第6話 母子の記憶④

「俺が戻って来るのを待ってはくれなかったの? 薄情だなぁ」


 中毒者の引き渡しを終えたクーの目の前には、既に眠っているミラードがいた。

 道でそのまま寝かせられるはずもなく、双子と共に路地の空いていたベンチへ運んで横にならせたところだ。


 クーが薄手の上着を脱いでミラードに掛けながら呟いた、嫌味かもわからないそれにブロドは面倒くさそうに眉間を寄せた。


「飲ませたんだから、いいだろ別に」


 薄情も何も、初対面で襲ってくる奴との間に情があってたまるか。

 そう思っても、ブロドはもはやクーの調子に乗せられて問答する余力は無かった。


 ミラードに視線を向ける。

 目を瞑って浅く一定の呼吸をするミラードはとても穏やかで、口元は微かに笑っているようにも見えた。


 メモリアを飲むと、すぐに強烈な睡魔に苛まれる。逆らうのが馬鹿馬鹿しく思えるほどに心地良いその催眠に身を委ねれば、夢の中でを味わうことができる。

 ミラードは今まさに、夢の中でタータを産み、育てていく幸せを噛みしめているのだろう。


「まぁ俺に先んじて事を進めたのはいいとしても、飲んだら寝るって知ってたなら、先に教えてほしかったよ」

「知ってると思ってた」

「知ってたなら、こんな人通りの多い祭りのど真ん中で渡さなかったのに」


 口を尖らせてそう言うクーは、中毒者を問答無用で締め上げたのと同じ人物とは思えないほど幼く見えた。まぁ、それなりにいい年齢の大人が子供っぽく振舞ったってイタイだけなのかもしれないが。


 そんなことを考えていたことをクーは察したのか、何故かジロリと探るような視線を向けられるが、ブロドは知らないフリをした。


「お母さーん? どこー?」


 近くのざわめきの間から母親を探す少女の姿が見えた。


「タータだ」

「タータ?」

「ミラードさんの娘。ねぇ、呼んでもいい?」


 チャスはクーに一応の許可を取ると、タータを呼びに行った。すぐに、タータの手を引いて戻ってくる。


「あれ、お母さん?」タータは、ベンチで寝ている母親を見つめて首を傾げた。「寝てるの?」

「疲れちゃったみたい。あたしたちがタータに言うから、寝てもいいよって言ったの」

「ふうん、そっか」


 頷きながら、タータはハッと思いついたようにブロドを見て、それからそのまま手を引いた。


「ね、それなら踊ろうよブロド!」

「はぁ?」

「だってほら、次のパレード、また音楽隊だよ! 今度は有名な曲ばっかりで、みんな踊ってるじゃない!」


 確かに周りには、遠くの音に合わせて楽しそうに腕を組んだりステップを踏んでる人々がどんどんと増えていく。ブロドは冷や汗をかく。


「んなら、チャスとやれよ」


 渋る弟を、チャスは肩を押して無理やり立たせる。


「つべこべ言わないの。エスコートしてきなさいよ」

「おい、お前まで何言って、」

「ブロド、こっちこっち!」


 タータがブロドの手を取って駆けだしていく。

 渋顔のブロドもタータを無下にできるわけもなく、すぐに諦めて付き合い始めた。それを、チャスは口元に笑みを湛えて眺める。


「……驚いた」


 クーのその呟きをチャスは耳で拾うと、「うん」と返事した。言いたいことは、よくわかる。

 クーがどういう表情を作っているのか見たい気もしたが、チャスは何もせず、何も言わなかった。ただ小さい遊び相手に手を焼く弟を眺めて、彼女は目を細めた。


 しばらくして、ミラードは目を覚ました。

 首を振る些細な音に先に気づいたのはクーだった。


「あ、お目覚めですか。どうです、どこか痛いところはありませんか?」


 クーはそう尋ね、チャスはそれに反応してミラードを振り返った

 彼女は自分を見下ろす美男に一瞬だけ戸惑いを浮かべたが、眠る前のことをすぐに思い出したのか「はい」と小さく返事をした。

 そのまま俯き、無意識か手のひらで顔を触って、頬が濡れていることに気がついて目を瞠る。


「私……」

「ミラードさん、大丈夫?」


 メモリアを飲んでも、然して身体に影響が出ることは無い。夢の中で至福を味わい、酔って頭がぼうっとするくらいだ。


 でも、ミラードは本当に自分の失った記憶を飲んだ。とすると他のどのメモリアにも代えられないほど美味で、そして泣けるほどに感情が高ぶるのだろうというのは想像に難くない。


 ミラードは覗き込むチャスに小さく頷くと、手をついて体を起こした。クーとチャスに何か問おうと唇を薄く開いたところで、外に向いた目を大きく見開いた。そして、一目散に娘のところへ駆けていく。


