第23話 姉弟の記憶④
メズに拾われてから、ブロドの生活は一変した。
狭い一人きりの部屋から、仲間5人とチャスと暮らせる広い屋敷が住処になった。
山奥にあるその屋敷は周りを木々で囲まれていて、街や他の人とは隔離されていたが、穏やかな7人での生活はとても心地が良かった。そこでやっと、ブロドは人間としての様々な成長をすることになった。
頭であるメズは、「最も幸せな記憶」を抜き取り小瓶に液体となって具現化させるという力を全員に与えていた。
メズは、ブロドとチャスにこの力について幸せを分配する方法であると教えてくれた。ブロドのような、不遇な立場で幸せが足りない人に、分けてあげるための手段だと。
もう少し大きくなってから、他のみんなも似たような境遇で幸せな記憶なんて抜けるような状態じゃないところをメズが拾ったのだと知った。
*
「お、今のはいい動きだったな」
そんなことを言いながら、ブロドの渾身の一撃を危うげなく避けたのはテイトだった。
屋敷の裏手側。少し木を倒して拓いたその場所は、庭というよりは訓練場だった。
「くっそ……」
勢い余って地面に転んだブロドは舌打ちした。昨夜から天気があまりよくなく、雨が降った後の地面はぬかるんでいて泥が飛ぶ。
今日は一度もまともに攻撃が入っていない。
護身術とは名ばかりのきちんとした戦闘訓練をしてくれたのはテイトなので、勝てないのは当然と言えばそうなのだが、それでもやっと攻撃を当てられるくらいにはなってきているのに。
「何で今、俺が右ではなく左に体を持って行ったと思う?」
「……オレが、右肩を狙っていたから」
「わかってんならいい。バレバレだったぞ。集中しろ」
テイトがブロドに向かって手を差し出す。黙ってそれを掴み、引っ張ってくれる勢いに任せて立ち上がった。
けれどこの状況で、集中なんてできない。ブロドは、振り返って屋敷の二階を見つめた。
「ブロド」
「……だって」
続く言葉はなかった。
テイトもわかっているから、それに何も言わない。
二階の端の大きな部屋。そこからここ数日、異様な物音が止まない。今も、大小問わず何かがぶつかる鈍い音と割れるような音がする。
そこは、メズの部屋だった。
「気にするな……、は無理かもしれねぇが、なるべくいつも通り過ごせって言ってるだろ」
「……できねぇよ、そんなん。メズの顔、全然見てないし」
「今は会わせられる状態じゃないんだ」
「わかってる、けど」
メズは、この半年くらい前から寝込むようになった。
彼女も鍛えていたので体は丈夫で、今までは休むところなんか見たことないくらいだった。
最初は高熱。
それが下がっても、週に数日は部屋から出て来なくなった。
主に看病しているカイが言うには、意識が朦朧としていて起き上がらせると危ないらしい。
始めの頃は、ブロドとチャスが見舞いに行くと起き上がって大丈夫と笑っていた。でもそれも徐々にできなくなって、寝顔しか見られないことが増えていった。
そして。
「……メズ、どうしちゃったんだよ……」
思わず零れたのは、本当にこの一週間彼女がおかしくて、不安で不安でたまらないからだ。
この止まない音は、メズが作り出す見えない力の塊が、そこかしこにぶつかって部屋の中を荒らす音だと、カイとキャンティは教えてくれた。
最も濃い妖精の力を持つのはもちろんメズで、記憶を抜くという力以外にも、そもそも人ならざる力というものが体内に眠っているらしい。それが、先週から暴走を始めているというのだ。
メズの様子を見に行くのはカイ、キャンティ、時々テイト。ブロドとチャスと、それから一番歳の近いトーキは、メズの部屋に近づくことを禁じられた。
元々メズの補佐役をしているカイが、つきっきりで看ているが、メズ自身が力の制御をできていない。
家具を飛ばして壁に当てたり、本棚が倒れたり、床に傷をつけたりと、とにかく周りのものを滅茶苦茶にするから危ないと言われた。
こんなこと、今まで一度も無かった。7年もの間、メズと暮らしていたというのに。
ブロドとチャスを、あの家から出してくれた。ここにいていいんだよと居場所をくれた恩人で、メズこそが実質的には母だった。
その人が力の制御ができず苦しんでいるというのに、部屋に行くことすら禁じられて、いつも通り過ごせというのは無理な話だ。
「ブロド、剣を取れ」
「……そんな気分になれない」
「でもお前、中にいたってずっとそうやって気にして酷い顔してるんだぞ。少しは体動かした方が気が紛れるだろ」
