第20話 姉弟の記憶①

 物心ついた時には既に、一人で過ごすことが多かった。

 

 子供用のベッドと少しのおもちゃだけの部屋で、食事を持って来るのも、泣いてやって来るのも子守の老婆だった。

 親の顔なんて覚えられないくらいしか見たことなくて、軟禁状態で育ったせいでその頃は体も弱かった。

 

「ブロドー?」

 

 けれど、遊び相手はいた。

 双子の姉、チャスだった。

 

 他に兄弟はおらず、家の中で遊び相手を探していたチャスは、5歳くらいからブロドの部屋へとやって来るようになった。母親といる時は行かせてくれないと言って、毎日来ていたわけではなかったが、それでもブロドと一緒にいてくれる唯一の相手だった。

 

「ねえ、みて。さっきおそとでもらったの」

 

 時折、外から持ち帰ったものを見せてくれて、窓からしか知らない外のことを、ブロドはチャスから学んだ。

 

「これは、なに?」

「りんご。たべていいよ」

 

 言葉を覚えだしたのも、チャスが遊びに来るようになってからだ。

 それまで子守の老婆くらいしか声を聞くことがなく、発育はかなり遅かったのだと思う。

 

 チャスは、ブロドが弟であると教えてくれた。

 ブロドの部屋には鏡が無く、鏡を見るのは数日に一回の風呂に入れられる時だけだったが、確かにチャスと似ていた。

 

「あたしたち、そっくりね」

 

 林檎を交互に食べながら、チャスは言った。

 

「うん」

「ふたごっていうんだって。いっしょにうまれたきょうだい」

「ふたご……」

「そう。あたしがおねえちゃんよ」

「おねえ、ちゃん……?」

「うん。でもおねえちゃんじゃなくてチャスってよんでね。いっしょにうまれたから」

 

 その時の部屋には灯りが無くて、日が暮れかけたぼんやりした外の光だけが光源だった。迫り来る夜の闇がもう少しで来る。

 でもブロドは怖いとは思わなかった。チャスがたぶん、ブロドを見て微笑んでいたから。

 

 けれどそういう二人の静かな時間は、いつも長くは続かない。


 少し経つと、乱暴にドアが開けられた。

 やつれた青白い肌の、見るからに不健康な女が立っていた。ブロドとチャスが並んで床に座っているのを見て、ヒステリックに喚き出した。

 

「チャス! あなたまたこんな所に来て!」

 

 髪を振り乱しながら、女は震える足で部屋へと入って来た。チャスに向かって「こっちへ来なさい!」と叫びながら、手を伸ばす。

 チャスはブロドの手をぎゅうと握った。

 

「いや! ブロドといる!」

「ダメって言ってるでしょう!」

「いやだ!」

 

 いよいよ二人の傍までやってきた女が、チャスの腕を掴んで無理やり立たせる。嫌がるチャスだが、大人の力には勝てなかった。引きずられるようにしてその場から動く。

 

「はなして!」

 

 それくらい近くになって、ようやくブロドはこの女が母親であることを思い出した。

 前に会った時がいつだったか思い出せない時間が経っていて、その時はもう少し健康的な見た目をしていたから、すぐにはわからなかった。

 

「二度と来てはダメよ! いいわね!」

「いたい! はなしてっ!」

「あなたが言いつけを守らないからでしょう! どうして親の言うことが聞けないの!」

「だってブロドといたいもん! なんでブロドだけひとりなの! いっしょがいい!」

 

 必死にそう言うチャスが、掴まれていない反対の腕をブロドへ伸ばした。思わずブロドは立ち上がって駆け出した。

 

 チャスが、泣きながらブロドを見てる。こちらへ向かって差し出される手のひらを目指して、迷いなく手を伸ばす。

 

――パン! と鋭い音。

 

 同時に感じたのは、腕を叩かれた痛み。

 

 その勢いでバランスを崩し、その場に顔面から倒れこんだ。

 

「う……っ」

 

 何が起こったかわからなくても、ただチャスの手を掴まなきゃと思い顔を上げる。

 だがそこにはチャスの手はなく、鬼の形相をした母親がいた。

 

「触るな!」

「ママ! やめて!」

「私たちに近づかないで! お前なんか捨てるつもりだったのに、存在が知られているから仕方なく置いてやってるだけなのよ! この身の程知らずが!」

 

 幼いブロドには、何を言われているか理解ができなかった。

 でも唯一はっきりしているのは、チャスの手を取ろうとしたら母親に叩かれるくらい、心底嫌われているということだった。

 

 チャスが大声で泣くが、それに構わず母親がチャスを引っ張りながら部屋を出て行く。

 

 床に倒れたままブロドは涙すら出なかった。

 扉が閉められるその瞬間まで、チャスが必死に手を伸ばしてブロドの名を呼んでいた。

 

 怒りのまま大きな音を発てて閉められた扉の向こうで、チャスが泣いているのが聞こえる。その合間に、狂ったように「あれは弟なんかじゃないのよ!」と何度も何度も叫ぶ母親の声が聞こえた。

 

 ブロドは、暗くなった部屋にまた一人だった。

 

 気づけば窓の外は闇に変わっていた。扉の閉められた部屋の中は、外から入っていたわずかな光さえも失って暗い。

 

 涙はやっぱり出なかった。

 

 これが異常な家だと知ったのは、メズに拾われた後のことだ。

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