第17話 兄妹の記憶③

 一通りクーは騒いだ後、ロビルスに用があると伝えると、まだ本格的に忙しくなる前の時間帯だからと親父さんも同席を許してくれた。散々迷惑かけるなと拳骨で苦しむ息子に言い残し、彼は厨房へ戻っていった。


 頭をさすりながら、クーとブロドの席に、ロビルスは改めて着席した。


「それで、用って?」


 ただの客からこんな風に呼ばれることなんてないのだろう。珍しそうに首を傾げた。


「この前、サリナと大喧嘩して落ち込んでたろ。仲直りはした?」

「ああ、それなら」ロビルスは、カウンターで客と笑っている妹を見た。「仕事中なら、話してくれる」

「……仲直りしてないってことだね」


 ズバリ指摘されると、ロビルスはがっくりと項垂れた。「そうなんだよなぁああ」と嘆く姿を見ると、頭が上がらないのか。


「でもさ、それって原因は君が大切な約束を忘れたから、サリナが怒ったんでしょ」


 そうクーが促すと、ロビルスは事情を知らないブロドにも事の経緯を教えてくれた。


「実な、サリナが来月嫁に出るんだよ。それで、その時までに俺が約束した特別なプレゼントを渡すってことになってるんだけど」

「特別な……」ブロドは、ロビルスの原料で、思い当たることがあった。「……花畑」


  思わず呟いてしまったその言葉に、ロビルスが反応した。がっしりと両肩を掴んで、せっかく離れていたのに、グッと顔を近づけられる。


「そ、それだ! それ、サリナも言ってたんだ!」


 ガンガンと揺らされる頭。目が回って呻き声が出るが、ロビルスは止めてくれない。見かねたクーが「まあまあ」とロビルスの腕を止める。


「あっ、ごめん!」

「う……、いや、まぁ、大丈夫、だけど……」


 全く悪気がなくて、本当にただ熱くなりやすいタイプなのだろう。クーに負けないくらい距離が近いが、あまりにも純粋過ぎて怒るに怒れない。

 ブロドから手を離し、ロビルスはまた喧嘩のことを思い出したのか眉を下げた。


「今回ばかりは何度謝っても許してくれなくて。仲直りできないまま嫁に行かれたら、俺、死んでしまう……」


 これは、まごうことなき妹大好きシスコン

 ブロドがクーを見ると、憐れみの視線を送られた。


(いや、憐れまれるのはオレじゃねぇ……!)


 とはいえ、この様子だと一番幸せな記憶がサリナとのことだったのも納得だ。ブロドはため息をついて、メモリアを取り出しロビルスに渡した。


「飲め」

「えっ」

「約束が思い出せる薬だ」


 説明できることとできないことがあって、それを考えることすら面倒になってメモリアを握らせる。喧嘩の原因が見たことのない花の件なら、間違いなくこの記憶を失っているからだ。


