第25話 邪魔

 屋敷から湖の方角に向かって駆け出して少しすると、薄暗い森の中で違和感を覚えた。

 前と変わらない景色。その中で、自分たちとは違う何かが動く、微かな音。

 リスでもいるのかと少し意識を向けようとしたところで、後ろから鋭い声が飛ぶ。


「ブロド!」


 呼ばれた声に、危険を感じて反射的にその場に止まれば、ひゅんと目の前を矢が通った。

 足を狙って低く放たれたそれは、ブロドが止まったことで的が無くなり、隣の木の根元近くに刺さった。


 矢が飛んできた方向を見れば、木の影からクロスボウを放つ影があった。


「……」


 全員が立ち止まりそこを睨んだ。

 次にまた矢が来ても、避けられるように腰を落とす。この距離なら目視できるので注視さえしていれば問題無い。

 すると、ゆっくりとクロスボウを下ろして立ち上がって姿を見せたのは、――カイだった。


「カイ……、やめて」


 仕事着の全身黒い軽装に口を覆う布をまとったカイが、射貫く視線で、他の誰にも目をくれずブロドを見ていた。

 低い、久しぶりに聞く声がする。


「ブロドまで連れてきてくれたんですね。感謝しますよ、テイト」

「……ふざけんな。お前、チャスをどうした」


 テイトのその問いに、カイの切れ長の瞳がさらに細くなる。

 布の下で、きっと笑みを描いているんだろうとわかる。


「チャスは、メズと共にいます」


 拳を握りしめる。

 その意味を考えるのは怖い。もう、あまり時間がないことを示しているのは間違いない。


「……メズに、何て言ったんだよ」


 ブロドの知るメズは、やはりチャスを傷つけるとは思えないのだ。

 でもここにカイがいて、メズとチャスを二人で置いてきたのだとしたら、カイが強要しなくても、メズがチャスの力を奪うという確信があるからだろう。

 何か、メズがそうしたくなるようにカイが仕向けたに違いない。


「メズが……、メズがチャスの命を奪うわけねぇだろ!」

「誤解がありますよブロド」


 カイは、クロスボウを構えた。

 矢が、真っすぐにブロドに向けられる。殺すつもりはないのだろう、頭ではなく腹を狙っていた。


「メズがチャスから力を抜いて、自分に戻したとして。チャスがその後どうなるのか、それは誰にもわかりません。だから、命の有無は試してみて初めてわかる結果に過ぎない」

「てっめぇ……っ」


 走り出そうとしたブロドに、矢が放たれた。

 届く前に、体を横にずらして避ける。


「動かないでください。俺だって、君を傷つけたくないんです」

「命の有無は関係ないっつった口が何言ってんだ!」

「力をメズが抜く前に死なれては困ります。俺がブロドの動きを予想できないはずないでしょう。わざと外したんです」


 そう言うカイの漆黒の瞳は、全く笑っていなかった。

 クロスボウを構えたまま、ゆっくりゆっくりとブロドに向かって距離を詰めてくる。


「お前たちが去り、メズの力の暴走がしばらくして収まりました。けれど暴走の反動か、今度は明らかに衰弱し始めてしまった。そして、衰弱するにつれて、力もどんどん無くなっていく」

