第24話 古巣
ブロドは、目を覚ました。
とても長い、昔の夢を見ていた。
小さい子供部屋で、チャスだけが全てだったあの頃から、ブロドは大人に近づいた。
でも、ブロドという人間をこの世にとどめてくれていたのは、ずっとチャスだ。その事実は、昔も今も、結局変わらない。
(チャス……)
双子を拾い、力を与え、居場所をくれたメズ。
そのメズが、チャスから力を奪おうとしてる? そして、力を奪われたチャスは命が危うい?
それはあまりにも現実味が無い。メズは力だけではなく、ブロドとチャスに愛をくれた。力を戻すことがチャスの身を危険に晒すのなら、本当にメズはそんなことをするだろうか?
「起きたか。もう着くぞ」
ぼんやりと終わりの無い不安を考えていると、乗り合い馬車の向かいに座るテイトが、そう言って外を指す。
布の隙間から見えたそこは、確かに見覚えのある街だった。
「……」
けれど、感慨は無い。
この街へ来ていた大抵の目的は、メモリアを奪うためか、メモリアを売るためかのどちらかだった。
思い出の多くは、すぐそこの山の中の屋敷にある。
ブロドは、隣に座る男を見つめた。
「――で、何でクーがついてきてるんだ?」
長い間眠っていたからか、忘れてしまった。
テイトは確かにクーを訪ねてきたが、それはあくまでブロドに会うためだったわけで、ここまでついてくる必要は無いはずだ。
「やだなぁ、何回も説明したでしょ」
「……そうだっけか」
「……君ってばずっと上の空で人の話全然聞いてなかったからね」
クーは呆れたような、残念そうな、そんな風に呟いてから、目を閉じて荷車の壁に体を預けた。
馬が引く荷車が揺れる度、振動が伝わる。
「一応今は君たちの身柄を預かっているわけだし。保護者としてね」
「……脅してな」
「え? 脅して?」
「取引現場を見られたせいで、身元がバレた」
「お前たちなー……。あれほど気をつけろって言ったろ」
細かな事情を知らないテイトが、呆れた視線を向ける。
確かに注意が足りなかったが、偶然にもメモリアについて調べている奴に見つかるというのも運が無かったのだ。……と思うことにする。
「ねぇ、待って。俺の話終わってないんだけど」
「なんだった?」
「……だから、チャスを一緒に探す理由だけど」
クーの胡乱げな気配を感じるが、無視しておく。今は、あまり真正面からクーの相手をする余力が無い。
メズとチャスの元へ一刻も早く行きたいが、ここで慌てても到着時間は変わらない。
「そうだったな。まぁ俺としては部外者に来てほしくないわけだけど」
ブロドの代わりにテイトが続きを促す。こういうところは、本当に面倒見がいい男だった。
「普通に君と一緒に行ったブロドが帰ってこない可能性を考えるよね、この立場なら」
「確かに、お前が脅してるんなら逃げるな」
「……ソウデスネ」
昨日から丸一日かけて移動を続けているが、この二人、常にテイトが優位になる。
クーが押され気味なのが珍しい。テイトはあまり口がうまい方じゃないが、言うことは言うのでクーも上手に押せていない感じがある。
「でもさ」そんなクーが、静かに言った。「これでも心配してるんだって」
「……」
それは、どう受け取っていいだろう。
クーに見つかり、逃げ回れなくなったから仕方なしに結んだ雇用関係の延長線上にしては、だいぶ重い情に思える。
何も言わなくなったブロドを見て、クーはにやりと笑った。
「なーんて、他に気になることもあるしね」
「気になること?」
「そ。もし言う必要ができたら教えるよ」
「……じゃあ変に匂わせる発言するな」
一瞬前の、あの感情を考える時間を返してほしい。
ブロドは、ため息をついた。
*
街で乗り合い馬車を下り、急いで山の方へと向かおうとするブロドを止めて、テイトは近くの宿屋で馬を借りた。
三頭借りようとしたところ、今は二頭しか貸せないというので、ブロドとテイトが相乗りすることにした。
山を登り、ブロドも何度も通った屋敷への獣道を通っていく。
途中、茂みに隠された細い道を抜ける。
普通にこの山を通り抜けるだけでは見つからない隠れ道のようになっていて、屋敷へ繋がる秘密の道だった。
そこを通り抜けてしばらく進むと、見覚えのある屋敷の正面が見えてくる。
周りには屋根より高い木々があり、おかげで薄暗いが屋敷の存在を隠してくれていた。
茶色い煉瓦に、黒い屋根。
ブロドが去った一年近く前と、変わっていない。
(チャス……)
ここに、チャスが戻っているという。
長く住んでいたこの屋敷は、チャスが一時戻っているといっても問題ない場所のはずだった。
けれど今、メズの力が失われかけていて、カイがチャスの力をメズに戻そうとしているという。
もし分け与えた力をメズに戻すことで、メズの具合が良くなるだけなら、それでいい。でもテイトの予想では、力と強く結びついた今、無理やりそれを戻すと命に関わることになる。
メズは、大事な人だ。