 ロビルスは、訳もわからないままに握らされた小瓶に、ミラードの時と同じように息を呑んだ。

 目の色が変わる。その小瓶しか目に入っていないくらい、釘付けになる。


「ロビルス」


 クーが読んでも、反応はない。もう一度、今度は肩を叩きながら声をかけた。


「ロビルス」

「! あ、ああ……」

「それ、飲みたいと思うかい?」

「え」

「直感でいい。それを今すぐにでも、飲んでみたいと思うか?」


 その声色は真剣そのもので、普段のクーの軽い調子でしか接したことのない人間からすれば、驚くくらい真面目なものだった。

 それに気圧されながらも、ロビルスはまた小瓶を見て、それから、恐ろしいことを口にするかのように頷く。


「飲み、たい。でも、この気持ちは何だ……? こんな感情に駆られたことがなくて、怖い」


 喉から、手が出るほど欲しい。その感情を覚えるのなら、間違いなくロビルス自身の記憶メモリアなのだ。


「自然の摂理なんだよ。それはロビルスの薬だから、飲んでいいんだ」


 そしてそれが、記憶を取り戻す唯一の手段。

 最後の一押しを受け、ロビルスは小瓶の蓋を取った。目を閉じて、苦いものを一息に飲み干すように、記憶を喉へと流し込んだ。


   *


「お待たせしましたー! ついでにうちの兄が……あれ?」


 ロビルスがメモリアを飲み、その場で突っ伏して寝ていると、サリナが料理を持ってやって来た。

 サリナとも顔見知りらしいクーは、やぁと手を上げる。なんてことないかのように、笑う。


「ちょっと寝ちゃったみたいなんだよね」

「はぁああ?!」


 嘘ではないが、省略し過ぎた説明に、サリナは目を剥いた。

 新顔のブロドがいるのも忘れて、料理を置いてから、兄を揺さぶる。


「ちょっとお兄ちゃん! ありえないでしょ、客席で寝るとか! ほら起きて! お父さんに知られたら拳骨じゃすまないから!」


 メモリアを飲んで寝ている人を強制的に起こそうとするとどうなるのか。

 今までそれは見たことなくて、興味本位でサリナを止めずに見ていたが、ロビルスはぴくりとも反応しなかった。


「これは起きない、かな?」

「に、見えるな」

「ふむ、なるほどね。すぐに寝落ちて、しかもこう起きないとなると、催眠の作用もやはりかなり強いな」

「まぁ、目が覚めたまま体感したら混乱するしな、普通」

「何の話してるの! ねぇ、お兄ちゃん起きないんだけど」


 ロビルスを被験者として観察していた二人に、サリナが困った声を上げる。


 確かにこんなに揺さぶって起きないとなると、心配にもなるだろう。見慣れているから何も覚えなくなっていたが、訳もわからないサリナにとっては可哀そうな話だ。


「ごめんごめん、違うんだ。ちょっと薬を飲ませたんだよ」

「薬?」

「そう。別に危ないものじゃないんだけど、ちょっと眠りこけるんだよ。大丈夫、すぐ目を覚ますから」

「本当でしょうね……」


 サリナは腕を組んで疑いの眼差しをクーへ向けた。絶対に普段の行いで信用されていないそれに、それでいいのかと突っ込みたくなる。とはいえ優先順位が違うのでいったん流してしまおう。ブロドは何も見なかったことにする。

 けれどこれに関しては嘘を言っていないので、ブロドは「本当だぞ」と付け足しながら疑問を投げかける。


「なんでロビルスを許してやんないんだ? そんなに花が見たいのか?」

「え? お兄ちゃん、その話したの?」

「ちらっとだけど」


 少しの間驚きの表情を見せていたサリナだが、眠る兄を見て、肩を落として呟いた。


「……別に、花の方はいいのよ、もう」


 その声には、寂しさと諦めが滲んでいた。

 花畑にあるという誰も見たことのない花。記憶の中で、ロビルスがサリナの興味を引くために始めた話。

 ロビルスの、最も幸せな記憶。


 諦めを含んだその声で、サリナは過去の話をする。


「私は、母親の連れ子としてこの家に来たの。4歳の時だった」


 窓からカウンターにいる母親を見た。皿を洗いながら、客と話をしている。


「小さかったからあんまり覚えてないけど、知らない家に来て、すごく心細かったの。母も店のことを覚えようと必死だったし、寂しかった」


 ブロドは、自分の過去を考えた。親が見てくれないというのは、悲しくて、不安で、そして寂しかった。境遇は違えど、得る感情は同じだった。


「でも、お兄ちゃんはずっと私のこと気にかけてくれてて、小さかった私の面倒はほとんどお兄ちゃんがみてくれた」

「ロビルスが、子供の面倒……」

「ふふ、そうなの。こんな見た目なのに、おかしいでしょ」サリナは当時を思い出して微笑んだ。「でもすっごく優しくて、必死になって私を守ろうとしてくれてるのはわかってた。それが、嬉しかったんだ」


 そうやって、年月を重ねて、サリナも大人になった。

 眠るロビルスを見つめるサリナの目には、確かな信頼と愛が映っている。血が繋がっていなくても、二人は間違いなく兄妹になっていた。


「私ね、結婚するの。お兄ちゃんも祝福してくれてる。けど……」

「けど?」


 言い淀んだサリナに、自然と口が続きを促す。


 ブロドは、どうしてだかこの兄妹のことをもっと知りたいと思った。

 こんな風に互いを思いやる気持ちが、とてもよくわかるからだろうか。


「私が結婚するまでに、あの約束の花は見せてくれなかったねって言ったの。人に知られていないお花畑に咲いている、見たことのない花の約束。私を泣き止ませるために教えてくれた、とびっきりの秘密の約束」

(ああ――)


 その光景が、目に浮かぶ。

 サリナは大切な、でも今まで果たされていなかった約束を口にしたのだ。「あの約束の花は見せてくれたなかったね」、そこにはきっと責める気持ちは微塵もなかったんだろう。単に、過去の思い出を、懐かしい記憶を話しただけ。

 でもロビルスは、ブロドが見た記憶をそのまま無くしていた。だとすると。


「……でも、そんなの覚えてないって言ったの」


 そう。

 そうなるのだ。


 サリナは悲しそうに俯いた。信頼していた兄が、最初にしてくれた約束。小さかったけど、忘れられないくらい大切な約束だったはずだ。


「その花の話が嘘だったら、それでいい。子供を泣き止ませるためについた嘘だったとしても怒らない。でも……」


 でも、ロビルスは忘れていた。

 それが、サリナをどんなに傷つけたか。

 ブロドは拳を握りしめた。


「……」


 謝りかけたその言葉を飲み込む。メモリアのことは話せない。こんな突拍子もない話、してもきっと伝わらない。


 でももし、チャスがロビルスの記憶を奪ったのだとしたら?

 チャスを責めたい気もするし、慰めたい気もする。相反する気持ちを持つのは、きっと相手がチャスだからだ。


 自然と下がっていた視線を、ブロドはどうにか上げた。

 ブロドにとって、ただ一人の本当の家族。そのチャスが、もし、もしもロビルスから記憶を奪っていたとしても、それは返せる。だから、まだ間に合う。


「大丈夫だ」

「え……?」

「起きれば、きっと――」


 そこまで言ったとき、ロビルスの体が少しだけ動いた。

 ブロドとクーとサリナはそれに一瞬驚いてから、今見たものを確かめるためにロビルスを見つめた。その熊のような体は、ゆっくりの間を置いて、軽く呻くと。


「……あ」


 目を覚ましたのだった。

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