第10話 山の上にも三百年⑤

 ふと、頭の上に冷たいものが走った感覚がした。


 目の前にいた魔物たちの動きが鈍くなる。苦痛の様子で身を捻りながら……ここにいる誰のものでもない魔法が、使われているのに気がついた。


 苦しんでいる魔物の先に、細身の杖が月光を反射するのが見えた。白く柔らかな生地のワンピースが夜風に揺れ、そこには金髪の乙女が立っていた。きれいな女性だった。


「——っうわ性格悪いな、あの魔法。体内から凍らせている……」


 マルクトが見惚れかけていると、師匠が頬をひきつらせて、倒れた魔物を見下ろした。魔物はみるみるうちに、カチンコチンに氷漬けにされていく。


 乙女は品のある微笑をたたえた。


「じっとしていられませんでしたの。ご恩はお返しするものだと、アフマール様から教わりましてよ?」


 凛、と鈴の鳴るような、かわいらしい声だった。


「わたくしも、お手伝いいたしますわ」


 舞うように杖をかかげると、他の魔物たちも眠るように凍っていった。月明かりに季節外れの氷結晶がキラキラと跳ね返る光景は、とても神秘的だった。


 そしてその真ん中に、あどけない表情をした乙女がたたずんでいる。貴族を見るのは生まれて初めてだった。マルクトの目は、乙女の一挙一足に釘付けになった。


「長期保存に向いてそうだね」


 師匠の呟きに、ハッと我に返る。


「し、師匠……?」


 これを見て思うのが冷凍食品っすか、とか言いたくなった。


 森の全てが眠りの中へ包まれたように、静かになった。

 これで終わり、か……。


 マルクトはホッと安堵の息を漏らす。助かった、と思った。

 師匠の期待とは違っていたかもしれない。たとえ師匠がいけると思っていても、このタイミングで光線魔法を撃てる自信なんかこれっぽっちもなかった。


 だからそれで師匠に失望されるより、あの女性に見せ場を奪われてよかったと思った。むしろそっちの方がよかった。


 それに、あんまり大した怪我もしないで済んでよかった。


 安心したあとに、どっと疲労感と眠気が押し寄せてくる。そうだ、今日はかなり動き回ったし、驚くことだらけだった。でも、ようやく長い一日も終わりだ。


「師匠、やっと終わりましたね」


 声をかけた瞬間、そう遠くないところから、大きな咆哮が聞こえ出した。


 ——ウオオオォォォン……。


「……」

 全く終わっていなかった。


 地面を揺るがすかのような咆哮とともに、駆け足で何かが近づいてくる。


 すぐに姿が見えた。

 それは、大きすぎた。


 マルクとの3、4倍はあるんじゃないかと思うほど、大きな狼——獰猛な目つき、鋭い爪、噛み砕けそうな牙。強い魔物と聞いて浮かぶ三拍子がそろっている。


 その圧倒的存在に、マルクトは直感した。


 これが魔物の主だ。


 気がつけば、膝が震え出していた。襲いかかられ、鋭利な爪に引き裂かれ、噛み砕かれる運命がありありと浮かんだ。


 逃げたい、とさえ思えなかった。近づくにつれ巨体はさらに大きくなっていく。


 しかし師匠は同じものを見上げながら、違う感想を抱いた。


「あれを撃ち抜けたら気持ちいいと思わないか? な、マルク……ト…………?」


 師匠は振り返ると驚いたように目を見開いた。言葉を止める。

 師匠はマルクトの様子を見ている間、何を思っただろうか。


 それからわかりやすく戸惑いの表情を浮かべ、わざとらしく咳払いをした。


「ゴホン、山より大きい魔物って、出ないらしい。恐怖はほとんどが自分の心が作り出しているものだよ。立ち向かえば大体、朝霧のようにあっけなく消えるものさ。まあ見てな」


