されますな。我が
重臣たちが口々にそのようなことを言い募るのを、
彼が局地的な勝利を収めたことで、重臣たちにモンゴルとまだまだ渡り合えるなどという無根拠な自信をつけさせてしまったのなら、苦々しいことこの上ない。
モンゴルの最も優れた点――敵にとってみれば恐ろしい点――は、騎馬兵力の機動力や弓矢の強力さにあるのではない。征服した先々で得た知識や技術を柔軟に吸収し我が物とすることができる点だ。
勇将であると同時に学識も豊かな
すがるような、あるいは媚びるような眼差しで同意を求められて、
「これ以上この地にて戦おうとするは、なけなしの全財産を博打に投じるようなものと存じまする。陛下、
その言葉を聞いて重臣たちは色めき立ったが、モンゴル軍相手に戦果を収めた
「では
それは言葉の内容からも
「は。謹んで拝命いたしまする」
実際、自分以外の人間が
彼とてこの危険な任務を成し遂げて生き残れると思えるほど、自信家でも楽観主義者でもないのだが、他に適任者が誰もいない以上、やるしかない。
「つきましては陛下。余分な船を何艘か、
せめてもの策として、
「それは構わぬ。適当なものを
踏み止まってモンゴル軍を一時退けた後、その船で離脱を図るのだろう――。
御前会議の後まもなく、
兵たちが混乱をきたさぬよう、撤退の件は今しばらく伏せられている。
そしてしばしの後、大越軍が総撤退を開始すると、
木と動物の
その強力で無慈悲な矢が豪雨の如く、
「盾、構え!」
緻密で硬い材質の木材を用いた舟板は、いかにモンゴルの弓矢といえども貫き通せない。
騎馬隊で踏み散らそうとする動きに対しては、
「閣下も少しお休みになりませぬと……」
部下が案じてくれたが、そういうわけにもいかない。ごく短時間眠っただけで、
撤退途中、
翌日以降もそのような戦いを続けながら、
そこは首都
やむを得ぬ
「
亡国の女帝となった
その後、出家して
「母の
彼女としては、
「そうでしたか。御無事で何よりです」
彼女自身も、母親を手伝って住民の避難を誘導したのだという。気疲れした様子の
かの人物は、権勢のためならば道義も人情も踏み捨ててはばからぬ男だが、その一方で、きわめて有能で気骨ある政治家としての一面も持っている。
すでに噂として広まっていることだが、
宋への亡命を示唆するその字句に、
モンゴル軍は大越が放棄した
敵国の首都を落としても得るものなく、兵糧が
しかし、
そして、敗走するモンゴル軍に、各方面の守備に着いていた諸将らが襲い掛かる。
その中には、後年モンゴル(
さらに、
大越領内から退却するにあたり、モンゴル軍による略奪などはほとんどなかった。
これはもちろん、彼らが規律正しかったわけでも慈悲深かったわけでもない。ただただそんな余裕は無かったというだけの話だ。
大越の民は皮肉と嘲笑を込めて、モンゴル軍を「
かくしてひとまずの危機は去り、
さらに、何か一つ望みのものを褒美に取らすと言われた
「ではお言葉に甘えまして。
幼い頃から運命に弄ばれながらも
彼自身、結婚し子供もいるのだが、その妻は数年前に流行り病で亡くなっている。
「それでよいのか? いや、あやつを貰ってくれるというなら願ったり叶ったりだ」
その後、
撤退するモンゴル軍を襲って打ち負かしたことが、大越侮るべからずとの印象を与えたか、それとも
しかし、
それを考えれば、
大越に平和が戻ると、
そして、
大越の
今際の際に彼女は、
――Fin.
-----------------------------------------------------------------------
参考文献
ナントカ堂様訳『大越史記全書』
Wikipedia各項目
※この作品は史実を元にしたフィクションです。
殿軍<しんがり>~小説越南元寇録~ 平井敦史 @Hirai_Atsushi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます