第16話 兄妹の記憶②

 話が違う。


 クーは、チャスが近くで記憶を奪った可能性があるならすぐに返せるから、と言って原料ラベルを読ませたのに。


 寄り道ひとつせず、クーは件の飯屋へとブロドを連れてやって来た。


 港側の大通りの裏手に広がる飲み屋街に、その店はあった。

 瀟洒とは程遠い、地元の働く男たちの溜まり場といった風情のそこは、昔からこの辺りにはある店のひとつらしい。

 二階建ての建物の一階を店として開放していて、正面奥にカウンター、店内と、店の前にテーブル席がいくつか。典型的なバルだった。入り口の横には木樽と、営業中の札が立てられていた。


「邪魔するよー」


 日が暮れたばかりだというのに、既に席はほとんど埋まっている。カウンターを陣取り陽気に騒ぐ男たちはどう見ても常連なのに、クーはその中に割って入り、慣れたようにジョッキを二つもらう。


「はい」


 店の外の席で、先に座っていたブロドの元にクーが戻ってきて、テーブルの上に樽ジョッキを二つ置いた。

 こういうところでは普通は酒を頼むはずだが、ブロドはともかく、クーの方にも炭酸水が入っていた。けれどブロドがそんなことを指摘するはずもなく、無言で炭酸を飲む。


「食事は後で持ってきてくれるって」

「まだ開店したばっかみたいだけど、忙しそうだな」

「馴染み客が多い店だからね。まぁ、用がある息子に食事を持ってくるよう頼んでおいたから」


 クーもジョッキを口に運ぶ。夜だっていうのに少し汗ばむようになってきたこの季節に、炭酸はより美味く感じた。


「その息子っていうのが、リストにあるのか?」


 記憶の中に出てきた義妹の年齢差と名前がわかれば、覚えていればすぐに思い当たる人物だったのだろう。

 ブロドの仕事はあくまでメモリアの原料読みで、持ち主の特定はクーの仕事だ。そのクーがここだというのだから、ブロドがどうこう言えることではないけれど。


「いや、リストには載ってないはずだ。申告するようには勧めたんだけど」テーブルに頬杖をつきながらクーは答えた。「俺もよく来る店で、雑談してたらおそらくそうだろうなと思ったから覚えてたんだよ」


 開け放たれた窓から、カウンターの方へとクーが視線を促した。

 そこには、くすんだ金髪を頭の後ろでまとめた若い女が笑いながら酒を注いでいた。


「彼女がサリナ」


 特別美人というよりは、愛嬌のある可愛らしい感じだった。もう少女ではなく女性という見た目だが、ころころと表情が変わるのを見てると、記憶の中の幼い女の子と重なる部分がある。

 これは、当たりだ。


「で、隣で鍋を振ってるのがここのおかみさん」


 カウンターの中でサリナと並んで立つ少し太り気味の同じく金髪の女性。母親というだけあって、中年にはなっているのだろうが、メモリアの持ち主である息子の年齢を考えると少し若過ぎる。


