第19話 招かれざる客

 チャスが丸一週間帰らぬまま、翌週になってブロドはクーの執務室を訪ねた。

 あの日から帰りを待っていたのだが、思った以上に長い時間が経ってしまい流石に心配になってきたところだ。

 チャスは十分に強いし、お金も持っているから宿にも泊まれる。大丈夫だとはわかっているのだが、それでも心配なものは心配だ。


 変に探してまた機嫌を損ねてもよくないし、放っておくのが一番だと思って今日まで待っていたのだが。


「……よう」


 ブロドが執務室を開けながら、気のない挨拶になってしまうのも仕方がない。


「いらっしゃー……?」


 クーの言葉が途中で切れた。いつもブロドとやって来る片割れの姿が無く、当然首を傾げる。


「まさか、まだ帰って来てない?」

「そのまさかだよ」


 ブロドだって、こんなに家出が続くと思っていなかった。想像以上の長期戦に落ち込んでいる。

 ロビルスとサリナの件があったから、すぐにでも仲直りする心づもりなのだが、肝心のチャスが帰ってこない。手も足も出ないままクーの所へと来る日になってしまっていた。


「ちょっと長過ぎるんじゃない?」

「だよな……」


 明らかにブロドの元気がない。だからだろうか、クーは心配そうに話を聞いてくれる。


「どうせ探しに行ってないんだろ。そろそろどこか思い当たる所にでも行ってみたら?」

「それが、今日ここに来るまでに行ってきたんだよ」


 一週間になる今日を境目にしようと、ブロドは既にチャスが行きそうな場所を探してきた。

 といっても、王都は広い。

 とりあえず生活圏はブロドと会う可能性があるから選ばないだろうと踏んで、たまにしか行かないエリアを見てきた。人が少なく一人になれそうな場所だと沿岸だと思うのだが、チャスが行ったことのある沿岸部の道は全て通ったけどいなかった。


 その話をざっくりクーに説明する。他に可能性のある場所を、クーもいくつか列挙してくれるが、どれもピンと来ない。


「そもそも、君たちがこの国に来て一年も経ってないんだ。これ以上思い当たる場所が無いなら、行ったことない所を選んでるってことは?」

「ありえなくはないが、それだと探しようがない」

「それもそうだね。あとは、宿屋を回ってみる、とか?」


 王都なだけあって宿屋は多い。客層によって質は様々だが、チャスの泊まりそうな金額の宿だと、結構な数になる。

 先は長いが、他に宛が無いのでしらみつぶしにでも尋ねるしかないのかもしれない。


「何でこうなったんだ……」

「あれは不可抗力だよ。何かあっても嫌だし、憲兵の通報記録でも聞いてくるよ。一応まだ成人してないから、チャスの特徴に一致する子の話が入って来ててもおかしくない」


 ため息をつくブロドを見てか、クーが非常に協力的だ。

 普段のブロドなら強がるところなのだが、ここは素直に甘えよう。チャスに何かあったら、たまったもんじゃない。


「頼む」

「お、素直だね。まぁ念のためね。大丈夫だろうけどさ」

「ああ」


 クーは席を立って、さっそく扉へと向かう。


「少し待ってて。今日はメモリアも無いから手持ち無沙汰かもしれないけど」

「いや、いいよ。待ってる」


 本来なら何かメモリアについての聞き取りでもする予定だったはずだ。それを後回しにして、チャスのことを優先してくれた。

 それだけで、と思うかもしれないが、それでも今日ばかりはクーが頼りに見える。

 クーが扉を開けた。


「お、っと」

「クー! いてくれてよかった!」


 けれどそこには、ちょうど扉を叩こうとしていたサラがいた。慌てた様子で、いつも冷静なサラらしくない。


「何かあった? 緊急の通報でも?」


 ちょうど今しがた、チャスについて通報があるかもしれないと話していたので、タイミングが良いんだか悪いんだか。

 不安がわずかに増す中、サラが首を横に振った。


「ううん、変な客が来てるのよ」

「変な客?」

「そう、あなたに」

「俺?」


 サラは、訝しむように廊下の先へと視線をやる。


「ほら、声が聞こえるでしょ?」


 言われてみれば、廊下の先から複数の男の声が聞こえる。言い争うような、押し問答しているような、そんな感じだ。


 気になってクーの下からブロドも覗いてその声を追うが、こんな来客は初めてのことだ。そもそも、クーの執務室がある階ではクーとサラ以外の関係者に会ったことすら無かったのに。