「……」
しぶしぶ、落とした剣を取る。
やっと体が大きくなり始めたばかりのブロドには、剣は大きくて扱いづらい得物だった。ナイフの方が得意だけど、テイトはなるべく苦手を克服させようとするから、最近は剣ばっかりだ。
切っ先を引きずりながらも持ち上げる。いつもの何倍も、剣が重い。
何とか持ち上げて、目の前に構える。既にそこには、同じ構えをするテイトがいた。
「よし、じゃあ来い」
「……」
テイトの言うように、室内にいてもメズのことが気になって何も手につかない。それならきっと、少しでも何かしていた方がいい。
剣を大きく振り下ろそうと足腰に力を入れ――。
「――!」
思わず、構えたまま振り返った。
メズの部屋。
窓にはまっていたガラスが、派手な音と共に全て吹き飛んで外へと散っていく。
一瞬のドンという思い音の後、ガラスは一斉に割れていた。室内から強い圧力を受けたような、割れる音すら飲み込む一瞬の強い力。
ブロドにもわかるくらい、空気までも歪ませている力だ。
「メズ……」
何が起こっているのか、わからない。
でも今までとは、強さが桁違いに違う。
メズが、メズが――。
「メズ!」
ブロドは、屋敷の入り口に向かって駆け出した。
近づくななんて言い分、知らない。
大事な人が、そこで制御できない力を抱えている。平気なわけがない。
「ブロド!」制止するテイトの声が後ろで聞こえる。「待て! 行くな!」
それに振り向くことなく、一気に走り抜ける。
追いかけてくるのがわかるが、瞬発力はブロドの方が上だ。わずかでも遅れたテイトは、すぐにはブロドを掴まえられない。
裏口の両開きの扉を引く。速く、速く。メズ――!
「わっ!」
室内に入ったすぐのところで、誰かとぶつかった。
かなり勢いがあったブロドの方が、反動で飛ばされて尻もちをつく。
「って……」
「ブロド……」
「キャンティ! ブロドを掴まえろ!」
「え?」
「メズのとこに行こうとしてる!」
テイトの声にすぐさま反応したキャンティが、ブロドの手を摑まえる。
起き上がって駈け出そうとしたブロドよりも、キャンティが掴まえる方が早かった。
「ブロド!」
「キャンティ! 離せ!」
「ダメよ、メズのとこには行っちゃダメ!」
「でもあんなん、絶対大丈夫じゃねぇ!」
――パン!
何としてでも抜け出そうと、掴まれた左手を捻ろうとしたブロドの頬に痛みが走った。
「……」
驚いてそこを触ると、両の頬をぐいっと片手で口の方に寄せられて、キャンティが目の前に迫っていた。
キャンティに怒られる時、よくそうされるように。
「いい加減にしなさい! あんたがメズの力で怪我でもしたら、メズが一番傷つくでしょ!」
「――」
「みんな同じように心配してんのよ! 冷静になりなさい!」
「……っ」
そんなの、当たり前だ。
だって、ここにいるみんなが家族なのだから。
悔しくて、怖くて、何もできない自分が嫌で、ブロドは涙を溜める。
「メズ……」
どうしていいかわからない。あんなメズ、知らない。知らないことはとても怖い。
メズの身に何かがあれば耐えられないから。それくらい、彼女が大切だから。
ブロドの体を、キャンティが抱きしめた。
「不安よね。私だってテイトだって、今すぐにでも駆けつけたいのよ」
「わかっ、てる」
「でも尋常じゃないくらいに力が強いの。本当に危ないから、近づいちゃダメなのよ」
今、メズの部屋にいるであろうカイは、仲間うちで一番強い。
遠い国の特殊な訓練を受けていたから、どうにかメズの近くにいても怪我しないでいられる。普通、近くであの威力を喰らえば、下手をしたら致命傷を負う。それは、わかっている。
わかっているから、余計につらい。
「キャンティ!」
階段を駆け下りてくる足音と共に、キャンティを呼ぶまだ年若い男の声がした。
キャンティだけでなく、ブロドもテイトもそこへ視線をやる。
ちょうど、階段を降りきったもう一人の仲間、トーキと。
「ブロド……」
泣いているブロドを目に留めた、チャスがいた。
チャスは、トーキに手を引っ張られて、後ろをついてきていた。
「言われた通り、チャスを連れてきた、けど……」
くせ毛の栗毛が似合うトーキは、ブロドとチャスと4つしか離れていない、二人の優しい兄役だった。チャスの手をそのまま引いて、キャンティとブロドへと近寄って来る。
キャンティが頷いた。
「ありがとう、トーキ。……三人とも、よく聞いて」
