第14話 西日の影

 3本の記憶を見るとなると、当然例の男の記憶も見るわけである。

 非常に嫌だったが、チャスにやらせるわけにいかないという一心でどうにか記録を終えた。


 ブロドは、恨みがましい視線でクーを睨みつけながら、記録した紙を執務机に叩きつけた。


「ほんっとにいつか刺してやるから覚悟しとけ」

「はいはい」


 当たり前のように真に受けないこの態度が、神経を逆撫でする。わかっていてもやめないのだから性質の悪い男だ。

 色んな意味で疲れ果てたブロドは、もはやクーを相手にする気力も残っていなかった。振り返って扉へと視線を向けた。


 先ほどからずっと気にかけてはいるのだが、扉の外に人の気配は感じない。やはりチャスは戻ってこなかった。


「チャスを待つ? どうする?」


 クーはそう言うが、待っていても戻ってくる保証もない。チャスが今晩家に帰らない可能性だってある。ブロドは首を横に振った。


「チャスはここへは来ない。帰る」

「そうか」


 じゃあ、と別れの挨拶もそこそこにブロドが扉へ行き、ノブに手をかけ廊下に出ようとしたところで、後ろにある気配にため息をつく。怒るのも疲れた。


「なんでついてくるんだ」

「え、一緒にチャスを探しに行こうかと」


 一体何を言っているんだ、こいつ。

 怒りを通り越して、胡乱な瞳で見上げれば、クーは真面目な顔で言う。


「だってもう夕方だよ。夜に女の子一人は危ないでしょ。二人の方が早く見つけられるって」

「……あのな。チャスはそんな弱くないだろ。襲われそうになったらむしろ襲い返して所持金奪うくらいだろ」

「えっ、君たちってば記憶だけじゃなくて金まで奪ってたの? 流石にメモリア以外の盗みについては俺の権限でどうにもできないんだけど」

「……」


 ブロドは相手にするのをやめて、出口に向かって歩を進めた。

 ついてきてほしくないのだが、追い返すのも時間の無駄だというのは流石にこの二カ月で学習した。


 建物を出て、まっすぐに庁舎の門へと向かう。いつもなら帰るブロドを気にも留めない門番が敬礼した。当然その相手は後ろにいる男だが。

 門を出て、すぐ左へ曲がる。


 左は西の方向で、ちょうど西日が差していた。夏が近づいた西日は差すような光で、目が眩む。反射的に目を細めて、右手を額にかざして日を閉じようとする強い陽を遮った。


 ゆらり、と庁舎の塀が終わる角で、影が揺れた。

 逆光で見づらいが、そこから現れたのは何も見紛うことはないチャスだった。


「チャス……」


 よかった。庁舎の近くにいた。

 ブロドは安堵の息を吐いた。

 チャスが部屋を出て行ってから三時間ほど経過している。メモリアは3本と多くなかったのだが、チャスのことで気が散っていたのに加え、例の嫌なメモリアもとあって、いつもよりだいぶ時間がかかってしまったのだ。


 遠目だが、彼女もブロドとクーに目線を向けている。おそらく、ブロドも帰るところだと気づいたのだろう。チャスは歩くのをやめ、その場に立っていた。


「ちゃんと帰って来たね」

「珍しく、な。じゃあチャス待ってるしホントに帰る」

「うん、お疲れ。また来週ね」


 手を振るクーを背中に、ブロドはチャスの元へと走り出す。


(何から言おう。気持ちわかるからっていうのも違うし、謝るのが先か? でも謝るのってオレじゃなくね?)


 ブロドはそう思って、ちょうどチャスとクーの真ん中くらいの距離まで来たところで、後ろを振り返った。そこにはまだ手を振っているクーがいて、その笑顔に忘れていた怒りが戻ってきた。


「おいクー! チャスに謝ってから帰れ!」

「ええ?」


 どう見ても綺麗なお別れの挨拶をしたところだったのに、というクーの呟きは聞こえないことにしよう。


「いいから!」


 チャスの溜飲を下げるには、たぶんこれが一番有効だ。


「俺だって悪くないんだけど」


 クーはそう言いながらも、言う通りにブロドの所へと歩いてきた。……いつもの速度はどこ行ったんだとくらいには遅いが、クーにしては素直な行動だ。少なからず悪いとは思っているのだろう。

 ブロドは、チャスへ視線を戻した。

 先ほどよりも近い距離になってやっと姉の顔が見え――。


「……?」


 何か、変だった。


 ブロドは目を凝らして、チャスを見る。

 確かにブロドの方へ目線は向いているのだが、どこかぼんやりとしている。

 後ろに夕日を背負って佇む彼女は、ここではない別の場所を見つめているようだ。


 気持ちが落ち着いたから戻ってきたのだと思っていたが違うのだろうか。未だに様子が変なチャスに近づこうとブロドは止めていた足を一歩踏み出した。


「チャ……」


 そこで、ブロドは気づいてしまった。

 無意識に息を飲む。

 音もなく喉が鳴った。


「……お前、何を持ってる……?」


 ブロドのその声は、震えを押さえつけたようだった。


 双眸はチャスの右手、その一点に注がれていた。――小瓶。


 手の内に収まってしまう大きさの見慣れた小瓶の中身は、当然のごとく透き通る黄金色で。

 西日を吸収して光る小瓶は、黄昏の色を放つ、いつもより鈍い赤い金色だった。


「なぁ……答えろよ……」


 ブロドは、目に映るその光景が信じられないでいた。

 夕暮れ時の道。曲がり角でぼんやりと立ちすくむチャス。その手の中の小瓶。ブロドに向けられた、けれどブロドを映していない亜麻色の瞳。

 何故、メモリアがその手の中にある?


