第11話 オークション③
チャスが疲れて抵抗が弱まると、遠くでイオルドが客に向かって何やら説明している声が聞こえた。
断片的に聞こえる内容からは、このオークションについては秘密にするよう、何度も念押ししているのがわかった。
(あー、どうしようかな)
煙のせいで、大声を出すことは止め、狭い視界でどうにかできないか見渡す。
ナイフもどこへ飛ばされたのかわからないし、煙と火が絨毯やクロスを巻き込んで大きくなってきている。
手首にも何か仕込んでおけば良かったのだが、その準備は間に合わなかった。
煙を吸って動けなくなるのがこの使用人たちが先か、チャスが先か。そんな賭けなど御免だった。
大人しくなったふりをして、押さえる腕の力が弱まるのを待つが、使用人二人が他の何にも目をくれずチャスを押さえることに集中していて全くその機会は訪れない。
(何なのよその仕事熱心っぷりは)
これでは埒が明かない。クーに言われた通り大人しく待つのが正解だったんだろうか?
けれどこんな騒ぎになるまで、クーどころかメッセージを残したブロドも来ない。
やはりああして騒ぎを起こさなければ、メモリアを売ってる証拠を押さえられなかったのだ。悔しいが、これはチャスの油断と体格差が顕著に出てしまったから。そういうことだ。
情けなくて、自己嫌悪に陥る。
(こんなんじゃ、ブロドを守れない)
大切な片割れを守るためだけに必死で技術を磨いてきたというのに。
久しぶりに味わう敗北の気持ちが、涙になって目頭へ集まる。悔しさと、不甲斐なさと、自分へ課していたものに応えられない弱さ。
(泣くなっ)
弱い姉なんて、一番嫌いな自分だ。
必死で涙をこらえて軽く息を吐きだす。冷静さを忘れてはいけない。煙が迫る中、押さえこむ力が緩むのを待って、反撃するしかない。
そうチャスが思っていた時。
「どけよ」
「ぐぇっ」
急に、足を押さえていた力が無くなった。そして、すぐに手の方も無くなる。
「チャス、大丈夫か」
この一年で、随分低くなった声。聞き間違えるはずのない弟のそれに、チャスは身を起こした。予想通り、不機嫌そうに、こちらに手を差し出すブロドがいた。
「ブロド……」
「立てるか? まだ蹴散らす元気は?」
外傷が少ないチャスを見て、そう問うてくれる。チャスは、その手を迷わず取る。
「ナイフ、もう一本ある?」
「ほらよ」
渡されたそれを、チャスはいつも通り握った。柄が、手の内で馴染むのがわかる。
「行ける」
「じゃ、お前あっちな」
互いに目の前にいる使用人を見て、狙いを定める。ブロドに蹴られて転がっていた二人も、状況を判断したようだった。
一対一なら、負けはしない。
ほぼ同時に踏み切った双子は、各々自分の得意な運びで戦闘を優位に進めていく。
数分後には、気絶した使用人が二人仲良く転がっていた。
それをなんの感慨もなく見下ろしてから、チャスが改めてブロドに顔を向けた。
「どうやってここに入ったの?」
「正面から普通に」
「普通にって――」
チャスが振り返ると、入り口の方にはまだ人がいて……、というか、全然減ってない。
首を傾げていると、「あーそこのお姉さん、出ちゃダメだよ。逮捕しちゃうよー」とこの場に相応しくないほど呑気な声が聞こえてきた。それで、全て察する。
「あ、でも一人だけ、ひょろ長の秘書が強かったけど」
「あいつか。あいつなら、ほら」
全開にされた扉を通れないように体で塞ぐ、両手を広げて笑顔で威圧しているクー。その奥で、転がる足が見えた。中庭の植木に紛れている、スーツを着た男の腰から下。
「……」
「やっぱあいつ、単純に力が強ぇんだよな……」
さっきまでその力の差には勝てないと改めて実感したばかりなのに、よりによってクーがそのタイプなのが本当に悔しい。
「まぁいいわ」嫌なことは今は忘れてしまおうと、チャスは頭を振った。「ブロド、それよりこれ見て」
煙は、クーが扉を全開にしてくれているおかげで外へ流れ出していた。まだ多少喉は痛むが、大したことない。
チャスは演台の近くに散らばっていた紙を見せた。
「ここにあるメモリア、どうやら持ち主の特徴と一緒に売ってたみたいなの」
「持ち主の特徴?