「とにかく、あなたが出て行った方が早いわ」

「わかったよ。で、誰なのそいつ」

「知らないわ。今までここに来たことないと思う。ただ――」

「ただ?」


 サラが眉を顰めた。


「その人、メモリアを持ってるの。クーに会わせろって指名付きで」


 新たな不穏の予感がした。


   *


 とりあえず応接室に押し込んだから、とサラの後にやって来た同僚に言われて、クーは応接室へと入った。


 そこには、暗い茶髪を肩まで伸ばし、前髪から横髪を後ろでまとめる男が立っていた。手足が長く、高身長のクーよりも背が高い。体つきもがっしりと大きく、一目で軍人並みに鍛えているのがわかった。

 身なりは動きやすそうな軽装にブーツだが、服も身綺麗で靴も擦り切れていない。普通の庶民とは違うのは明らかだった。


「ご指名って聞いたんだけど」

「お前がクーか」


 こんな奴、一度でも会ったら絶対に覚えている。

 憲兵庁舎だっていうのに怯むことがなく、初対面にしてはなかなかの失礼さだ。


 クーは相手の黒に近い茶色の瞳を見上げた。整ったアーモンドアイが、謎めいた雰囲気を作っている。


「いきなり失礼だね。はじめましてだろ」

「挨拶してる暇は無いんでね」

「でも名乗るくらいは必要じゃない?」


 それには男は頷いて、持っていた小瓶をクーへ投げた。


「それは確かに教える必要があるな。そのメモリアをやるから、俺の名前を出して連れてきてほしい奴がいる」

「何その取引。っていうかどこで俺がメモリアを集めてるってバレてるわけ?」


 いきなりメモリアを持ってきてクーを名指しできるということは、この男は知っているのだ。クーという人物が、メモリアについて調べているということを。


 基本的に特殊憲兵という立場上、外では肩書を名乗らない。

 都の至る所へ行くので、知り合いは多く、顔も広い自覚はあるが、庁舎に訪ねてくるということは正体がどこかから漏れている。任務上、あまり喜ばしくない事態だった。


「こっちも色々情報網があるんだ。それよりもどうだ、そのメモリアと引き換えで、人一人くらい連れてきてもらえるか」

「……嫌だって言ったら?」


 こんな怪しい取引、そう簡単に乗れるわけがない。

 メモリアという材料は確かにクーには有効だが、メモリアを持っているなら社会を乱している側の人間と考えるのが普通だ。ただの売人か、それともコーリット侯爵の件で可能性が浮上した、ブロドとチャス以外のメモリアを作れる人間か。

 いずれにせよ詳しく話を聞きたい相手だ。


「なら、追加で何本あればいい?」


 続いてきたその答えに、クーは警戒心を隠すのをやめた。


「……何本までなら、用意できるんだ?」


 すると男は、初めて無表情から表情が変わる。明らかな嘲笑に、嫌な予感がする。


「お望みの本数を用意してやる。50か? 100か?」

「!」


 クーは、帯刀していた剣を抜いた。

 間合いを二歩で詰め、臨戦態勢になっていない男を目掛けて振り下ろす。

 このスピードでは、うまく力の加減ができない。けれど逃がしてはいけないという一心で、遠慮なく肩を狙う。傷を負わせてでも、捕らえた方がいい相手に違いなかった。


――ひゅん、と風が切られる。


 一瞬の隙で確実に入った刃。


 けれど、人間の肉を切る感覚が来ない。

 クーは驚いて切っ先を見つめていた。


 これを逃れられる奴は、この庁舎の中には少なくともいない。


「おいおい、危ねぇな」


 男は、右肩の上であとわずかに迫る剣先を、左手で掴まえていた。

 手袋を嵌めているが、速さも力の強さも、クーはほとんど手加減していなかった。本気で切るつもりで下ろした剣を止められた。


 それでもクーの力の方が上であれば、勢いで手くらいは傷つけるはずだ。なのに左腕の力だけで、振り下ろす剣の勢いすら殺されている。


「はじめましてって言ったのはお前だろ。こんな挨拶があるか」

「お前は、一体――」

「俺は取引のつもりで来てる。戦う気は無いんだ」


 男は大したことないかのように、クーの剣の刃を振り払うためにそのまま薙ぎった。

 驚きの余り力が抜けていたクーは、されるがまま、切っ先を床に向けてしまう。その軌道で、クーの左側にあった花瓶が割れた。

 がしゃんという割れる音が部屋に響く中、男は振るわれた剣に見向きもせずに取引の条件をまた訊いた。


「で、何本あれば言うことを聞いてくれるんだ?」

「……それはつまり、何本でも、用意できるってことか?」

「まぁそういうことだ。でもお前、メモリアを元の持ち主に返すんだって? お前が欲しいって言った数をるんだから、返すことを考えたらあんまり望まない方が手間が少ねぇぞ」