「カイ、それ以上ブロドに近づくな!」

「うるさいですよ、テイト。力が無いから衰弱するなら、力を戻すしかない。一番最後に力を与えられたブロドとチャスには、最も力が残っていると考えられます。それに――」


 言い終わる前に、クーが投げたナイフがカイに迫った。

 カイは、後ろに軽く跳んでそれを避けた。

 そこで初めて、全くの新顔に目をやった。


「誰ですか?」

「どうも。ブロドとチャスの保護者みたいなもんだよ」

「いや、違うけど」

「はぁ?」カイは、クーにクロスボウを向ける。「部外者は関わらないでもらえますか」


 けれどそのくらいで怯むクーではない。にっこりと笑顔の仮面を纏って、次のナイフを持った右手を挨拶するように軽く上げた。


「よろしくね。君がカイか」

「……」


 カイは何も答えず、矢を放つ。

 ひゅん、と低い音が聞こえる中、クーが走り出した。矢を避けながら、カイに向かって一直線に走って行く。


「くそっ」


 急激に距離を詰めたクーに、カイはクロスボウを捨てて剣を取り出しナイフを受け止めた。

 金属同士がぶつかる音が響く。


「変わった剣だね」


 クーはそう言って、少し後ろに下がった。

 カイの剣は、通常のものと比べてかなり平べったい。長さは劣るが、その薄さ故に軽く、切っ先は非常に鋭い。ブロドとチャスは、カイに訓練で一度も勝てたことが無かった。

 

 クーはナイフを鞘に納めて腰から下げると、代わりに背中に仕込んでいた短剣を取り出した。

 肘から肩くらいまでの、ナイフよりは長いが剣よりは短いものだ。街をうろつく際、剣では目立つからと、よく短剣を所持していた。


 クーとカイが、睨み合う。


「これは身内の問題なんですが」

 

 カイが苛立った声を上げた。

 目の前に立ちはだかるのが、見ず知らずの他人であることが気に食わないようだ。

 

「お前たち三人とも、メズに恩を感じてないわけないでしょうに」


 カイのその言い方には、メズのためなら、ブロドも素直に身を差し出すのが当然だという響きがあった。

 確かに、メズに恩があるのはブロドだけではなく、テイトもキャンティも同じだ。


「それなのに、何故邪魔をするんです。メズよりチャスを取るんですか?」


 それに、テイトとキャンティが静かに答える。


「メズは、そんなこと望まない」

「力の暴走が抑えられない中、あんなにも必死にブロドとチャスを案じて遠くへ行くよう言っていたのよ。今だってチャスに何かしようとしてるわけ――」

「黙れ!」


 クーと睨み合いながらも、カイはキャンティとテイトに向かって怒鳴る。

 こんなにも彼が激昂するところを、ブロドは見たことが無かった。


「俺にとってメズは全てです! お前たちがその程度しか思っていないとは……、この十数年、一体何だったんですか!」


 言い終わるや否や、カイはクーの間合いに入り込んだ。

 下から剣を斜め上に削ぐように薙ぎ払う。

 迫るそれを、クーは短剣で受けて、押し返した。

 けれどカイは、立てていた刃を寝かせることで勢いを殺してクーの短剣を逆に払いのける。


「邪魔、しないでください!」


 今度は上から振りかぶるそれを、クーは額の上で受け止めた。そして、力の押し合いをしながら叫ぶ。


「今のうちに行け、ブロド!」

「!」

「早く、チャスを――っ」


 ぐっと振り下ろされる剣に力が増す。

 短剣では、力の分散で負ける。

 クーは仕方なく、短剣を上ではなく前へ押し出して剣を一度払った。


「ブロド! 待て!」


 走り出したブロドを追いかけようと、カイがクーから離れて走り出す。

 それにクーが追い付く前に、カイの前にテイトが立ちはだかった。

 屋敷から出る時に持ってきた自前の剣を、テイトはカイに向けて構えていた。


「退いてください」

「退かねぇよ」


 今度はカイに向かって、剣が振り下ろされる。

 体格はテイトの方が大きく、単純な力比べではテイトの方が有利だ。けれど、仲間内で一番強いと評されるカイの腕は、伊達じゃない。

 カイは、斜めに構えてテイトの剣を受けて、なるべく力に頼らず薙ぎ払う。

 何年も、何度も、訓練で刃を交えてきた。

 ここに来て、互いに本気で相手を斬ろうとしている。チャスのため、メズのため。


「馬鹿野郎――っ!」


 ブロドは、叫びながらもとにかく走った。

 穏やかな7年間が、音を立てて崩れていく。

 