やって来たトーキとチャス、それからブロドを順番に見て、キャンティはゆっくりと、けれど意思の固まった声で言う。
「――この屋敷から出なさい」
「え……?」
ブロドもチャスもトーキも、驚いてキャンティを見つめる。
想像をしたことのない言葉だった。
「メズの暴走がこのまま続くとすると、あの部屋の外にも影響が出る可能性が高いわ。そうなったら、ここは安全じゃなくなる。だから……」
「嫌だ!」
声を上げたのは、トーキだった。
彼はブロドとチャスが来る3年前には拾われていた。メズが母親代わりだったのは、トーキも同じだ。
「メズにまだ何も返せてない。怪我するにしても、たとえ死んでも、僕が今生きているのはメズがいたからだ。メズに命を奪われたっていい。メズから離れることはしない!」
「……」
キャンティは、何も言わなかった。
誰しもにとって、メズは恩人だった。メズがいたから、今を生きられているのは全員が同じことなのだ。
おいそれと捨てるわけにはいかない。
「……オレも、行かない」
「ブロド……」
「あたしも嫌よ」
ブロドとチャスにとっても、ここが家だ。
あの狭い一人きりの子供部屋ではなく、血のつながらない仲間と過ごせる、ここだけが家だった。
けれどキャンティは、首を横に振った。
「ダメ」ブロドの頬に残っていた涙を指先で拭う。「ブロドとチャスは、出て行くのよ」
「何で!」
「トーキはいいってことか?」
「そうだ」
トーキの頭を、こつんとテイトの拳が叩く。
後ろから輪に加わったテイトを見上げて、当の本人であるトーキも首を傾げた。
「トーキは一応成人してる。大人なんだから、自分で責任を持てるならそうしていい」
「責任なら、あたしたちだって……っ」
「お前たちはダメだ」
「何でだよ!」
「まだガキだからだ。お前たちに身の危険があると判断したら、遠くへ行かせろとメズに言われてる」
それを言われて、何も言い返せない。
メズが、双子の身を案じてくれてそう言っているのだとすれば、無下にできない。
でも、メズの元を去りたくなかった。
「着替えを少しだけまとめてきて。すぐにでも発つのよ」
「でも……」
「二人はもう、外でも暮らしていける。だって私たちが育てたんだもの」
引っ込んだはずの涙が、また出てきそうになる。
心の準備が、何一つできていない。
メズの元を、みんなと離れるのが、嫌だった。
「泣くな、ブロド」テイトが後頭部を小突く。「男なんだから、チャスをちゃんと守ってやれ。できるな?」
「……できる」
「守るのはあたし!」
「おう。じゃあチャスがブロドを。ブロドがチャスを。互いに守っていくんだ。できるな、二人とも」
そう聞かれて、首を横に振るわけにはいかない。
現状、カイだけがメズの部屋へ入れている。つまりは、それだけ強くて、メズの隣にいても大丈夫だと、みんなから思われてるからだ。ブロドとチャスには、そこまでの強さがないということだ。
先ほどの、窓ガラスを圧迫するような力。
あれはもう、ブロドとチャスが何を言ったってどうこうできるレベルではない。大人しく、頷くほかなかった。
きちんとお別れも言えないまま、こんな形で屋敷を離れることになるなんて。
内包する激しい力を抑えきれないメズ。
慈愛と責任感を持ち合わせる彼女が、その力で仲間を傷つけることを良しとするはずがない。きっと、何かが起こった時に自分を責めるに決まっている。
それを、許してはいけない。だから、ここを去る。
*
ブロドとチャスは、互いに手を握った。
外は雨雲に覆われて暗い。
荷物をまとめた双子は、逃げ出したあの日のように互いの存在を頼りに立っていた。
別れの日は、突然やって来てしまった。
「一回街へ降りて、南へ向かう乗り合い馬車に乗るのよ。そして、国境沿いの森から、隣の国へ入って。警備が薄いから、森を通り抜ければ身分証がなくても入れるわ」
そう言って見送るキャンティは、強がって何とか立っているような、ぎりぎりの状態に見えた。
それを心配することも、もう今後はできない。
「雨が強くなる前に行け」
キャンティに並んで見送りをしてくれるテイトは、いつも通りに見える。でもそう言ってから、双子の背中を押す手は、いつもよりずっと弱かった。
「――もう、ここへは戻るな」
その、寂しさをにじませた優しく突き放す物言いが、双子が屋敷で聞いた最後の言葉になった。
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