「ううん、私たちがしているみたいな、出てくる人物から推察したものじゃない。もっと正確だった。性別から、年齢、生まれた場所とか、子供の数――」
ブロドの顔に、緊張とも不審とも取れる表情が浮かんだ。
「……そんなこと、どうやってできる?」
「わからない。でも、あの口調は確信して言っていた。私たちとは違う、でも似たような力を持つ人がいるのかもしれない」
「メモリアを作れるのはメズたちだけのはずだ。そんなはずないだろ」
「私もそう思ってたけど……。でも、こんな風に持ち主の特徴を調べるなんて、誰もできなかったでしょ。メズでさえ」
ブロドは答えに詰まり、何も返さなかった。
メズは、他の四人の仲間にも力を与えた、言わばこの力の根源の持ち主だ。そのメズでさえこんな原料の読み方はしていなかった。
ブロドもチャスと同じように首を捻る。
「じゃあ、他にもこんな力を持った奴が?」
「あくまでまだ可能性の話だけど。でも気にしておいた方がいいわ」
同様の力を持つものが、敵になるか、味方になるか――。それは不確実で、こういった能力を持っている者同士、穏やかに話が進むとも限らない。しかもブロドとチャスはこの王都でだいぶメモリアを売ってしまった。「記憶を売る双子の妖精」という通り名がつくほどに。
「しばらく様子見がてら、大人しくしましょう」
「記憶を奪うのはやめてるだろ」
「……そうだったわね」
チャスは、ぽつりと呟いた。
*
「チャス、一体どういうことかな?」
にっこりと笑っているが、明らかに怒っているクーに、チャスも負けじととびっきりの愛想笑いをお見舞いすることにした。
「もっと早く来てくれていたら、こんな大騒ぎにはならなかったわよ?」
「いや、俺言ったよね。勝手はするなって」
「傷ついたから、追加仕事しろっても言ってたけど?」
クーは笑顔のまま、睨みあうチャスの頭をガッシリと掴んだ。不満がチャスの口から発せられる前に、先に苦言を呈しておく。
「本っ当に君たちってば、ああ言えばこう言うよねぇ」
「オレを数えるな」
巻き込まれたブロドが隣でメモリアの原料を読みながら呆れた声を出す。
チャスはクーの手のひらをつねってどうにか離させようとしながら、微笑んで追撃を仕掛ける。
「もっと言ってあげると、私が暴れておかなければ、今頃きれいさっぱりメモリア売買のオークション現場なんて畳まれていたわよ」
「だぁあああ! もう!」
クーはつねられる痛みに降参して、チャスの頭から手を離した。一緒に、笑顔の仮面も剥がれ落ちたのだけど。
「全くもって俺の話を聞く気がないね! そして反省が無い!」
「うるさいわねぇ。反省なんて必要ないじゃない。ちゃんと収拾ついたんだから、つべこべ言わないでよね!」
「そうやって無鉄砲なところは君の良くないところだ!」
「こーんなうら若き乙女とその弟に危険なことさせる大人に、そういうこと言う資格ありませーん!」
最近たびたび目にしているこのしょうもないやり取りに、ブロドは無言を貫いておく。
いつも通りクーも大人げない反応だが、それでも今日は割と本気の口調だ。まぁ、どう考えてもチャスが一人で突っ走ったのが悪いし、今回ばかりはうるさくても叱ってくれるなら手間が減ると、ブロドはもう一度手元の原料リストを眺めた。
クーはオークションに参加していた全員の名前を記録すると、彼らを解放した。必要があれば後日呼び出すとし、小火どころか結構な火事騒ぎになってしまったために消火を優先したのだった。
オークションを取り仕切っていた使用人と競売人はしっかりお縄にして、呼び出した憲兵に連れて行かせた。なんと、あの仮面をつけた小太りの競売人こそがコーリット侯爵自身だった。事情聴取は免れないだろう。
競売に掛けられていたメモリアは全て現場に残っていて、原料リストなんていう衝撃の証拠も押さえられたのは、チャスの功績と言わざるを得ない。
それでもこうやって叱るのは、クーは単に駒として双子を扱っているわけじゃないからなのだが、せっかく良い仕事したのに怒られて頭に血が上っているチャスはそんなこと考えられないし、ブロドも薄々感じとってはいても口に出す必要性を覚えなかった。