「チャス。俺もブロドの質問に答えてほしいと思うよ」ブロドの少し後ろから声がした。「は何だ?」


 その声の色は今のブロドにはわからない。それくらい、動揺していた。


――あの祭りの夜、ミラードに記憶を返してクーと別れた後。確かに二人で話したのだ。もう、記憶を取るのはやめようと。

 二人とも見たミラードの記憶が、あまりにも美しくて。

 いくら望んでも手に入れられなかった、憧れていた親の愛を味わって。

 誰かから記憶を奪うということは、そういう唯一無二の感情までも奪ってしまうことと同義なのだと。

 見知った人の記憶を、気づかないうちにまた奪ってしまうことがないように。


(ああ、そうだ。ただ、拾っただけだ)


 ブロドは、そう結論づける。

 だってそうだ。チャスが、再びメモリアを奪うはずがない。だって、記憶を奪うことをやめようとチャス自身が確かに言ったのだから。

 彼女は自分の言ったことをそう簡単に曲げたりしない。ブロドと同じくらい、頑固なのだ。そう、だから。


 ゆらり、とまた影が揺れた。

 チャスがゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。

 ブロドと、それからクーの元へと一歩、また一歩と近づく。


「……チャス?」


 ブロドは、自分が思っているよりずっと情けない声で姉の名を呼んだ。

 チャスは数歩の距離のところで足を止めた。陰を拾う瞳が、今度こそはっきりとブロドへと視線を向けていた。

 焦点が合ったその目に、ほんの少しだけ胸をなでおろした。


「……その瓶、どうしたんだよ」


 何てことないことのように、「拾ったのよ」とチャスが答えるだろうと予想しながら。そしたら、そうだよなと答えられる。

 チャスは自身の右手を目の前へと持ってきた。握っていた小瓶の存在を思い出すかのようにじっと見つめる。


 そして。


「――奪ってやったのよ」


 無表情にも、哀愁とも取れる表情で。視線を小瓶からブロドへと移したチャスは、そう答えた。


「え……?」


 ブロドは、自分の聞き間違いかと疑って、そんなはずはないとすぐに思い直す。チャスの言葉を一言一句聞き逃すまいと、身構えていたのだ。聞き間違えるはずはない。


 奪ってやった。では、その言葉はそのままの意味だというのか?


「……何言って……?」


 また、声が震えそうになっていることに気づいた。


 チャスが……、チャスが奪った? 何を? 記憶を?

 ブロドの脳内に、ミラードとタータの姿が浮かぶ。いつも大口開けて笑っているミラードが、タータを抱きしめて見せた涙。「嬉しい」と泣いていた。


「冗談、だろ……?」


 ブロドの拳が握られる。チャスに、冗談だと笑い飛ばしてほしかった。


「冗談のつもりはないけど」


 チャスの顔が見えない。

 彼女が何を言っているのかはわかるのに、頭の中がうるさくて、考えるという行為が上手くできない。


「チャス!」

「何を怒鳴ってるの。真面目に答えてるでしょ」

「話したことと違う!」


 チャスはまた無言になる。

 ブロドは動揺している思考をどうにか押さえつけようと努力した。残っていた理性は姉の行動が奇妙だと警告を鳴らす。けれど、思考が纏まらない。ただただ、目の前の状況を受け入れられない。


「……チャス」

「何」

「とりあえず、それ、寄越せ」


 チャスは何か言いたそうに口ごもる。けれど結局、ブロドに持っていた小瓶を投げた。ブロドは受け取ったばかりのそれを、同じようにクーへと放る。

 クーが受け取ったかどうかは確認せずに、ブロドはチャスとの距離を一歩詰めた。


「何があったんだ?」


 チャスは答えない。その態度にやはり胸の内が騒ぐのを、努めて抑え込むように意識して、ブロドは続けた。


「お前が、理由も無くメモリアを奪うとは思えねぇ」

「…………」

「チャス」


 チャスは、耐えられなくなったようにブロドに背を向けた。ブロドは、チャスに近寄ろうと足を踏み出す。


「……来ないで」

「チャ、」

「来ないで!」


 鋭い静止の懇願に、ブロドは足を止めた。

 拳をきつく握りしめるチャスに、ブロドはどう声をかけていいのかわからない。何もできずにいると、震えた声が小さく聞こえた。


「……ごめん」


 チャスが少しだけ振り向いて、双子の視線が交わる。

 先程までの無表情が嘘だったかのように、チャスはとてもつらそうに眉を寄せていた。頭痛をかき消すように頭を振る。


「ごめんブロド、ごめんね。……それ、何とかして」


 そこまで言って、チャスは駆け出した。来た道を戻って、曲がり角で見えなくなる。

 ブロドは、動けなかった。

 西日が、ブロドとクーの影だけをその場に作っていた。

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