第8話 山の上にも三百年③

 状況が全くつかめない。


「えっと、行くってどこに」

「だから黒山。今から行けば日の出までに戻ってこれると思うけど」


 まさかの徹夜っすか。


 夜更かしとか可愛いものじゃなかった。オールナイトだ。

 良い子は寝てる時間だって言っていたのと、同じ口から出た言葉だとは思えない。


「いやいやいや何しに行くんすか、夜の山って遭難しそうだしっていうか、誰と話してたんですか」

「アフマールだよ。あ、正確にはそんな感じの名前の精霊」

「そんな感じ……?」


 本当なら、精霊、のところに反応するべきだと思ったけど、どうしてもそこが気になった。


「正確な発音が難しいんだ。外国人の名前って」

「外国人…………?」


 外国人の精霊……?

 聞いたことない響きに思考が止まりそうになる。


 マルクトの聞き返しをどう受け止めたのか、師匠は何かに向けて遠慮し始めた。


「ああ、うん、確かに精霊っていう割には物理攻撃の方が似合いそうな見た目しているけど、根は優しいから……」


 まってすごく気になる。

 気になるんだけど、見えない。見た目恐いけど根は優しいよって、不良とかヤクザとかそういう……?


 師匠の視線が勝手に動いた。


「……え、そうなの? マルクト、もしかして見えてない?」

「あ……はい」


 マルクトが認めると、師匠は口をへの字に曲げてすねた。


「そういうのは先に言ってよ」

「いやいや言うタイミングなかったすよね」

「……そうだね。まあ彼は外に出すエネルギーが低い方だから、感知難しいか。ごめん」


 謝られるとは思っていなくて、マルクトは咄嗟にフォローしようとする。


「あ、違うんです師匠、オレがまだその辺よくわからないんで……」

「うん、そうだね」

「師匠——!?」


 おかしい、おかしい絶対。やっぱり自分は悪くない。悪いのは師匠だと思った。


 そう思っていると、師匠は何か呪文を唱え始めた。そのことに意識が集中して返事がなおざりになったのか——そう思いたい。


 突然、視界に青白い光が薄く現れた。それが人型の形をとったことで、マルクトにも見えるようにしてくれたことがわかった。


 そこに現れたのは、マルクトの予想していたのと、だいぶ違った。


 鍛え抜かれた引き締まった体に、動きやすい紺の上下二枚着、腰には反りの強い刀が収まっていて、武道を歩んだことが一目でわかる。

 笑顔という概念がないんじゃないかと思うほど全く笑わず、面と向かうと武人特有の威圧感に、怯みそうになった。


 マルクトが、目が合うと恐い、と思っていると、師匠がポツリ。


「どう? 男前だよね」


 師匠、こういうタイプが好みっすか。

 というか、なんでそんなにリラックスしていられる……? 