「タータ!」


 ブロドと踊る娘の名を呼ぶと、彼女を強く強く抱きしめた。


「お母さん?」

「タータ……、タータ!」

「お母さん、どうしたの? もうお昼寝終わり?」


 急に抱きしめられた赤毛の少女は、母の背に手を回しながらもきょとんとそう尋ねる。ミラードは、娘の肩に乗せた顔を涙で濡らしながら、心底嬉しそうに笑った。


「うん、おしまいよ」

「ふぅん。あのねー、ブロドと踊ってたんだよ」

「そうなの。……良かったわね、タータ」

「あれ? お母さん、泣いてるの?」


 ふと母親の涙に気づいたタータは、ミラードの腕から離れようと身を捩ったが、ミラードはそれを許さなかった。未だに頑なに抱きしめたままの母親に、タータは「どうしたの?」と不思議そうに訊くが、嫌がる様子は無い。


「嬉しいのよ」

「嬉しい?」

「うん。お母さんね、タータがいてとっても嬉しいの。愛してるわ、タータ」


 抱き合う母子を、ブロドは凪いだ瞳で、とても嬉しそうに、とても眩しそうに眺めていた。


「……ブロド、あんなに柔らかい表情かおするんだ」


 クーの声は、驚きを多分に含んでいた。


 ブロドは、端から見れば粗暴に見えるだろう。しかし実のところ、彼は不器用なだけで懐に入った者には情が深い。端的に言うと、優しいのだ。


 チャスは弟のことをそう考えて、それから過去の双子の境遇に思いを馳せて表情を暗くした。


「……ブロドはもともと優しいのよ。ただ、素直に感情を表すのができないだけ」

「どうして?」


 躊躇なく尋ねるクーに、チャスは呆れて彼を見た。


「デリカシーって言葉、知らないわけ?」

「いや、でも、気になるし」

「子供相手に何でもかんでも聞くのやめなさいよ。そのうち禿げるわ」

「は……!?」


 嫌そうに目を剥いた、自分よりずっと年上のクーのその反応に、チャスは満足したのかくすくすと悪戯を楽しんだ。クーは面白くなさそうにチャスから視線を外してから、ため息をひとつ。


 それから彼自身の懐を探って封筒を取り出す。何の変哲もない白い封筒だが、少しだけ厚みがある。紙一枚ではないことは確かな、そんな封筒。

 それをクーは、腕を伸ばしてチャスの目の前で振って見せる。まるでチャスが受け取るのを待っているかのようだ。

 チャスはきょとんとして、目の前で揺れる封筒を見た。


「何……?」

「依頼の報酬。受け取って」

「報酬?」


 クーの言葉を反芻しながら、とりあえず言われた通り受け取る。そして、糊も蝋も付いていない、ただ曲げられただけの封を開ける。


「え!?」


 チャスは思わず声を上げた。節約すれば半年くらいは生活できるくらいの額だ。


「要らない!」


 チャスはクーに封筒を押し付けた。だが彼は手を伸ばさない。


「でも、報酬だから。君たち、あれで生計立ててるんでしょ。俺がその手段を奪うことになるから」


 チャスには、それが本心なのか世辞なのかがわからなかった。どのみち大人の顔をして余裕ぶられるそれは、チャスとしては気に食わない。まだ子供だと舐めているみたいだ。

 チャスは眉根を寄せた。


「あたしたち、生活に困ってないし」

「でも他に収入なんてあるの?」

「…………」


 無言なのは、つまり肯定で。今は貯金があるし、しばらくはメモリアを売らなくても生活できる余裕はある。だけど。


「無いんなら、素直に受け取っておきなよ」

「嫌よ」

「んー……じゃあ、これは牽制だと思ってさ」

「牽制?」


 頑なにクーの手に封筒を押し付けながら、チャスは聞き返した。クーの手が封筒を掴む様子は全く無い。


「生活費が無くなったらメモリアを売りそうだから。そういう状況にしない為に、あらかじめお金を握らせておこうと思って」

「……それは牽制じゃなくて脅しって言うんじゃない?」

「あれ、そうかな?」

「…………はぁ……、もう、わかった」


 ブロドもチャスも頑固な方だとは思うが、クーはもっとずっと頑固だ。頑固というか、しつこいというか。


(厄介ね……)


 チャスは仕方なしに、封筒を自分の方へと引き寄せた。とりあえず、これは受け取っておく。さもないとこの不毛なやり取りが終わらない。

 チャスは微笑んだ。笑むことで盾をつくる。クーと同じ防御方法。


「ま、少なくともこの分で生活できるうちは何もしないわ」

「…………」


 クーは複雑そうに苦笑した。

 今後はずっと記憶は取りませんと言うのは無責任だ、とチャスは思う。

 二人で生きると決めた。それが何より最優先。そのためにまた誰かのメモリアが必要になるなら、その時はどうなるのかわからない。


「少なくとも今は、もう奪いたくない、かな」


 抱き合うミラード母子と、その隣に立つブロドを見つめたまま、チャスが小さく小さく言った。

 クーはチャスと同様に、ブロドと抱き合う母娘を見つめたまま、「今はそれで満足しとくよ」と呟く。


 喧噪な夜が、遠くに聞こえた。

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