第8話 給仕係

 夜会当日。

 給仕係の制服を身に着けたブロドとチャスは、他の給仕係たちと並んで、配置と役割についての最終説明を受けていた。


 恐ろしい周到さで、すんなりと件のコーリット侯爵家に潜入成功した。

 クーの目論見通りというわけで、全くもって面白くない。とはいえ、これも仕事うちと割り切って遂行するしかない。


「じゃ、この後はしばらく会えなさそうだから、気を付けてね」


 一通りの説明の後、チャスはブロドに手を振って、厨房へと向かう。

 チャスの担当は厨房と会場の行き来をする配膳で、ブロドは廊下で伝令や雑務だった。


 クーから説明を受けた翌日、つまりは夜会の前日は顔合わせと役割分担が行われた。

 給仕係しかいない会場付近は、打ち合わせと実際の動き確認をみんなが行うのでどこも人が多く、目立たないように屋敷の配置を覚えるのは簡単だった。生活空間まではわからないが、ひとまず来客がありそうな部屋は把握できた。


 夕方になり、会場を覗いてみれば既に招待客も集まりだしていた。


 チャスは遠目に、入り口付近で壁に背を預けて会場内を見渡すクーの姿を見つけた。

 音楽を背景に人々の談笑があちらこちらから聞こえてくる。チャスは厨房からドリンクをもらっては配膳を勧める役回りで、今のところ普通に仕事をしている。

 クーは憲兵の一人として警備の名目で会場入りしていると言っていたのに、見目が無駄に良いので手持無沙汰になった婦人たちが寄ってきている。


(誘蛾灯ね……)


 あれでは、密偵なんてできないんだろう。

 クーが自分たち双子をこの場に連れてきた理由として、オークションの確証があるわけではないので他の憲兵を使えないから、と言っていたものの、密偵にちょうど良いと思ったに違いない。

 都合の良い駒になってしまっているのは癪だが、付き合わざるを得ないのだ。腹を決めて、盆に乗っていた葡萄酒が全て無くなったのを合図に行動開始だ。


 空いたグラスを回収しながら、廊下へ続く戸に立つ会場内の監督をしている使用人へ声をかけた。


「グラスを片付けながら、新しいドリンクをもらってきます」

「ええ、お願いします」


 疑われることなく廊下への戸が開けられ、チャスはそこから滑り出た。

 厨房だけでなく、他の部屋や庭へも続く廊下では、ちらほらと談笑する着飾った人々や、その合間を歩く給仕の姿があった。

 チャスは違和感のないように、近くの男性二人組へと近づき、「よろしければグラスを回収しますが」と声をかける。


「ああ」


 年上の男から先にグラスを取る際、印象が良いように柔らかく微笑んで見せる。


「新しいお飲み物もお持ちしますか?」

「いや、いいよ」

「承知いたしました」


 断る男に、チャスが大人しく下がろうとすると、相手のまだ年若い男がチャスを引き留めた。


「いや、君、やはり何か持ってきてくれ」

「おい」

「でも義父上、まだ始まるまで時間がありますよ。もう少し飲んで行きましょうよ」

「だが先に行かねば前の方に座れんのだぞ」


 何の話かはすぐにわかった。チャスは、自分の運の良さに手を叩きたくなる。


(オークションはやっぱりあるのね!)


 適当に声をかけて少しずつ探ろうと思っていたが、一発目から当たりを引けるとは。

 さっさと終わらせてクーに恩を着せてやろう。


 チャスは努めて表情を変えず、事情があまりわかっていないが、この場で指示を待つ給仕を演じた。


「なら、会場に持ってこさせては? それなら、始まるまで飲んで待っていられますし」

「馬鹿め。選ばれた人間しか入れないんだぞ。勝手に会場に入れたら何て言われるか」

「でも侯爵家が雇っている給仕なんだから、飲み物を持って来させるくらい問題ないでしょう。第一、客がいるのに使用人が限られるから酒すら出さないというのは変じゃないですか」

