第22話 姉弟の記憶③
遠くで、言い争うような声が聞こえた。
時折聞き取れる程度で、内容はわからない。けれど、「子供」とか「どうするんですか」とか、聞こえる単語単語は男の声で、責めるような口調だった。
「――……で……う」
「な――――……すか!」
「――――」
相手の女の声は小さく、ほとんど聞き取れなかった。
自然と何を言っているのか耳が拾おうとして――、ブロドは、うっすらと目を開けた。
見慣れない天井。
ぱっと目に入る部屋は装飾が少なく、首を動かして周りを見渡しても質素だった。
体の下に布の感触があるのに気づいたところで、「おはよう」という声がかけられる。
「……?」
「まだ寝ぼけてる?」
ぼんやりとしていると、視界に女が入って来た。
肩の下まで伸ばした髪の色は、ブロドとチャスと同じ榛色だった。前髪を流して耳にかけて、切れ長の瞳も相まってとても大人の女性に見えた。
彼女が優しく笑いかける。
「メズが、あなたたちを連れてきたのよ」
メズ?
聞き慣れない名前に、首を傾げると、その女の後ろから別の女が顔を出した。
計算され尽くした、文句のつけられない整った顔立ち。
色素の無い灰色の髪を無造作にまとめたその女は、意識を失う前に確かに見た。
「あ……」
そこでやっと、何があったのかを思い出す。
チャスと、家から抜け出して。
空腹で食べ物を盗みに入ったところで、この女が入って来たのだ。
煙の立ち込める薄暗い中、「私と来ないか?」と尋ねられてチャスと二人、頷いた。
どう考えてもあの屋敷が急におかしくなったのはこの人のせいだったのに、途中から怖いとは思わなくなった。
「思い出したようだな」
「メズ」
「看ていてくれて助かった。無事なようで良かったよ」
メズと呼ばれた美しい女は、ブロドの頭を出会った時のように撫でた。
優しいその感触に、チャス以外には覚えなかった胸の奥が温かくなるような感情を覚える。
何が何だかわからない状況でも、この人の前では安心して過ごせる気がした。
「こっちは」メズがもう一人の女を指す。「キャンティという。基本、お前たちの面倒は彼女がみることになる」
「よろしくね」
キャンティはブロドを、そして、その横へと視線をやって微笑む。
つられてブロドも隣を見れば、チャスが寝息を立てていた。左手でブロドの服の裾を握っている。
「お前、名前は?」
「ブロド」
「ブロドか。双子は、姉か? それとも妹?」
「……おねえ、ちゃん」
「姉だな」
そうか、とメズは頷いて、ブロドを撫でていない手でチャスの頭を撫でた。
その穏やかな寝顔を見て、メズはふと寂しげに小さく笑う。
「ちゃんと力も馴染んだようだ。ブロド、気分はどうだ?」
「きぶん?」
「体が痛いとか、熱いとか、気分が悪いとか、そういうのは無いか?」
そう言われても、特に思い当たらない。
今思いつく感情を求められてるのだと思って、そのまま「……おなかすいた」と口にする。
すると、メズもキャンティも笑い出した。
「それは良いことだ。キャンティ、食事の用意を頼む」
「わかったわ」
「チャスも起こしてから食べさせてやってくれ」
「ええ」
「――メズ!」
メズとキャンティの会話を遮る、男の声がした。
寝ころんだままその声の方を見ると、少し離れたところに黒づくめの男がいた。黒い短髪に、瞳も漆黒で、シャツもズボンも真っ黒だ。
その男が、メズを見て面白くなさそうに腕を組む。
「俺は認めていませんよ」
面倒そうに、メズが眉間に皺を寄せた。呆れた声が出る。
「お前の認証など要らん。私の力を分ける相手は、私が決める。力を与えた者はその時点で強く結びつく」
「だからと言って、そんなに幼いと人攫いにあったと騒がれるに決まっています。どうして面倒事の種を自ら拾うんですか!」
「くどいぞ。さっきから言ってる通り、誰をどう拾おうが私の勝手だ。お前こそ私に逆らうのか?」
その一言で、男はぐっと押し黙った。何も反論できず、悔しそうに唇を噛んだ後、ブロドと目が合う。
母親のような嫌悪感丸出しの視線とも違う、どこか迷惑そうな戸惑ったものだった。
「…………」
「やめろ、睨むな。お前はただでさえ目つきが悪いんだからな」
「……悪かったですね」
「それにな」メズは立ち上がって男の方へと体を向けた。「おそらくだが、この子たちの親は騒がないはずだ」
それに首を傾げたのは、男だけではなくキャンティもだった。
「普通の親は、子供がいなくなったら慌てるものじゃないの?」
「……普通は、な」
メズは、キャンティと男と、それから横たわったままの双子を順番に見た。少しの間、無言の時間が流れてから、小さく、とても哀しそうに呟いた。
「――双子は忌みの対象だ。妖精の恨みによって生まれる子」
「え?」
「ブロドは痩せすぎだ。服の質は貴族のそれと大差ないから、家は裕福なはずなのに。満足に食えてないのは何故だと思う?」
「…………」
息を飲み込んだキャンティは信じられない目でメズを見つめ、男は無言で双子を見ていた。
初めて聞く単語が多く、ブロドには意味のわからない話だった。
けれど、何か穏やかじゃない空気になったのを感じて、服の袖を掴んでいたチャスの手を握る。何があっても大丈夫だと思える、片割れの温かさを求めた。
「キャンティ。テイトとトーキも呼んで、二人に力の使い方を教えてやれ」
「それは、もちろん」
メズは、扉の方へと歩き出した。
この部屋のように、メズの格好にも何一つ華美なものがなかった。それでも、立ち居振る舞いそのものが美しく、何も寄せつけない強さがあった。
「カイ、お前も来い」
「……わかりました」
途中、メズは男に声をかけた。カイと呼ばれた黒づくめの男は、大人しく従ってメズと部屋を出て行く。
人が減って静かになった部屋で、先ほどメズがしてくれたように、キャンティはブロドの頭を撫でた。メズよりも、体温が高い手が、眠気をまた誘う。
「私は食事の用意をしてくるから、もう少し眠ってて」
「……うん」
「メズとカイは来ないだろうけど、他にも二人、仲間がいるのよ。みんなでご飯にしましょうね」
ずっと自分の部屋から出ることなく過ごしてきたブロドにとって、「みんなでご飯」というのがどういうものなのか想像はできない。
けれど、どこかあたたかい響きがそこには滲んでいた。
チャスが手を引いて、「外」へと連れだしてくれた。ブロドが知らないものをたくさん見せてくれたのはチャスだ。
ブロドは遠のく意識の中で、チャスの手を離さないように握る。
これが、今までのブロドの生きる意味。
そしてきっと、これから新しい世界を、チャスと一緒に見るのだ。
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