「後妻なんだよ。親父さんが前の奥さんとは死別して、隣町で同じく夫に先立たれたおかみさんと再婚したんだって」

「なるほど」


 当たりなのだから当然なのだが、こうもぴったりと一致する現実を見ると、メモリアというのは本当に誰かの記憶だったのだという実感が湧いてくる。

 ブロドとチャスが奪ってきた記憶たち。それら全ての持ち主に、同じように大事な誰かがいて、そしてその誰かとの幸せな記憶だったのだ。だから、あんなにも幸福の味がする。


「お待ちどうさまー!」


 ブロドとクーの間に割って入るように、盆が置かれた。

 少々繊細さに欠けるその行動に驚いて声の主を見れば、熊のような大柄の男がいた。

 体の大きさとは一致しない童顔のせいで非常にギャップのある顔つきだ。くるりとした黒い瞳が可愛らしいというか。

 その男が、人の好さそうな笑みを見せて、クーの肩を叩いた。


「俺をご指名っていうから、誰かと思えばクーじゃないか! どうしたんだよ!」

「相変わらず力加減が下手だね、ロビルス」


 クーが苦笑しつつも、親し気な挨拶を交わす。ブロドに向かって、「これが一応跡継ぎ息子のロビルス」と教えてくれる。なんとも雑な紹介である。


「一応って何だよ」

「だって親父さんみたいなしっかりさが無いというかさぁ」

「親父が口うるさ過ぎるだけだろ!」


 確かに、よく来る店というだけあって、仲も良さそうだ。

 クーは、今度はブロドの方を指さして「で、これブロドね」というまたもや雑に紹介をした。でって何だ。でって。


「おう、よろしくな。何歳だ? サリナより年下だよな?」

「……15」

「へぇ! じゃああいつが3つ上だな」


 ……いや、近い。

 気づいたらクーのようにぽんぽんと肩を叩かれて、そしてその力がそこそこ強い。

 記憶の中で、サリナを抱きしめなくて正解だったかもしれない。もし抱きしめでもしていたら更に泣かせていた。

 これ以上親し気にされても反応に困るので、距離を取るためにブロドは身を引きつつ、「はぁ」と相槌とも言えない相槌を打つ。


「クーがサラ以外を連れてくるなんて珍しいな」


 テーブルにもうひとつ空いていた椅子に、何の断りもなく腰かけて、持ってきた料理を勧めながらロビルスは尋ねた。

 この何とも言えぬ距離の詰め方。なるほど、力も強いしさながら悪意を持たないクーというところか。


 けれど持ってきた料理は、ジャガイモと細かく切った肉をハーブで炒めたもののようで、とても美味しそうな匂いだった。ブロドはフォークを突きさして、さっそく口へ運ぶ。


「うま……」


 塩加減が絶妙で、ハーブとよく調和している。

 思わず呟けば、ロビルスは歯を見せてにかっと笑う。心底誇らしそうだった。


「美味いだろ~! 料理は主に親父の担当なんだ。爺さんの頃から引き継いだ懐かしい味っていうかさ」

「へぇ」


 ブロドはこの国の出身ではないが、確かに凝っていないこういう料理は、家庭の味というやつだろう。

 にこにこ笑いながら、ロビルスは近くにあったメニュー表を指さしていくつかお勧めを教えてくれる。


「他にもあそこに無いメニューもあって。例えば今日は市場で良いムール貝があったから米と炊いてて――」

「おいロビルス! お前はまた客席に座って!」


 楽しそうに話していたロビルスの後ろから、ぬっと拳が現れたかと思うと、ごんっと重い音がしてリビルスは直後、頭を抱えてうずくまった。


(うげ、痛そ……)


 これは見事な拳骨だ。

 ロビルスは両手で頭を抱えて震えていた。たぶんあれは、痛過ぎてしばらく何も言えまい。


「ったく、お前は! 料理持ってったっきり戻ってこねぇから様子見に来てみれば、何度やるなって言えばわかるんだ?」


 その後ろでは、力拳を作ったまま呆れた表情のこれまたかなりの大柄の男がいた。

 ロビルスと違って、口ひげと顎ひげを蓄え、目元には皺が目立つ厳めしい顔つきだった。体格からしてどう見ても親子だが、ロビルスはきっと母親似なのであろう。


「親父さん……。流石に痛いよ、今のは」


 クーが父親の方を見て、同情の声を上げた。親父はクーを見て困ったように眉尻を下げた。少しだけ、強面が和らぐ。


「クーだったか。見知った顔で良かったぜ。すまねぇな、うちのがいきなり迷惑なことしてよ」

「いや、俺は別に気にしないって」


 あまりにも自然に座ってきたから常習なのだろうが、その度にこうやって拳骨を喰らうのだろうか。ブロドは呆れと哀れみを同時に抱いて、未だに動けないロビルスを見てしまう。


「この坊主は新顔だな。連れとは珍しいじゃねぇか」

「まぁ、色々あってね」

「まだ働く歳じゃねぇだろ。もしかして弟か?」

「いや違うって」


 クーは普通に笑って会話をしているが、ブロドは表情と動きが止まった。


(お、弟…………)


 ものすごく嫌だ。

 よりによってこれが兄だなんて、想像でも嫌だ……。

 もっと全力で否定してほしいのだが、クーはヘラヘラして通常運転だ。ブロドは我に返った瞬間、クーを恨みがましく睨む。


「というか親父さん、俺の弟なら計算がおかしくなるよ」

「ん? そうだったか? お前いくつだっけか、クー」

「えーっと、……37」

「ああ、じゃあ息子か!」


 やめてくれ。

 ブロドはついに耐えきれなくて、席を立った。自分の目が死んでいるのがわかる。

 クーを指して、思わず初対面の親父さんに向かって力いっぱい叫ぶ。


「冗談でもこの人の子供は無理!」

「なんだ、違うのか」

「えー。そんなこと言わずに、冗談くらい許してよ」


 冗談くらいってなんだ。というか、ここに来た目的を完全に忘れてやしないか、この男は。


「お前ほんっと、」

「まぁ、ということで子供の年齢でもおかしくないブロドくんでーす」

「ふざっけんなクー! そういうところが無理だっつってんだろがっ」


 悔しいが、結局クーのペースなのだ。

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