 信じられないことを、男はこれまで通りに抑揚の無く言う。何の感慨も無く言われたそれに、クーはますます目を見開いた。


「記憶を、奪えるのか……?」

「ああ。だから望む数をさっさと教えろ。こっちは急いでるんだ」


 クーの言う数のメモリアをこの男が持ってくるということは、つまりその分だけ記憶を奪ってくるということになる。


 双子と同じ、力の持ち主。

 可能性はずっとあったが、それでもいざ目の前にこうして現れると驚きを隠せなかった。


「お前の、望みは何だ?」


 クーの任務は、既に出回っているメモリアをなるべく回収し、それを元の持ち主に返すこと。

 新たなメモリアを作られて持ってこられても、何の意味も無い。


 ようやく取引の会話にクーが乗ってきて、男は「よし」と頷いた。


「簡単だ。今からブロドをここに連れて来い」

「は?」


 思わず素っ頓狂な声を上げた。

 同じ能力を持つ者同士、存在を知っていても不思議ではないが、何故わざわざクーに連れて来させるんだ。

 理解できないと顔に書かれているクーを見て、男は面倒そうに頭を掻いた。


「そんな驚くことねぇだろ。家に行ったらいなくて、お前んとこで働いてるらしいって聞いたから来たのによ」

「いや、そうだけど、でも――」

「つべこべ言わず連れて来い。急いでるから、わざわざここに来て取引しようって言ってんだ。あいつだって俺の名前出せば絶対来るから」

「名前を出せば?」


 普通、力を持つ相手は警戒して出てこないのでは。名前出せば来るってことは、ブロドもこの男のことを知っているということか?


 思ってもみないことが連続して起こっていて、流石のクーも情報過多だった。


「状況がよくわからないんだけど。ブロドと知り合い?」

「あ? ああ、そっからか。そうだよ。俺の名前はテ――」

「――え?」


 その割って入った声に、二人同時に入り口を振り返った。

 クーは入ってきた時に扉を閉めていなかった。開け放たれたそこには、ブロドが驚愕の表情を浮かべて立っていた。


「ブロド、ここに来るな!」クーは慌ててブロドを下がらせようとする。「こいつは、君を狙ってるかもしれ――」

「テイト……? 何で、ここに……」


 呟いたそれを聞いて、やはり二人は知り合いなのだと悟る。

 何をされるかわかったもんじゃない。


 とにかく、ブロドを一旦退かせて――。そう、クーがブロドの方へと行く前に。


「おう、ブロド。元気か」


 テイトが親し気に微笑んでブロドへとそう言った。


「え?」


 想像とは違う、二人の間を流れる空気。またもや何が起こっているのか理解ができていないクーは、戸惑って二人を見比べる。


「え、待って。どういうこと?」


 それをよそに、テイトは困ったように腕を組む。


「残念だが、ゆっくり話してる暇は無いんだ。一緒に、屋敷へ来てほしい」

「屋敷?」

「ああ」


 クーの質問には二人とも答えてくれず、勝手に話が進んでいく。

 ブロドは未だに驚きつつも、首を捻る。


「いいけど、何で今更……?」

「……チャスが、メズに会いに来た」


 少しだけ言い淀むテイトに、ブロドはまた疑問を覚えた。


 無論、戻って来るなとテイトに言われていた古巣に帰ったのは不自然だ。チャスらしくない行動だが、それでも元々住んでいた家であり、育ててくれた家族同然の人を訪ねるだけのこと。それだけ聞くと大きな違和感は無かった。


「少しくらい里帰りしてるって感じだろ。どうしてオレまで」


 今はチャスが家出中だと知れば、テイトだって腑に落ちるはずだ。戻るなと言われていたが、このくらいなら許してやってほしい。


 それに、チャスの居所がわかったのだ。どこにいるかやきもきするよりも、よく知った古巣に身を寄せているというのならむしろ安心だった。

 けれどテイトは、それにとても気まずそうな表情をする。


「そういうわけじゃない」言葉を慎重に選ぶように続けた。「メズの具合がかなり悪く、それにつられるようにどんどん力を失いかけてる。それに焦ったカイが言い出したんだ」


 ブロドはこの一週間、ただただ考えていた。

 チャスは強いし、一人でどこへ行っても大丈夫だと。干渉し過ぎてまた喧嘩するくらいなら、少しくらい長い家出があったっていいだろうと。


「出て行ったお前たち二人から力を戻せば、メズの力も体も回復できるだろう、と。でもメズの具合を見ていると、力と体は連動する可能性が高い」


 それなのに、現実はずっと厳しく、ブロドの前に立ちはだかるのだ。


「――チャスの命が、危ないかもしれない」

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