第9話 オークション①

 チャスが台車を押して再び扉を叩けば、先ほどと全く同じようにイオルドと名乗った秘書が隙間から外を覗った。


 お辞儀をすれば、何も言わずとも扉を大きく開いて、台車を押して中に入れるように誘導される。

 グラスに50人分の飲み物と、数本のデキャンタを乗せた台車は注意深く押さなければならず、チャスが慎重に運んでいる間も、イオルドは中庭の方を警戒した様子で見回していた。


(相当気が立っているわね……)


 闇オークションなんて半信半疑だったが、この様子だとメモリア以外にも後ろめたい取引があるのかもしれない。厳めしいイオルドの顔に、影が深く落ちていた。


 チャスは部屋に入りながら、先ほどよりも増えた客や使用人を見て力量を測る。手練れはいなさそうだが、一応警備も兼ねているのか、イオルドも含めた男の使用人数人がナイフを持っているのがわかった。あまり、一人で派手に動くのはやめた方が良さそうだ。


「お客様方、お待たせいたしました。どうぞ」


 台車は入り口付近に置き、盆にグラスを乗せれるだけ乗せて、客に配っていく。

 人数としては、40人に満たないくらいの人が着席していた。

 オークションの開始を待っている彼らは一様に目がぎらついていて、獲物を待つ獣のようだった。


「――紳士淑女の皆様! お待たせいたしました!」


 新たに部屋にやって来る客にも飲み物を振る舞っていると、意気揚々とした声が会場に響き渡る。その声に、座っている客たちが歓声と共に拍手する。


「今宵も皆様にご満足いただける品をご用意しております!」演台の前に、小太りの男がマントに仮面という少々出来すぎた格好で登場し、また拍手が起こる。「ありがとうございます、ありがとうございます!」


 そう仮面の男が言う中、演台の傍には使用人が二人がかりで布の被った立体物を運んでいる。大きさからして、メモリアではない。


「まずはこちら!」


 立体物から、布が取られる。あまり広くない部屋のため演台から一番遠い壁際に立つチャスの目にも、それが爬虫類の彫刻であることがわかった。

 四本足に、尻尾。トカゲに見えるが、舌は三又に分かれていて、何とも言えぬ気味悪い造形だ。


火山椒魚サラマンドラの彫刻です!」


 あまり貴族が邸宅に置けるようなデザインではなく、案の定誰も手を上げず他の出方を窺っているようだった。


「ふふふ、ご安心を。彫刻は一つでは完成しません」トカゲ彫刻とは反対側に、いつの間にか別の品物が置かれていた。「こちらの、小人ノームを退治する狩人と、2対で1つになります!」


 二つの彫刻で一つの作品、というのが珍しいらしく、急に会場に熱気が戻ってきた。さっそく、先頭にいる年老いた男が右人差し指を上げた。


「1000!」

「1000! 1000からスタートです! こちらの彫刻、作者は旧時代から一足早く抜け出したと言われるトネックです! およそ100年前に彫られたものだと推察されています」

「1500」

「1500が出ました、後方の女性です! 火山椒魚を小人側に配置すれば、狩人が古き妖精たちを追い出す様が、迫力を増してご覧になれます!」


 この後もどんどんと貴族たちの手が上がり、金額も上がっていく。

 しかもこの仮面の競売人、金額が上がる度に価値を吊り上げるような発言を行っていくため、聞けば聞くほど、買っておきたいという気持ちにさせるようだ。


 チャスは、彫刻と言えどもトカゲと小人に同情の気持ちを抱いた。

 妖精とは、人間が来る前に大陸にいたとされる伝承の登場人物たちで、良くも悪くも迷信を信じていたひと昔前の世代にとっては畏怖の対象なのだ。

 そして、双子は妖精からの恨まれた故に生まれるという忌みの象徴だった。「記憶を売る双子の妖精」というのがメモリアを売っていたブロドとチャスの通り名ともなれば、因縁を感じてしまうのも無理はない。