 アフマールという精霊は、


「意思疎通ができるようになった以上、一刻を争います。すぐに行きましょう」


と丁寧だがキレのある言葉遣いで告げた。


「うん、よしマルクト、行こう」

「いやちょっと待ってください!?」


 マルクトは必死になって訴える。


「どうしたの? お手洗い?」

「そういうことじゃなくて——!? 行ったら二度と戻ってこれないって——」

「うん、まあ大丈夫だよ」


 何が大丈夫なのかさっぱり見えてこなかった。


「マルクト殿」


 急に、殿、となじみのないことを言われて、マルクトは背筋が勝手に伸びる。


「は、はい」

「エヴィ・フォー・フェイト殿が弟子に取るというのは、よほど見込みがあるのでしょうね。期待しております」


 アフマールは静かだが熱いまなざしで告げると、もう歩み始めた。


 いや、ハードル上げるのやめてください、俺まだ何もできません。

 マジで死ぬから。普通に死ぬから。


「師匠……」


 マルクトは何か言おうとしたが、変なプライドと思い込みが邪魔して、その続きが言えなかった。行きたくないなんて言ったら、それこそ師匠は俺のことを……。


「あの、師匠、そもそも何しにいくんですが」


 師匠も歩き始めたので、マルクトは慌ててついていく。真夜中の町は静まり返って、不気味に感じた。


「魔物退治に」


 何それ、どういうこと? と思って続きを待つ。


 ……。


 いくら待っても師匠からはそれ以上の言葉が出てこなかった。


「アフマール、説明を頼みたい」


と投げた。

 あ、師匠、説明放棄したな。


「承りました。事の発端は、遡ること千年前になります」

「は、はあ……」


 思ったよりずっと昔だった。この精霊、何歳なんだろう。


「聖者マートラーがこの山を登り神殿を建てて以来、この地は聖なる場所として護られてきました。

 しかし時代とともに人々に忘れられた結果、魔物たちが聖地を穢し、あまつさえ土地に宿った膨大なエネルギーを吸って凶暴化していきました。さらに麓に住む民衆が被害に遭うことが増えたため、三百年前に山に結界を張り、魔物が外へ出ないようにしたのです」

「それって……」


 三百年ってちょうど悪い精霊が山に棲みつき始めたって、あのおばあちゃんが……話が違う。もしかして目の前にいる精霊がそれなのか?

 師匠がつけ足す。


「でも人間は結界を素通りできる。だから入ってうかうかしていると魔物にやられるんだよね」

「できるだけ早期に発見し守護するように心がけているのですが、なかなか全ての人を助けることができず……」


と歯痒そうに唸った。本物のいい人だ、とマルクトは心の底から思った。


 昼間の話と全然違う。


 そうか、三百年前に山に来てから、魔物が外に出ないように結界を張り続けているけど、人間にとっては入ったら恐ろしい山であることは変わらない。

 だから魔物もアフマールのせいにされている。


「じゃあ、ものすごく誤解されてんじゃないっすか」

「でもその方が、防御手段のない人が不用意に入ってこなくなるし」


 師匠はそれが良いことのように言った。

 マルクトは釈然としなかった。勘違いされたままの方がいいというのか。それはアフマールさんにあまりにも……。


「私に倒す力量があれば、このような事態は起きなかったはずです。力不足な私に責任があります」


 不憫だ、と思いかけると、その思いを否定してくるかのように、アフマールは言い切った。


 ……真面目だ。

 真面目すぎる。あとで師匠が「真面目を合金で焼き固めたみたいな性格してるよね」と言っていた。それはそれですごい表現だと思った。


 ええっとこれは慰めた方がいい? それすらも失礼?


 どう反応したらいいのか困っていると、


「これがうまく行けば、結果オーライだよ」


 師匠の緊張感はゼロだった。こんな時くらい、もう少し持ってくださいよ。


「まあ三百年経って、そろそろ弱ってきたから、倒せそうなら倒そうって話」


 時間の流れの中で、土地に残ったエネルギーがなくなり、それを糧に生きてきた魔物も減ってきた。魔物自体も弱体化してきたから、今ならみんなで寄ってたかって倒しにかかれば退治できるんじゃないかということらしい。


 そうだったのか。全く勝ち目がない話ってわけじゃないっぽい。なるほど、と思いかけると、ふと大事な疑問が浮かんだ。


「……って師匠、そもそもどうやってアフマールさんと知り合ったんすか」

「ん?5年前くらいかな、興味が抑えきれなくて山に入った」

「ししょ——!!」


 バカなのか、アホなのか!?

 ということは……マルクトはようやく繋がった。お昼のニマニマは、俺をからかおうとしていただけだったのか。


 騙された気分に襲われて、マルクトは叫びたくなった。


「それを最初に言ってくださいよ!」

「うん、わかった。……今度から気をつける」


と言いながら、また頭をなでようとしてきたので、マルクトは走り出してその手から逃げた。


「あ……」

「師匠のバカ!」


 振り向くと、ろくに師匠の顔を見ないまま大声で言ってやった。


 これで師匠は怒ったと思った。けどなぜかニコニコし始めた。


「マルクトは素直だね」

「そんなことない!」


 怒らない師匠が、逆に腹立たしかった。


「あるよ……」


 という師匠の小さな呟きは、風の音にまぎれて消えていった。

 代わりに、


「素直とはまっすぐだということです」


というアフマールのコメントが、マルクトに印象強く残った。

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