第15話 兄妹の記憶①
「――……ド」
「……」
「――ブロド!」
クーに肩を叩かれて、ブロドははっとした。
目の前には、誰もいない道。チャスの姿はとっくに無くなっていた。
「ブロド、しっかりしろ」
「クー……」
しっかりしろなんて、クーから言われる日が来るとは思わなかった。けれどおかげで、飛んでいたような意識が戻ってきた。
ブロドはゆっくりと空気を吐き出した。息をするのを、忘れていたみたいに固まっていた。
何が起こったのか、未だに頭が追い付いていない。
(……いや、違う)
今はクーが持つ小瓶。
チャスが持っていた見慣れたそれは、間違いなくメモリアだ。
何が起こったのかは、わかってはいるのだ。ただ、受け入れられていないだけで。
「チャスが……」
「何があったかは知らないけど、チャスがメモリアを持っていた。これは事実だ。まずは目の前にある事実を見ろ。考えるのはそれからだ」
「……」
チャスは奪ったと、そう言っていた。
それが本当であれば、約束を破って誰かの記憶を奪ったということだ。
ブロドとの約束を破るなんて。
良くも悪くも喧嘩は普通にする姉弟だ。でも、互いに互いしか頼れない唯一の肉親であり、メモリアについては収入源だったし大真面目な話だった。それを無下にするのは非常にチャスらしくない。
「落ち着いた?」
「……ああ」
本当はまだ動揺しているが、クーに訊かれるとどうしても強がってしまう。弱いところを見せられる相手は、チャスだけだった。
ブロドは不意に手に強制的に小瓶を握らされた。力の入らない手は易々とそれを許してしまう。理解が追い付かないまま、目の前に迫るクーを見上げた。
「それなら、このメモリアの
「は? 何――」
「チャスがこの近くにいる誰かから記憶を抜いたのなら、まだその辺にいるかもしれない。返すなら早いに越したことはないだろ」
「……」
でもきっと、何かがあったからチャスは記憶を抜いたのだ。それを知らずして、勝手に記憶を返すのはどうなのだ。
ブロドがそう口を開く前に、クーがぐいっと顔を近づける。
「とにかく読め。話はそれからだ」
「……」
男に顔を近づけられても嬉しくない。
ブロドは顎を下に向け、手の中の小瓶を見つめた。いつもと変わらない黄金。太陽を浴びている間は、より一層主張を強める輝く記憶。
目を、閉じた。
硝子の感触を、親指の腹で感じる。
同時に、意識を瞼の裏にある闇へと向ける――。
――暗闇。
何も見えないと思ったのは一瞬で、すぐに遠くから薄明るい光がやって来る。
徐々に徐々に近づいてくるその光に身を預けるように力を抜いて、そして――。
小さい女の子が、目の前に立っていた。
「うわぁあん……!」
5歳くらいだろうか。くすんだ金髪を肩で真っすぐに切っていて、お転婆盛りなのだろうが、立ったまま口を大きく開けて泣いていた。
「ああ、泣かないでサリナ」
しゃがんで、サリナに目線を合わせる。
泣きじゃくるこの子に、どう接するのが正解かわからない。
(と、とりあえず抱きしめるか?)