(彫刻にされてまで狩人に退治されるなんて……。こういう連中ったら、本当に趣味が悪いんだから)


 何だか嫌な気持ちになっていると、落札が決まり次の品物が運ばれてくる。今度は絵画であった。絵画は200年ほど前の作品だと言うがチャスには真偽のほどはわからない。

 けれども、やはり貴族たちの手は上がっていく。庶民が汗水垂らして日銭を稼いでいるというのに、貴族たちは高くない買い物かのように金額を上げていく。それが、非常に面白くなかった。


 その後も美術品を中心にオークションは続いていく。

 一見すると、普通のオークションと変わりない。これらが正式なルートで仕入れられているなら開催を隠す必要が無い。違法のルートから仕入れられている美術品か、あるいはメモリアという特殊な競売品があるからか、はたまたその両方か。

 チャスに美術品に関する知識がないので、仕入れのルートや価値の真偽はわかりようがないのだが、いずれにせよ怪しむだけの価値は十分にある。


(それにしても、遅いわね……)


 既に7点落札されているが、ブロドとクーが来る気配がない。正面からだと秘書のイオルドのガードが固く通れるわけがないのだが、扉の方を気にしていても特に不審な来客の様子はないのだ。

 クーからは、もしオークション会場に乗り込めても一人で勝手な行動はするなと言われている。

 憲兵と言えど貴族に手を出すとなると色々と不都合らしく、各方面への考慮があるからとか何とか。

 そんな理由、チャスが知ったことではないだが、まだメモリアを扱っているという証拠がない。ただただ違法に入手した美術品オークションなら、そもそもチャスが手を出す義理もない。


 そんなことをつらつら考えていると、「それではそろそろ本日のメインディッシュをご覧いただきましょう!」と仮面競売人がより一層声を張り上げた。周囲を窺っていたチャスも、その声に視線を演台へ戻した。


 演台の横には、木製の台車が運ばれてきており、今までの美術品と同じように布が掛けられているが、絵画や彫刻に比べると高さが足りない。チャスはどくんと胸が跳ねた。

 競売人が貴族の視線を一心に集める中、もったいぶって布をゆっくりと動かしていく。


「今、皆様が最も欲しいであろうこちらは――」布が取られた。「メモリアでございます!」


 おおっ、という歓声が上がる。

 競売人は陳列された小瓶を一本、手袋をした右手で掲げた。


「一時とはいえ、致死量になるほどの享楽! それを味わえる、人生で最高の瞬間の記憶! それが、このメモリア!」


 次は、今日一番の拍手が起こった。

 チャスは目を凝らした。

 台車の上には20本のメモリアが規則正しく並べられていた。灯りを集めて、小瓶の中の液体が黄金に輝く。瓶自体はブロドとチャスが普段から生成しているメモリアと変わりがなかった。


(でも、見た目じゃわからないのよね……)


 ブロドとチャスが作ったメモリアなのか、それとも。

 とはいえ、これで証拠が出た。クーの読み通り、本当にメモリアはコーリット侯爵の闇オークションで売られていたのだ。

 チャスはどうしようかと考える。

 一人で動くなと言われても、二人が来るのを待っているほど悠長な時間はあるだろうか? 逃げられたら面倒だ。


「では、まずは一本目!」そうこうしているうちにメモリア競売が始まってしまった。「お子さんが二人いらっしゃる、男性向けのメモリアです!」


 その言葉に、チャスは密偵の仕事も忘れて驚愕の表情を浮かべた。


「――、」


 声を出さなかっただけ、褒めてあげたい。競売人の言葉を頭の中で反芻する。


(どういう、こと)


 今、メモリアを飲む対象の特徴を上げた? 聞き間違い、だろうか。


「年齢は30歳以上の方が、特におすすめです! この特徴以外の方が飲まれますと、享受できる快楽が減ってしまいます! 効能を最大化するためにも、当てはまるお客様、あるいはプレゼントとして贈るお相手をご考慮の上、ご入札ください! では、5000からスタートです!」


 やっぱり、あの男には元の記憶の持ち主がわかっているのだ!