それでも、やっぱりチャスを失うわけにはいかない。
大切な二人が天秤にかかり、ブロドはどうしていいのか昨日からずっと答えが出なかった。
「ブロド、下りるぞ」
「あ、ああ……」
テイトに言われて、ブロドは馬を下りた。
続いて、テイトも下りる。クーに指示を出しながら、入り口付近にあった木に二人で馬を留めてくれた。
暗い表情のブロドに、見かねたテイトが声をかける。
「力を戻すなんて行為、メズにしかできない。メズが起き上がれる日は一週間に一度くらいだから、まだチャスには何もしていないはずだ」
それは昨日から、テイトが事情を説明した時に何度も言ってくれたことだった。けれどもやはり、安心はできそうにない。
力の暴走していたメズは、双子を危険に晒すまいと外へ出て行かせた。そんなメズが、チャスから力を奪うという行動をするとは思えない。
だからそんなはずはないと思う一方、カイが、という主語をテイトが使ったために一気にありえそうな話に聞こえてくるのだ。
「いいから入るぞ。まずは、チャスが使ってる部屋に行く」
そう言いながら、テイトはブロドとクーを先導して、屋敷の玄関を開ける。
中は昼間なのに日差しがほとんど入らず、薄暗かった。
昔は怖くもなんともなかったそこが、今は怪物の喉を覗いているような気持ちになる。
「……ブロド?」
吹き抜けの玄関ホールを見下ろせる二階から、驚いたような声が聞こえた。
チャスとも違う、女の声に首を上げれば。
「キャンティ……」
懐かしい顔が、そこにあった。
キャンティはすぐさま隣の階段を駆け下りて、ブロドに抱き着いた。
「来てくれてよかった……っ」
「……うん」
「戻って来るなっていったのにごめんね。でも本当に、どうしていいかわからなくて」
「キャンティ、チャスは?」
尋ねるテイトに、キャンティは申し訳なさそうな顔で俯く。
それが、良くない答えなのだとわかってしまう。
「……いないの」
「え……?」
「今、ちょうど探してたんだけど……、気づいたら部屋にいなくて」
また、頭が真っ白になる。
チャスはここに来ていたのだろう。テイトもキャンティもそう言うのだから間違いない。でも。
「メズはどこだ?」
テイトの声も、明らかに緊張を孕んだものになる。
キャンティは、これにも首を横に振った。
「メズもいない。それどころか、今、誰もいないのよ」
「どういうことだ?」
「たぶん、メズがチャスと一緒にどこかへ行ってるんだと思う。カイとトーキは付き添いなのか、出かけているのかわからないけど、とにかくまずいわ」
ブロドの脳裏にカイが浮かんだ。
カイは、メズに拾われた最初の人間で、メズのために生きていた。仲間同士他のみんなとも仲が悪いわけではなかったが、それでもカイは誰よりもメズに対して恩義を感じていて、そして何よりもメズを優先していた。
「カイなら、チャスから力を奪えって言うよ、な……」
だから、カイがそう言っても何ら不思議じゃないのだ。
メズのためなら、たとえチャスでも迷いなく差し出すだろう。
テイトが顔を顰めた。
「現に言ってたしな」
「他の部屋も見たけど、ここにはもう誰もいない。メズが動ける範囲だとすると、たぶん湖の方だわ。そこに向かいましょう」
キャンティはそう言うが、ブロドは足が動かない。
焦りか、動揺か。足の裏が、引っ付いてしまったように動かない。
――怖い。
こんなにも怖いと思ったことはなかった。先を考えるのが、怖い。
恐怖心を覚えた時、今までは隣に必ずチャスがいた。だから、怖くても前へ進めた。
でも今、そのチャスの身に何かが起ころうとしている。
それが、怖くて、怖くて――。
「ブロド、しっかりしろ」
背中を、叩かれた。
憑いていたものが落ちたかのように、はっとして顔を上げる。
振り向くとそこには、クーがいた。
「ここで走らないのは、君らしくないよ」
真剣なまなざしで、ただそう言われる。いつもふざけているクーにそんな風に言われるなんて、どうかしてる。
(――そうだ)
ブロドは、息を吸った。
この世で姉はただ一人。ブロドを一人にせず、ずっと手を繋いでくれたのはチャスだ。
そのチャスが、危険に晒されるというなら。
たとえメズであっても、止めなければならない。
ブロドは、クーの腕を掴んで走り出す。
「行くぞ、クー」
「え?」
「……ここまでついてきたなら、チャスを一緒に探してくれ」
前を見つめながらそう小さく言ったブロドに、クーは少しだけ笑った。
「もちろんだよ」
テイトとキャンティもついてきて、四人で屋敷を出た。
キャンティの言う湖を目指すなら、東の方向だ。
正面玄関を出て、東へと向かう。木々が広がるその先に、チャスがきっといる。だから、足を止めてはいけない。とにかく、チャスの無事を確かめなくては――。
ブロドは、先頭を切って走って行った。
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