第9話 山の上にも三百年④

 町を抜け出すと、鬱蒼とした森を進んでいく。


 マルクトは何度か目の前に伸びる枝葉に気を取られたり、落ち葉の下にある根っこや窪みに引っかかって転びそうになった。けれども、だんだん慣れてくると歩けるようになってくる。


 そして、「この先危険」の看板の奥に足を踏み入れると、空気が変わったのを感じた。


 ——ウウウゥゥ。


 地響きのような唸り声が聞こえてくる。血に飢えた獣が、餌を求める声——マルクトは夜の寒さに混じって、体が震えた。


 その瞬間、初めて師匠に出会った時を思い出した。


 あの時もマルクトは、狼の魔物に襲われていた。

 あの時師匠が助けてくれなかったら、俺は死んでいた……。今、あれよりもきっと強い魔物が、徐々に近づいてきている。


 そしてあの時と同じように、師匠は杖を構える。


「いやあ、久しぶりだな」


 なぜか楽しそうだった。

 あ、やっぱ絶対、戦闘狂だ。マルクトがそう思うには十分すぎるほど、師匠はワクワクした雰囲気をただよわせていた。


 目の前に白狼の双眸が光る——瞬間、師匠の光線魔法に打たれた。


——グアァァ!!

 瞬殺。


「よっわ」


 思わずそう口に出た。

 え、これで終わりっすか? そう思いかけた時、


 ——ウウゥゥ……、ウウゥゥゥ……。


 四方の暗闇から威嚇の合唱が聞こえ始める。自分たちの方が、数が多いと思ったら、甘かった。


 その逆で、マルクトたちは囲まれていた。


「うわ、いつの間にこんなにいるのかよ……」

「……」


 師匠の顔に余裕ぶった笑顔が消え、代わりに真剣味が宿り始めた。


 魔物は、賢い。バラバラには飛びつかず、少しずつ円を縮めていく。


「マルクト、目を閉じろ」

「え?」


 なんで——と聞く時間はなかった。師匠の杖の先が強烈な光を帯び始める。マルクトが反射的に目を瞑った瞬間、まぶたの裏が赤くなった。


「さあ来い! 一匹残らず貫いてやる——っ」


 完全に悪役みたいなセリフを吐く師匠の声が聞こえた。


 それが戦いの始まりとなった。


 目くらましで魔物たちの動きが鈍った刹那、線状の血飛沫があちこちで上がり、バタバタと魔物たちが倒れていく。

 師匠の魔法が切れたのか姿が見えなくなったが、アフマールさんがやったのだろうというのは想像に難くなかった。いやだって、刀持ってたし。


「やば……」


 瞬く間に半分くらい魔物が命を散らしていった。

 アフマールさんの辞書には「笑顔」という二文字もなさそうだけど、「容赦」という二文字もなさそうだった。


 マルクトが若干引き気味に感想を漏らしていると、師匠は「ふんふん」と観察していた。


「やっぱり精霊は動きが早くて便利そうだな。私もなってみようかな」

「師匠、そんな簡単に人間辞めようと思わないでください!!」


 完全にそっち系の発言にしか聞こえなかった。

 師匠は少し黙ったあと、


「……それもそうだね。マルクトも撃ってみなよ」


と言いながら、杖を差し出そうとした。


「え……?」


 この状況で?

 この状況で渡す?

 師匠が撃った方が絶対によくない?


 受け取るのに躊躇していると、背後から生臭い息と殺気を感じた。マルクトは首筋に恐怖がはい上がってくるのを感じて、


「ひいっ!?」


咄嗟に身をすくめてしゃがみ込むと、飛びかかった魔物に師匠の杖が振るわれた。ゴン——っと鈍い音と、狼の甲高い悲鳴が聞こえた。


 え、今、杖でなぐった?


「ごめんマルクト、私が倒すよ」


 何事もなかったかのように光線を放つと、一瞬で貫かれた。次々に周りの魔物を貫いていく。


 いや、最初から師匠が倒せばよかったじゃないっすか、と思っていると、


「ほら、立つんだ」


と師匠は命令口調でいった。師匠が軍隊みたいな厳しい口調で命令してくるのは珍しかった。


「へ?」

「なんのための人員だ。もっと懸命に生きろ」


 え? 俺、もしかしておとり?

 敵の攻撃を分散させるためのおとり?


 しかしそういう意味じゃなかった。

 師匠はまっすぐにマルクトの瞳を見て、真剣な顔をした。


「マルクトなら一体や二体、倒せるはずだ」


 買いかぶりだ。そんなこと……できない。


 マルクトは顔がこわばるのを感じた。


 無理なものは無理だ。自分は……マルクトは認めるしかなかった。自分は、足手まといなんだということを。


 そうしている間に、魔物はまたジリジリと近づいてくる。


「誰よりもまっすぐな光線を撃てるよ。さあ」


 師匠は声色を柔らげて、けれどまた強引に、杖を突き出した。


 マルクトは唾を飲み込んだ。


 師匠は俺に期待してくれている。

 でももし撃てなかったら? 倒せなかったら?


 まだ一度もまともに光線魔法を撃てたことがない。なのに撃てるわけないじゃないか。


 でも拒否したら? 師匠は俺を見限る?


 ——逃げたい。


 逃げたい、ここから、恐怖から、全てから。


 ただ、ただそう思った。


 師匠はこの状況で、黙っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る