 みんなの中心であるメズ。

 最年少のブロドとチャスは、間違いなくここでみんなに育ててもらった。何も知らないブロドが、外で暮らせるようになったのは全て仲間のみんなのおかげだ。

 それなのに。


「何で斬り合いなんかすんだよっ!」


 家族だと思っている人たちが本気で、相手を止めるため、怪我をさせるために剣を振るい合うところなんて、見たくない。

 大事な思い出が、すぐそこで泣いている。


「チャス……っ」


 でも、足を止めてはいけない。

 カイを二人がかりで止めている。

 クーもテイトもブロドが勝てないくらい強い。その二人でやっとカイの足止めができている。

 二人とも強いけど、それを、ブロドに道を拓くために、チャスのためにしてくれている。

 ここで、ブロドが止まることだけはあってはいけないのだ。


「――ブロド!」


 走り続けるブロドの腕を、キャンティが強く引いた。

 キャンティは、カイを引き留めているクーとテイトを置いてブロドと共に走り出していた。その彼女が、強く引っ張られて尻もちをついたブロドの前に、庇うように立っていた。


「?」


 戦闘態勢でナイフを掴んだキャンティは、目の前を睨みつけていた。

 ブロドが目を開いてそこを見ると、トーキが立っていた。

 上から飛び降りてきたのか、着地したばかりのように膝を開いたトーキは、ゆっくり顔を上げてキャンティを見上げた。


「惜しかったのに」

「トーキ……」


 その目は、いつものトーキと全く違った。

 敵を目の前にして、闘志を燃やす、戦う人間の目だ。


「……あんたも、そっちにつくの」

「そうだよ」

「あんたは、チャスのこと好きだと思ってたけど」


 その言葉に、トーキは「そうだね」と寂しそうに笑った。それが前のトーキと重なる。

 トーキは優しい兄だったが、時折誰も寄せ付けない深い闇を纏った、寂しい表情をすることがあった。


「チャスのこと、好きだよ」

「なら、つくべきはそっちじゃないでしょ」

「いや、間違ってないよ」トーキは、寂しさを振り落としてナイフを取り出した。「メズのこと、信頼してるからね――!」


 立ちはだかるキャンティに向かって、一気に踏み込んでナイフを振る。

 細かく刻むように動くそれに、キャンティはほとんど避けたが、左膝の横が一カ所だけが避けられず切られる。

 服を割いて皮膚にあたり、キャンティの膝周りの布が赤く色づいていく。


「……手加減は、無しってことでいいかしら」

「いいよ」


 避ける一方だったキャンティが、トーキに向かってナイフを横に振った。

 それをトーキは後退して避けてから、体を低くしてキャンティの足を払うように蹴りを入れる。

 それを喰らってキャンティは地面に倒れるが、飛び掛かって来るトーキのナイフを、そのまま転がって避けていく。

 けれど、木がすぐそこに迫り、これ以上躱しきれない。


「キャ――っ」


 思わず叫んで、トーキに飛び込もうとしたブロドをキャンティは許さない。


「走ってブロド! チャスのとこへ行って!」

「っ」


 それに踏みとどまった隙に、トーキがキャンティの右手を押さえ、ナイフを振れなくして。

 キャンティの肩にナイフを振り下ろした。

 逃げ先もナイフを持つ右手も防がれたキャンティが、苦痛の呻き声をあげた。


「!?」


 けれども、肩にナイフが刺さったままの彼女は、次の瞬間には不敵に笑っていた。


「女は痛みに強いのよ」


 トーキの背中に、キャンティの左手がナイフを突き立てていた。

 わざと喰らって、別のナイフを反対の手でトーキにも一刺し入れたのだ。


「キャンティ……っ」


 トーキが、苦しそうに呟く。

 右手のナイフしか見ていなかった。肩と背中、互いにしっかりと入った刃が、じわりじわりと痛みを広げていく。

 

「行ってブロド!」

「でも……」

「早く!」

「――っ」


 ブロドは、抱き合うように倒れ込んだ二人から目を逸らして、必死に足を動かした。

 湖の方角、東へ。

 振り返ってはいけない。

 ただ、真っすぐ、チャスの元へ。

 ブロドは仲間たちに背を向けて森の中を、進んでいった。

 

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