 ブロドとチャスでさえ、原料ラベル読みをしなくては見た目では区別できないというのに。

 一体、どうやって? まさか、あの男も力を持っている――?

 混乱で頭の中が疑問で一杯になるが、一度小さく息を吐きどうにか心を落ち着ける。


(力をくれたのはメズよ。そして、メズは私たち以外にはこの力を与えてないと言っていた)


 ということは、もし競売人が力を持っていたとしても、それはブロドとチャスとは別口の力というわけだ。そうだとすれば、見た目だけで原料がわかることもあるかもしれない。あるいは事前に原料を読んでいるとか。

 でも、そもそも同じ力を持っている人間が他にいるとは考えづらいのだ。

 存在しないとは言い切れないが、こんな人外の能力を持つ者が、偶然にチャスと遭遇する確率なんて低いに決まっている。それなのに――。


 少しばかり冷静さを取り戻したチャスは、競売人をもう一度観察した。

 小太りで、わかりやすすぎるほどの「競売人」を気取った格好。とても力があるようには見えないし、チャスに力を与えてくれたメズと雰囲気は似ても似つかない。


 その時、演台の卓上に紙の束が置かれていることに気づいた。

 始まる前には確かに無かったので、オークション最中にいつの間にか持ってこられているのだろうが、チャスの位置からでは何が書いているのか見えない。


「落札! 落札! 前方の旦那様が、12000で落札でございます!」


 ゴンゴンと木槌の響く音がして、競売人はまた声を張り上げた。チャスは、競売人の動きを注視する。


「続いては、女性向け! 20代の女性で、山の多い地方ご出身の方向けです! さぁ、旦那様方、お気に入りのお相手に贈り物としていかがでしょう!」


 じっと見ていると、チャスは仮面の下の目の動きが気になった。

 目元が隠れているのではっきりとは言えないが、あの紙を読み上げているのではないだろうか。

 基本的に客へ体も視線も向けている競売人だが、原料にあたる部分を発言するときは、ちらちらと顎が下に下がる――ように見えた。如何せん、距離が遠くはっきりは言えないのだが、それなら納得もいく。


 チャスはどうにか、あの紙を読めないかと頭を巡らせる。


(ここからじゃ無理だわ)


 どう頑張っても物理的に見えないものは見えない。となれば、近づいて見るしかない。


(でも今近づくわけにはいかないし、このオークションが終わったらどこに行くかわかったもんじゃない)


 処分されるのが関の山な気がする。何とかして、オークションが終わる前にあの紙を入手しないと。


 チャスは、何か策はないかとあたりを見渡し、手元の台車やポケットも漁る。何でもいい。何でもいいから、競売人に近づけるような打開策があれば――。

 ベストのポケットに手を当てた時、四角い紙箱の感覚を掴んだ。


(そうだ)


 昨日の打ち合わせを思い出す。客が煙草を吸う際、火が欲しいと声を掛けられるからと、制服と共に全員に支給されていたマッチ箱。


(これだわ!)


 チャスはほくそ笑んだ。


 頭の片隅で、クーが「一人で動くな、誰か来るのを待て」と言っていたことを思い出す。

 今から行おうとしていることは、勝手な行為だろうか?

 自問自答の答えは言わずもがなイエス。でも、あの紙を手に入れたら、それだけでメモリアを売っていた証拠になるはずだ。クーの目的にも適う。


(証拠を失う方が困るでしょ。結構な時間が経つのに、ブロドもクーも来ないし)


 小言を言う、今や雇い主となった綺麗な男の顔を頭の中から追い出す。

 酒の入ったグラスを用意するふりをして、手元にマッチを取り出した。

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