人のぬくもりは、子供を安心させられると聞いた。
小さすぎる肩に手を置く。
大柄の自分がこんな小さい子を抱きしめたりしたら、骨を折ってしまうんじゃないだろうか。そんな不安がよぎった一瞬で、サリナはますます瞳に涙を溜めていた。
「ひっく、うっ、う、わああああああん!」
「どっどどどうしたの! お、俺、何か嫌なことした!?」
「ぅえええんっ、ぐすっ」
「ご、ごめんごめん! まだよく知らないのに触られたら怖いよね! そうだよね!」
慌てて肩から手を離す。
それもそうだ。まだ、昨日初めましてなのに。知らない家に連れてこられて、知らない人に近づかれたら怖いは当たり前だ。
「ええっと、ならどうしたら……?」
正直、もうそろそろ大人になる年齢なのだが、この年になるまで小さい子とちゃんと接したことがなかった。どうしたらこのくらいの子が泣き止むのかわからない。
(泣いた原因を聞く? でもこのくらいってまだ自分の感情の表現すらできないし……)
正攻法が思いつかず、何もできない。
サリナの瞳からは涙がどんどん溢れてきていて、止まることを知らないようだった。
(っていうか、俺が怖いんじゃないか? 体もでかいし、熊みたいって言われるから小さい子からしたら大きいだけで怖いよな)
体格については自分ではどうにもできないので、とにもかくにもこの子に自分は怖くないことを知ってもらわなきゃいけない。とりあえず興味を持ってもらうことから始めることにする。
「えっと、あっ、ほら! サリナはお花が好きって言ってたよね?」
「ぐすっ……おはな……すき……」
「じゃあ、見たことのないお花を今度見せてあげるよ!」
「みたことない、おはな……?」
きょとんとしてそう言うサリナを見て、内心ほっとした。少しは、興味を引けたみたいだ。こうやって違うことに意識を向けさせれば、きっと泣き止んでくれるはずだ。
精一杯怖がらせないように、優しい声で話す。
「そう。この前、散歩で山の近くに行ったら、とても綺麗なお花畑を見つけてね。そこに、見たことのない花があったんだ」
「おはなばたけ……!」
「特別な行き方をしないと見つけられないような場所だから、きっとまだ誰も見つけてないよ。名前もない花だと思うんだ。今はもう枯れちゃったから、また咲いたら連れて行ってあげるよ。そしたら、サリナが名前をつけるといい」
サリナは、目を輝かせて「うん!」と答える。涙で濡れた瞳が、きらきらと光っていて、鼻水を垂らしているのに、とても可愛らしい。
思わず目を細めて、そのまま自然と頭を撫でていた。
「じゃ、兄ちゃんと約束だぞ」
「うん! 約束!」
そう言って、今度こそサリナは涙を飛ばして、笑顔を見せてくれた。
それがとても嬉しくて。
手を置いた頭はとても小さくて、手の中にすっぽり収まりそうなくらいだっていうのに、太陽に負けないくらいに温かかった。
義妹になったこの子を、ずっと守ってあげようと思った。
***
ブロドは、浮上する意識に任せて、目を開いた。相変わらず西日はそこにいるが、遠くの家に半分ほど沈んでいた。
庁舎の塀に体を預けていたクーが、ブロドに気づいて「どうだった?」と声をかけてくる。
「男の記憶だ。18歳になる直前くらいの記憶だと思う」
成人は18歳なので、もう少しで大人という表現をするなら、17歳の頃だろうか。ブロドは体感したばかりの記憶を思い返す。
「当時から大柄な体つき。それから、10歳以上年の離れた女の子が義妹にいる」
「義妹?」
「その子との、出会ったばかりの記憶だった。義妹の子はサリナと呼ばれていた。当時5歳前後」
「ということはおおよそ12歳の年の差……」
クーは顎に手をやり考え込んでいるようだが、ここは外だ。いつものように参照させるリストがクーの執務室にある以上、どのみち一度部屋へ戻ってから持ち主を探すしか方法がない。
(今ここで原料読まなくてよかったじゃねぇか……)
その事実に気づいて、少しだけ落ち込む。
すっかり動転していて、クーに言われるがまま原料を読んでしまった。記録もしていないし、口頭で伝えたこの情報を後で紙に残す必要もある。
「クー、戻るぞ」
この場にいても何もできることは無い。
チャスが立ち去ってしまったことは心の底から気がかりだし、どうしてこんなことをしたのか、今すぐにでも聞かせてほしい。
けれど、この場にあるメモリアを放り出しては、チャスの真意も探れない気がする。
チャスのことはもちろん心配だが、今追いかけてもおそらく状況が悪化するだけだ。あの様子だと、話をするにもまだ冷静さが足りないんだろう。チャスだけでなく、ブロドにもそれは言えることだった。
「いや、その必要は無いよ」
「でもリストが」
「義妹の名前、サリナって言ってたよね?」
クーは庁舎へ体を向けていたブロドを引き留めて、そう確認をする。
「ああ。間違いない」
その名前は何度も何度も呼んでいた。ブロドはしっかりと頷く。
クーは、得意気な笑みを浮かべた。
「なら、夕飯でも食べに行こうか」
「は?」
「持ち主は、俺のよく行く飯屋の跡取り息子だ」
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