(これは確かに持ち主の特徴だな……)
押収したメモリアのうち、試しにいくつかの原料を読んでみると、リストに書かれた通りの特徴の持ち主だろうなというのがわかる。
例えば二人の子供が大人になって、互いに助け合って会社の跡取りとして頑張っている場面を年老いた父親目線で見たり、青々とした山の麓で美しい鳥と風の声を背景に将来を誓う恋人との場面。どれも、記載通りの特徴の人間が飲めば、より一層幸福な味がするはずだ。
チャスの言う通り、こんな風に持ち主がわかる原料を読めるなんて、ブロドとチャスの力ではできない。メズが双子に力に関することを教えていないとも考えられないので、やはり別の能力を持つ人物がいるのかもしれない。
疑問は山ほどあるが、ひとまずこの一件は片付いたのだ。
ブロドが当の二人を見ると、一通り言い合いは終えたようで、小休止のようだった。
「終わった? ならオレ、そろそろ帰りたいんだけど」
無表情というか通常運転のブロドがそう言うと、チャスはブロドの肩に手を回す。
チャスだけ派手に暴れた後なので、支給された制服はボロボロだし、鼻と額が赤くなっていて、明日にでも腫れそうだ。それでもチャスはご機嫌の様子だ。
「そうよねぇ、疲れたわよねぇ」
「チャスの方が疲れたろ。とにかくもう撤収しようぜ。どうせ給仕係も何人か逃げてるだろうし」
火事騒ぎになったことで、夜会自体も大混乱になった。クーが明け放った扉から煙が漏れて、それを見た客が大げさに騒いだせいで、恐怖が伝播し会場はめちゃくちゃだった。
「これが気の遣える男なのよ。クーってば見習うべきよ」
「いや、だから、俺もう37だから……」
ブロドとチャスからすれば、おじさん年齢にあたるクーは、ため息をついた。
クーの年齢を知ってからますますそれをネタにしているわけだが、そういえばクマも酷かったし、疲労感駄々洩れだったからこんなことになったんだったとブロドは思い出す。
「終わったんだから帰ろうぜ」
「待って、後始末が」
「それ、オレらは何もできねぇ」
正式な憲兵としてこの場を収められるのはクーだけなので、面倒な後始末も双子には手伝いようがない。
その正論に、クーはより一層げっそりとして頭を抱える。けれど流石の大人、数秒で回復して何度も自分を鼓舞するように頷いた。
「じゃ、君たちは先に帰っててよ」
「お、今日は素直ねぇ」
「言っておくけどチャス、まだお説教終わってないから」
「なら次までに私もばっちり回復しておくわ」
その言葉にまたもやクーは項垂れそうになるも、肩を並べる二人の背中を反対に向け、出口へと向けた。
「じゃ、くれぐれも気をつけて」
いつにもなく優しい見送りの言葉に、ブロドとチャスは互いにきょとんと見合う。珍しく、何の含みもない優しい言葉だ。
「どうしたんだよ」
「ちょっと気持ち悪いんだけど」
「あのねぇ。……俺だって、心配くらいするさ。まだ子供なんだしさ」
クーは背後から、まだ少年と少女の、二人の後頭部をそれぞれ両手で撫でる。双子が振り返らないうちにそのまま背中を押した。
「さ、帰った帰った」
押された背中が、足を出口まで進める。ブロドもチャスも振り返ることなく、でも不思議な気持ちになったまま、歩いていった。
いざ扉を出ればすっかり真夜中の空で、月はいなかった。消火が済んだ屋敷は人が減り、夜会を片付ける使用人と給仕係の気配だけがあった。
――逃走は得意だ。
二人とも無言で、でも互いに何を考えているかわかって、どちらからともなく駆け出した。
「ねぇブロド」速度を緩めることなく、チャスは訊ねた。「どうしてあんなに来るまでに時間かかったの?」
「オレが長話の客に捕まってメッセージの確認が遅くなったのと、」
「と?」
「――オレがクーを呼びに行ったとき、あいつが女性客と踊っていて解放されなかったからだな」
チャスは、冷えていく頭で、無言で静かな闘志を燃やす。聞かなきゃよかった。
次回の口喧嘩でも実践勝負でも、絶対にクーには負けない。全くもって、むかつくおじさんである。
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