 魔物の主に向き直ると、いつものように杖を傾けた。


 何本もの細い光線が打たれ、猛スピードで駆け寄ってくる魔物の動きを制限する。


 しかし魔物は飛び上がった。


 巨大な、野性に満ちた魔物が、頭の上をおおいかぶさるように見えた。

 爪がきらめき、師匠の命を刈り取ろうとする。


 もうだめだ——とマルクトは思った。


「よし来たぁ!」


 突然、師匠は腹の底から喜びの声を上げた。狂ったのかと思った。


 刹那、光輪が出現した。

 真上に、巨躯を包み込むほど極太の光線が、放たれた。


 光線はまっすぐに天を駆け上り、周りが真昼のように明るくなる。


 ——グアアアアァァア。


 魔物の主は断末魔をあげて、塵になっていく、


 光線が消え暗闇が訪れる直前、子供のように無邪気で、達成感に満ち足りた師匠の顔が、見えた気がした。


 光線魔法の魅力に、とりこになったのは自分だけじゃない——マルクトはそれがわかると、今までとは違う尊敬の念が芽生えてくるのを感じた。


 どこまでも、まっすぐに。

 あの光線を撃ってみたい。


 また一つ、目標ができた。






 翌日、町を歩いていると、また昨日のおばあちゃんに絡まれた。


「おお、お二人とも。昨日夜更けにとんでもなくでっかい柱が立ったんじゃ、あんたらも見たかいな?」

「ねてた」


 師匠はあくびをしながら答える。


 マルクトも意識が朦朧としていた。昨日の夜に見た、貴族の乙女の姿ばかり思い描いていた。シャルロッテという名前らしい。


 シャルロッテ……。

 緊張してほとんど会話できなかったけど、師匠が「冤罪の話は、今度魔法都市によるから、その時に私から言ってみるよ」と話をつけていた。なんだかよくわからないけど、頼もしい師匠を見ていると、なんだかこっちまで誇らしくなった。

 アフマールさんもしばらく黒山で後処理があるらしい。そのまま別れてやっと戻ってきて……あんまりはっきりした記憶がない。


 あの女の子に光線魔法を見せたら、かっこいいって褒めてくれるだろうか。そんな妄想をしながら、また会いたいなとぼんやり思った。


「そりゃあもったいない、ほんともったいないねえ。あんな異様な光、三百年以来のことだってもう町中騒ぎじゃあ、屈強な傭兵雇って一回見に行こうなんちゅう話すら出てるんじゃ。おそろしいことだねえ、あんたらも気をつけなあよ」

「もちろん気をつけるよ。アドバイスありがとう」


 師匠は笑顔で返していた。もうここまでくると、守る気がなさそうに見えた。


 宿が見えると、マルクトはやっと寝れる……という思いでいっぱいで、師匠が話しかけてきても鈍い反応しかできなかった。


「ほら、マルクト、山より大きい魔物なんていなかったろ?」

「はい、はい……師匠なら山ごと吹き飛ばせるっす……」

「ああ、それはムリだ。やったことあるけど」

「やったことあるんすか!?」


 さすがの回答に、思わず声が裏返った。目が一瞬覚めた、気がした。


「……あとマルクト」


 師匠はじっと見てくる。まだ何かあるのか。


「は、はい」

「何か勘違いしてそうだから言っとくけど、私は人を殺めたことはないぞ?」


 もしかして、やったんじゃないかという目で見ていたことがバレたのか。

 マルクトはドキッとした。けどそれよりも、師匠が悪いことをする人じゃないとわかって、安心する自分がいた。


「よかった……」

「ん」


 誤解してたなんて、とか小言を言われるかとハラハラしていたが、拍子抜けするくらい淡々としていた。その素朴さに日向ぼっこをしている時のような心地よさを覚えながら、意識が遠のいていく。


「大丈夫か? おぶっていこうか?」

「い、いや大丈夫っす。歩きます」


 宿屋に戻ってくると、マルクトはそのまま泥のように眠り、起きたら夕方だった。その日中頭がぼーっとしてたから、やっぱり夜更かしなんてするもんじゃないと思った。

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光を放て! 好戦魔女と少年は旅する 武内ゆり @yuritakeuchi

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