「全くお前は……。その達者な口で、何かあったらコーリット侯爵も説得してくれよ」


 話を聞かれている相手が給仕だからと、二人の男は何の警戒もなく会話をしていた。

 結局チャスに、中庭を通り抜けた反対側の部屋に、飲み物を持ってくるように言ったのだった。

 チャスは微笑みを消さぬまま、承る返事をした。これで、オークション会場も判明した。


 一度厨房へ戻り、空いたグラスと引き換えに新しい盆を受け取った。今度も葡萄酒のグラスが並んでいた。


 チャスは言われた通り、中庭を抜けてちょうど向かい側の扉を叩いた。

 わずかに扉が開き、給仕係とは違うコーリット侯爵家の使用人と思しきひょろりと背の高いスーツの男が、チャスを不審げにじろじろと眺める。


「ここは給仕が来る場所ではないぞ」

「しかし、二人組の男性のお客様よりこちらへお飲み物を運ぶよう申し付かりまして……」

「どちらの方だ?」

「た、ただ通りすがって承っただけで、お名前までは存じず……」


 高圧的な使用人の態度に、怖がるように声をわざと震わせて答えた。事実、名前も知らないし、オークション会場を訪ねる口実にはちょうど良いが、あまりにも都合が良いので疑われても当然だ。

 不躾な視線に耐えること数秒、チャスの反応を見ていた使用人は静かに扉を開けた。


「なら、中でそのお客様を見つけて、お渡ししてこい。私もついて行くから、妙な真似はするなよ。ここはただの給仕が入って良い場所ではない」

「かしこまりました……!」


 本当に客から申し付かったのなら無下にもできないと判断したのだろう。チャスはオークション会場に入ることに成功した。


 中は、夜会の煌びやかな灯りとは異なり照明がかなり絞られていた。壁際にかかったランプの数も少なく、まばらなオレンジの灯りが影を揺らめかせている。

 一番奥には演台があり、そこだけは灯りの数が多い。特に、演台の付近には光がたくさん集まるようになっていた。

 その演台が良く見えるように椅子が配置され、70席ほどが並べられている。既に腰かけている貴族は男女問わずおり、おおよそ前の席三分の一が埋まっていた。


 2列目の端の席に、先ほどの男二人を見つけた。チャスがそこへ向かうと、後ろから扉にいた男がついてくる。どうやら、本当に見張るつもりのようだ。


「お待たせいたしました、お飲み物をお持ちしました」


 チャスは堂々と、男たちに葡萄酒を差し出した。

 二人がグラスを受け取るのを見ると、後ろにいた使用人の緊張が解けたのがチャスにもわかった。

 それに気づかないふりをして、「では」と言葉を発したところで、3列目に座っていた太った女から声をかけられた。


「ちょっと、飲み物を用意できるんなら私にも頂戴よ!」

「は、はい!」


 鼻を鳴らす女にチャスがグラスを渡すと、周りの人間が俺にも寄越せと主張を始める。

 けれど、ここに全員分は無い。チャスが困ったように後ろの使用人を見ると、彼は客に向かって頭を下げた。


「ただいまお持ちいたします。ただ、こちらは選ばれし皆様の秘密のオークション。我が主コーリット侯爵の意向で、使用人の数が増やせませんので、少々お時間を頂戴しますことお許し願います」


 場を収めた使用人は、チャスの腕を引いて扉の方へと戻った。小声で、チャスに指示を出す。


「こうなっては、全員分ご用意するしかない。この部屋は決められた者しか入れない決まりだ。厨房からの配膳もお前だけで行い、他の給仕係は使うな」

「承知いたしました」

「お前、名前は」

「サリーです」

「ではサリー、厨房に行って、50人分の飲み物を用意させろ。侯爵の秘書、イオルドから命じられたと言って台車で運んで来い」


 チャスは頭を下げて中庭へと出た。


 これで、イオルドと名乗った秘書公認で、このオークションへ出入りできるようになった。

 拍子抜けするくらい簡単だった。しかも、わざと多めに持ってきたグラスを見ただけで勝手に客が話を進めてくれた。


 上機嫌で中庭を抜ける。

 思いのほか、楽に仕事が終わりそうだ。

 このことをクーに知らせるのが一番良いのだろうが、厨房から台車で飲み物を運ぶとなると会場に寄っては目立ってしまうし、時間もかかる。


 疑われては元も子もないので、ブロドにだけ伝えることを決め、事前に決めていた連絡用の絵画の裏にメッセージを残し、チャスは厨房へ向かったのだった。

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